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アメリカに住んでいて感じたこと#2(陪審員制度)

今日はすこしマニアックな内容になります。アメリカの法廷ドラマを見るときに背景知識として知っていると、もっと面白く見れるかも?という内容です(”suit”をはじめ、ほとんどのドラマは、裁判そのものではなく、人間関係がテーマになっていますが!)。

先日、アメリカに関する何らかの資料を読んでいるときに「ソーシャルインフレーション(Social Inflation)」という言葉が目に留まりました。ソーシャルインフレーションとは賠償コスト、訴訟コストが上昇傾向にあるというもので、アメリカでまさにその状況に直面しているという内容でした。


アメリカの裁判で、訴えられた企業がとんでもなく高額な賠償金を払わされているケースがあることは、日本でも時折報道されています。なぜこのようなことが起きるのか、私が知っている範囲で特に興味深いと思った点について簡単にまとめてみます。
私自身も、法廷で証言したり、反対尋問を受けたりしたことはありますが、弁護士等の有資格者ではありません。正確ではない箇所もあるかも知れません。その点ご留意ください。

1. 裁判をコントロールしているのは、裁判官?当事者?陪審員?


裁判はAがBのせいにより損害を被ったとして、裁判所にBを訴えるところからはじまります。
この場合、訴えたAが原告、訴えられたBが被告になります。被告は、原告の訴えに対して証拠を示しつつ反論し、更にそれに対して、原告が再反論をして進められていきます。日本の場合、裁判所が自ら調査、鑑定を行ったり、積極的に和解を求めたりするなど等、裁判所が主導的に進めていきます。それに対して、アメリカでは、原告・被告の当事者により主導的に進められます。各種鑑定、証言(デポジション)、和解交渉も当事者主導で進められます。
大きく異なるのは解決方法です。日本の場合、裁判所主導による和解、裁判所による判決が一般的で、双方の主張、過去の判例等から判決額が決まりますが、米国の場合、当事者間で和解できない場合、裁判所が法的な整理はするものの、陪審員による協議(公判)にゆだねられることになります

2. 陪審制度の影響


ポイントは、陪審員の大半が素人であることです。
素人はどうしても感情にも左右されやすいものですし、弁護士も積極的に陪審員の感情に訴えかけようとします。感情に訴えかけること、感情に流されること自体は悪いわけではありませんが、法律家のような「だいたい●●円くらいかな」という相場観がないため、同じような案件でも全く違う金額になります。
またアメリカには、deep pocketという言葉に表現される「金を持っている人間が費用負担すべき」という観念もあります。そのため、個人vs.企業であれば、個人の多少の落ち度には目をつむってでも、企業側に高額を負担させようという傾向もあります。(日本の方が、企業と個人がフラットに扱われるように感じます)

つまり、公判(陪審員による協議)は非常にボラティリティが高く、結果が読みにくいのです。もちろん、訴えられた側の主張が前面に認められる可能性もありますが、想定以上に大きく負けることもあり得ます。そのため、特に企業であれば、経済的な合理性がある範囲で和解するという選択肢も出てきます(もちろん和解ばかりしていると、和解狙いの悪質な組織に狙われる可能性もあるため、企業としての戦略が重要になります)。そのため、特に個人vs. 企業の案件では、陪審員による表決前に和解で解決するケースも多いです。
またアメリカは、弁護士費用をはじめとする訴訟コストも高く、裁判を続ければ続けるほどコストがかさむことになります。そのため早々に見切りをつけて和解するケースも多く見られます。

3. 訴訟地による結果の違い


(連邦裁判所は別として)米国の場合、州、郡によって各種訴訟手続きが異なりますし、陪審員の数も異なります。何より土地によって、住んでいる人の思想、所得が大きく変わります。そのため、訴訟地によって、最終的な結果も変わる可能性があります。
日本でも裁判官によって個人差があると言われますが、判事は基本的に全国転勤を伴う公務員ですし、同じような案件であれば、東京地方裁判所でも、大阪地方裁判所でも、同じような結果になる傾向があると言えると思います。一方、アメリカの場合、陪審員による公判まで進むと地域差が顕著にあらわれます(公判の傾向に合わせて、和解額も影響を受けます)。


印象に残っているものだと、カリフォルニアやニューヨークなどのリベラルと呼ばれるエリア、テキサス等の保守と呼ばれるエリアで大きく異なると言われています。企業側が同情を集めやすいエリア、または個人側が同情を集めやすいエリアという違いです。

また、本当かウソか、ネバダ州、特にカジノのあるエリアは、特殊な金銭感覚を持つカジノ従事者が陪審員に含まれることが多く、評決額(公判によって出された金額)が大きくなりやすいという話もあります。シカゴ周辺が、個人側に有利な結果が出やすいなどの話があります。

日本同様に、アメリカでも、原告、被告に無関係なエリアで訴訟を起こすことは出来ないものの、上記のような地域差があると、訴える側には、少しでも有利なところで裁判をしようというインセンティブが働きます。特に訴える側の弁護士の報酬体系は、成功報酬制であることが一般的であり、少しでも高額を勝ち取れる地域で争うことを望むようになります。
日本では考えにくい世界ですよね。

アメリカは、スーパーデータ社会なので、上に書いたような州、郡毎の傾向などは、すべてデータ化されています。
また、公判を行う州、郡で実際に人を集めてみて、模擬公判を行うこともあります。これらから、そして勝率や見込額から期待値を算出して、またコストを勘案して裁判の戦略を立てることになります。

アメリカの、同じような案件でも全く違う結果につながる可能性のある仕組みは多くの日本人には受け入れられないように思います。ただ、アメリカ社会ではこれがスタンダードなわけです。アメリカ社会での合理性を追求した結果がこの姿だと思うと面白いですよね。

とてもニッチなネタですが、おもしろいと思った方はスキ、コメント等いただけると嬉しいです。

ではでは。

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