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大型投資のあとのリーマンショック危機【40】脱サラ研修講師が語る 独立開業のリアル 綱を信じて、バンジージャンプ!

 大型投資のあとのリーマンショック キャッシュ吐き出しのあとの悲劇

 「創業は易し。守成は難し」という言葉があります。


 この言葉の意味が昔はよく分かりませんでした。正直、「何ゆうてんねん。創業は大変だし、そのあと続けるのが大変なのは分かり切ってるやんか」くらいに思っていました。ただ、これは頭で表面的なことを分かったふりをしているレベル。これが遥かに難しいということが分かるようなるには、まだまだ経験の足らない私でした。

 2001年創業期の苦境を脱すると、一生懸命やり遂げた仕事が次の仕事を呼び込むという流れが出てきました。業績は順調に伸長して行きました。2004年9月に、個人事務所(個人事業主)から法人化して有限会社を設立しました。教育・コンサルティング事業だけではなく、他のビジネスもできるようにしていましたが、その一つが独立してからの経営戦略を再検討して生まれた学習塾。

 2002年春よりはじめたこの塾も順調に塾生が増えて伸長していたのですが、塾生のメインは、うちの子ども達の同級生。そのため、小学校、中学校の時期を過ぎると自然と減少していきました。当社としては、無理に塾生を確保して続けるよりも、他の事業をやることを検討し出していました。それがもう一つの事業、料理教室で講師の勉強をしていた妻の念願でもあったカフェの経営です。塾のほうは、卒業した塾生の代わりをさがす(募集する)ことなく、自然消滅としました。一人また一人と減り続け、最後の塾生は2011年3月で卒業となり、「活き活き基礎塾」はその使命を終えました。

 2010年4月に当社は、事務所を大阪市内から宝塚市に移転しました。そのため、最後のほうは、講師の妻が塾生のお宅に教えに行くという家庭教師スタイルになっていました。
 時間を少し戻します。塾生が減少傾向に完全に入りだした2008年秋。カフェ経営の可能性を模索し出していた妻と私は、宝塚市内を歩き回りながら、カフェ経営の初心者である我々でも店を出しやすい適当な物件がないかと探し回ることを日課としていました。私の出張がない時、夫婦二人でよくあちこちを歩き回りました。そんなある日、小さな物件が見つかりました。

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