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ポエティックだったじゃろん

「みんなもっとことばを大事にしろよ!」と俺は良くブチギレている

「みんな」というのが一体全体誰なのか、俺にはよくわからない

思考はことばの撃鉄によって走り出す、のではないか 無を有たらしめるのはいつだってことばだし、有るものがまるで無いかのように息を潜めるのも、誰も口にしないからである 

ことばは度々空っぽになる リンクが切れて404しか存在しない場所に飛ばされるみたいに。ことばは永遠にみえて、実はちゃんと擦り切れている
Twitter改めXや居酒屋で飛び交うことばのいくつかは、寒さに対するシバリングみたいなもので、社会に対して口舌が行う防衛反応だったり、なんとなく間を埋めるキスシーンのようだったりする。
意味なんかは気がついたらなかったりする。

ことばを大切にしろ というのは、赤子を大切にしろとは違っていて、舐めるなよ、というニュアンスを含んでいる。ことばは平気で我々を食い潰す。
MOROHAがよくネタにされるのは、もうDJアフロ以外が吐くあのリリックは全く違うものになってしまって、極めて滑稽だからだと思う。
彼にしか書けない歌詞というよりも、「彼の口から出ることしか許されていない」歌詞なんでしょうね 我々は身の丈に合わないことばを吐いた時に少し焦ってはにかむ。

「ポエム」の語に悪意が内包されたとき、見返すべきはレトリックではなくて、自分の道程であることは、ここでいうほどのことでもないと思う。
それでも、なんだかんだ言って、嫌いな野菜もあるわけだから、ことばの好き嫌いを持ち合わせても良いだろう。


歌詞を書く。愛してるよとかはもう、ボロボロに擦り切れていると思う。それでも「愛してるよ」という人を俺は肯定したいけれど、まだ好きにはなれない。
自分の書く詞が腑に落ちるようになったのはつい最近で、国語辞典を眺めるより、自分の頭の中を洗い出したり、どうやって生活が回っているのかを洞察するようになってからだった。

自分の身体奥から滲み出る言葉で辞書を編めたら、それはとても素晴らしいことだと思う。

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