風吹けば小岩井

楽器を弾いたり クイズをしたり モノ作ったりしてます

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  • 人生論note

    どんな髭剃りにも哲学がある —サマセット・モーム『剃刀の刃』より

  • koaLa

    • 29本

最近の記事

親愛なるサムたち

・確かじゃないけど春かもしれない ・少しずつ元気になってきた、大学には行きたくないけど働きたいなとようやく思えるようになる  ・イライラしている 結局のところ鬱の時にあった悲しみともつかないもっと深いもの(「谷の底」とよく形容していた)がなくなったと思えば、なまじ体力がある分それが怒りや憎しみに転化していそうで、いっそう悲しい 例のあの感情の方が高尚(※要出典)だったのではなかろうか ・友人に「みんな意外と何も考えてないな」と言われ、共感する気持ちも少しあったが それに

    • 言葉を眼差す理由

      同時に音楽を聴く理由でもあるのかもしれない 「ラジオもしくはその他のメディアで、たった今これを聴いている全ての人々へ。 この夏は、どうだった? 日々のニュースは、キツかった?普通だった?何も感じなかった? あなたは何か知っている?それとも、何も知らない? 素敵な恋人ができた?おおいに結構。 葉山でビーチパーティができなくてつまらなかったけど、そこそこ楽しかった?おおいに結構。 新しい感触のかき氷が美味しかった?素晴らしい。結構。 特になんの変哲もなく、やたら暑く

      • 40(-n)℃

        夏になると免罪符が配られる。 ここ最近は脳みそが沸騰しそうな暑さなので、みんなおかしくなり始めてる。  それに乗じてこっそりおかしなフリをしても許されるのだ。 水着を着る、スイカを割る、サウナ、大宴会、フェスに行ってみる、パチンコを打つ、花火を見る、花火をする、祭に行く、川辺で話す、釣りをする、船に乗る、路上喫煙、アイスを食べる、昼まで寝る、自転車を買う、クラブに行ってみる、「ざる」か「せいろ」を食べる、あの子とキスする、ホラー映画を撮る、ゲームセンターで遊ぶ、バンドをやる

        • ポエティックだったじゃろん

          「みんなもっとことばを大事にしろよ!」と俺は良くブチギレている 「みんな」というのが一体全体誰なのか、俺にはよくわからない 思考はことばの撃鉄によって走り出す、のではないか 無を有たらしめるのはいつだってことばだし、有るものがまるで無いかのように息を潜めるのも、誰も口にしないからである  ことばは度々空っぽになる リンクが切れて404しか存在しない場所に飛ばされるみたいに。ことばは永遠にみえて、実はちゃんと擦り切れている Twitter改めXや居酒屋で飛び交うことばのい

        親愛なるサムたち

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        記事

          こういった性格ですので

          俺は常々色々な人と話したいと思っている。 とくに飲食店や服屋さんの店員さんと仲良くなりたいという思いが強い。最近否定されがちな「友達100人できるかな」にいまだ囚われているのかもしれない。 しかし大抵うまく行かない。もともと受け身の人間なので、学校などでも気づいたらみんな友達になってくれてたケースがほとんどである。 それはそれでありがたい話であるが、得てして学校は友達を作ることが各々のプラスに働くことが多いわけで、そうじゃない現場で友達ないし知り合いを作るのは骨の折れる

          こういった性格ですので

          XGはグローバリズムの先を行っているかもしれない

          XGというグループが日本人の一部にしか届いていないのは嘆かわしいことだと思う。日本のグループなのに。 もともと「めちゃスゲ〜〜〜〜」と思っていたが、今日アップされた動画で「従来のコンテンツより先に行っている」という認識が確かになってきた。 この動画ではメンバーが先日リリースされた新曲「GRL GVNG」という曲をASLで踊って(というか歌って)いる ASLというのは(American Sign Language)の略で要するにアメリカで用いられている手話である。 俺は

          XGはグローバリズムの先を行っているかもしれない

          書くことと覚悟と考えること

          タイムスという新宿三丁目の喫茶店によく行く。 今日もそこで優雅にモーニングを食べているわけだが、壁際の席にずらりとおじいちゃんが並んでおり、なにかのスペシャルフォースみたいでカッコいいなとおもった。 さてもう春だ、ウジウジを寒さのせいにはできなくなる。 自分は書くことが得意だと思っているので、書くことにした。 今までいつエンターキーを押すのか、というのが課題であった。100%の自信が満ちてくるということはそうそうなく、大体75パーくらいで見切り発車しなければならないというこ

          書くことと覚悟と考えること

          うーたんが黙って消える世の中に生まれたかった

          うーたんが黙って消える世の中に生まれたかった。昔はそうだった気がするし。 気がついたら、今までやっていた番組が終わっていたり、近くの店が閉店していたり(これは今もあるが)、別れになんの前触れもない方が気楽かもしれない。 芸能人が結婚するたびに、または離婚したりするたびに何か発表をしなければならないのは酷だと思い続けてきたが、今ではそういった「お知らせ」が過剰に繁茂しており、俺の「お知らされ」のキャパシティが度々侵されていく、そっとTwitterを閉じよう。 うーたんが何

          うーたんが黙って消える世の中に生まれたかった

          おぱんちゅおぱぱ

          喫茶店の椅子で誰かを待つように、ベッドの中で朝を待ち続けなければいけない日というのがある。 感情に自信を持った試しがない。自分の喜びや悲しみが「ダサ」かったらどうしようと震えている。しかしそういった類のウジウジが一番ダサいことはわかっているつもりではある。 →自認をことばにしたところでそれは至らなさへの免罪符にはなり得ない ぼくは真面目すぎてつまらないなとよく思う。一番強いデビルハンターは頭のネジが外れてるやつと岸辺先生も言っていたが、俺には岸辺先生のように酒で頭のネジ

          おぱんちゅおぱぱ

          (What’s the Cheap Story) Morning Glory?

          年明けの少し前に札幌に帰ってきた。 昨日は髪を切った後、友達に連れてもらってススキノのビルの上階にあるクラブに連れて行ってもらい、ほぼ貸し切りの中でスーパーカーや岡村靖幸を聴いてはしゃぎながらお酒を飲んでいた。 気づいたら終電を逃してしまっていた。歩いて家まで帰れる距離だったが、美容室で読んでいたHUNTER×HUNTERがあんまり面白かったせいで、ほぼカップルしかいない深夜のススキノを少し散歩してから狸小路横のネットカフェに泊まって続きを読むことにした。 (いざブースに

          (What’s the Cheap Story) Morning Glory?

          ブルース

          東京ブルースというビールがある。私は飲んだことはないが、前のバイト先でよくはけていた酒だ。 ひとえに、ビールとはブルースであると思う。 東京に来るまで、というか高校を出るまでの十数年間、街の構造が不思議でならなかった。どうしてこんなにも居酒屋が多いのか、なぜ駅前には必ずパチンコ屋があるのか、当時少年であった自分には関係のない施設で街が形作られているという事実は、なんだか街から弾き出されてたような、排斥されたような気分になったものだ。全部トイザらスでいいのに、と常々思ってい

          LOD

          自分は常々もっと抽象的な話をしてもいいように思っていて、そして今日はそれができそうだからしてみようと思う。 日々は基本的に浮き沈みの連続であって、クロールをするように、息を吸ったり吐いたりしている。落ち込んでいる時は、「ああやさしくなりたいな」「元気で、胆力があればどれほど良いだろうか」と思うのだけれど、実際その元気を取り戻した頃にはそれらが全部速さに置き換わって、おととい考えていたことなんか置き去りにきてたくさんの物事と人を傷つけながら走り、また谷の底で目を覚ます。そう言

          G(entry)

          先日、出かけようと玄関のドアを開けるとAmazonの箱がドアの横に無造作に置いてあった。ずっと家にいたのに配達があったことに全く気付かなかったから少々拍子抜けし、玄関の中に運び込むと黒い影が一瞬足元を駆け抜けていった。 そいつはゼンマイ式のミニカーのような動きで俺の汚い部屋の奥へ奥へと進みたがり、勝手にルームツアーを始めたので腹が立ってきたが、物理的に潰すのも嫌だな、と思い狼狽していた。なんか死ぬ時に産卵するみたいな話もあるし。 第一俺は死んだ甲虫が何より苦手なのでそんな

          純喫茶論

          ※この記事は『ENJI2021年 冬号』のために寄稿した文章と写真を再編集したものになります。 村上春樹の「1973年のピンボール」およびその続編には「ジェイズ・バー」という店が出てくる。主人公とその友人・鼠が通うその店は、ジェイという謎の男が切り盛りしている。彼らは漠然とした孤独や不安、悲しみを持ち寄り、バーカウンターで取り留めのない話をしたり、ビールを飲んだりして時間を過ごし、また日常に帰っていく。 友人と「1973年のピンボール」の感想を一通り話したときに「俺たちの『

          部屋、Ballads

          短歌です コルトレーン Say It 屋根がたてる音  真鍮が濁るのとは違っていて 隙間縫う換気扇あと30分 エルヴィンが立つまであと何秒? Too young to Go steady 「そしたら」って口を塞がれ笑う 赦し あそこで打たせた君は賢く強いよ 僕は神経質なだけ? 「言葉はそんなにギラギラしないかも」 巨人は寡黙だったって噂 イデア、街を滑りたくなる夜確かにあった ありがと 独り 秋 思い出 街角に潜むのはやめて 50円引きのクーポン券 花瓶をすぐ

          9月になること

          東京の夏のにじむような暑さも引いてきて、もうすっかり肌寒い 「季節の中で何が好き?」というのは愚問のように思える。恋はいつでも起こり得るし、我々は常に死と隣り合わせなのだから、一年を四つにぶつ切りしたとてそれらを単に「環境」として評価するにはあまりに個人差がありすぎる。我々は絶えず季節の中に居るわけで、それらを選び取ることはできないがゆえ「朝食に何を食べるか」みたいな議論には収束しない筈だ。 それを踏まえて言うが、私は秋が好きである。 正確には「秋の自分」が好きで、季節と

          9月になること