大人の定義とは
こんにちは!あいでんです。
時の流れとは早いもので、気がつけばゼミ合宿から1ヶ月近く経とうとしています。今回は時を少し遡って、ゼミ合宿での話をしていこうと思います。
書こうと思ってて忘れてました(笑)。
それでは、、、いってみよっ!
言葉の定義
今回の話は拓殖大学の学生と合同ゼミをしていた時の話です。(その時の内容はコチラ)
そこで自ゼミの先生から言われたことは「言葉の定義をする」ということだった。
大学生は普段の生活において「言葉の定義を明確にする」ということをほとんどしないと思う。それらしい言葉を用いて、ニュアンスで相手に伝えようとするからだ。もしくは正確に意味を理解せずになんとなくの理解で使っている言葉もあるだろう。
そのため、こういうことを突かれると基本的に弱い。少なくとも私はめちゃくちゃ弱い。
社会に出て文化やコミュニティー、世代や年齢など全く違う人と関わっていく上で「言葉を定義する」というのは極めて重要なことだ。特に抽象的、概念的言葉を使う、そういった話をする際はなおさらだ。
こういったことを怠ると大抵行き違いや勘違いが起こり、小さなズレは大きなミスへとつながる。
そういったことを防ぐために「言葉を定義する」というのは地味ではあるが、難しく、それでいて欠かすことのできないプロセスなのだと感じる。
大人とは
厳しい指摘が飛んだ後に社会人の方からの講演があった。今回はそこでの詳しい話は触れない。
これから触れていくのはキーワードの1つでもあった「大人」ということについてだ。
講演してくださった方曰く、「誰しもがいつか大人になるのだ」と。そりゃそうだと思われることだろう。人は誰しもが大人になるし、大人にならなくてはいけないんだと思う。
ここで重要になってくるのは”いつ大人になるのか?”ということになるのだが、これを言及する前にしておかなければいけないことがあるだろう。
そう、それが先ほどの「言葉を定義する」ということにつながる。
例えば、「20歳になれば大人」と定義すれば私は既に大人だ。「社会に出ること」と定義すれば私は大人ではない。定義次第で私は大人になったりならなかったりする。
しかし例に挙げた定義で大人、大人ではないと言われてもどうにも腑に落ちない。ならば私の考える「大人」とはいったい何だろうか、腑に落ちる「大人」の定義とはいったい何だろうかと一か月かけて考えていた。
最近になってその定義に結論がでたのでメモとして書いておきたい。
ふと自分の記事を見直すと似たようなことを一ヶ月半前にも書いていたようだ。どんなこと書いているのかと読み直してみると、まあ薄っぺらいことを書いていた(笑)。
(その時の記事はコチラ:ポンコツ大学生は大人!?)
今回の内容はそんなことにならないためにも定義づけをしっかりと行っておきたい。また見直したときに考え方が変わっているかもしれないし、それを形に残しておくことがブログを始めた意味でもある。
さて、話が逸れてきたので本題に戻そう。私が定義する「大人」とは次のような人だ。
『自分、他者から精神的・経済的・に依存することなく自立できている状態の人』
どういうことかと説明して今回の締めとしたい。
私の考える大人
1つずつ言葉の意味を見ていこう。
依存・・・他のモノによりかかり、それによって成り立つもの
つまり、精神的・経済的に誰かや何かによりかかっていなければ生きていけない人は大人ではないということだ。
自立・・・自分以外のものの助けなしで、または支配を受けずに、自分の力で物事をやって行くこと。
言葉の通り、依存しなくなることが自立することにつながる。逆に言えば自立できていない人は何かしらに依存している状態だと言える。
精神的・経済的という言葉はそのままの意味だ。分かりやすい言葉に言い換えればメンタルとお金という言葉になるだろう。
以上のことを踏まえれば、他者に精神的・経済的に依存していない状態は想像できるのではないだろうか。親に経済的支援をうけない。誰かがいないと何もできない(精神的問題で)。
自分に精神的に依存しないということも大事だ。自分に依存している精神的状態とは”自己中心的”という状態を指す。語弊がないように説明しとくと自分本位でモノゴトを考えたり認識したりすることをここでは指す。意外とここで躓いている人が多いのではないだろうか。
経済的支援に関しては多少語弊あるかもしれないが、ある一定数の年齢まではうけて然るべきであるし、働く様になればうけなくなるはずだ。基本的には時間の問題であるが、精神的自立に関しては時間が解決することはほとんどないだろう。成長することでしか精神的自立は成しえないはずだ。
では、まとめに入ろう。
私の定義する大人になるためには自分で稼いだお金で生きていく必要がある。他者からの支援があるうちは大人になりえない。
また、誰かに依存することなく、自分に固執することなく存在できるような精神的自立も必要になる。
そう考えると私はまだまだ子供だ。経済面はもちろんだが、自分から自立できていない。依存状態だ。
しかしながらこの定義はあくまでも私個人の意見だ。これを押し付けようとするものではない。
みなさんはどのような人を大人と考えるだろうか。
それでは、また次回!
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