LOD

自分は常々もっと抽象的な話をしてもいいように思っていて、そして今日はそれができそうだからしてみようと思う。

日々は基本的に浮き沈みの連続であって、クロールをするように、息を吸ったり吐いたりしている。落ち込んでいる時は、「ああやさしくなりたいな」「元気で、胆力があればどれほど良いだろうか」と思うのだけれど、実際その元気を取り戻した頃にはそれらが全部速さに置き換わって、おととい考えていたことなんか置き去りにきてたくさんの物事と人を傷つけながら走り、また谷の底で目を覚ます。そう言ったことの連続でしかない。溺れないために泳いでいるのであって、けして何処かに辿り着こうとしているわけではないと思うのだ。どこかに行きたいなら船なりなんなりを使うのだけれど、溺れかけだからそれを考える暇もないという。

まわりを見渡すとみんな器用に恋愛をしたり、日々に溶け込んだり、俺があまりときめかないことに晴れやかな顔で向き合っていたりして、苦しい。自分が何をすれば満足するのかこの歳になってもわからずじまいなので、何もない日はずっと街をぶらついて、たまにデートをして、本を読んでいる。
みんなが楽しもうと思って臨むものに、俺だけが「ひょっとしたらこれを楽しいと感じるかもしれない」と思って参加する。そして大体楽しくない。たまには楽しいと思うけれど、それが終わる頃にはとても疲れていて、眠るとあまり覚えていないことが多い。最近で覚えてることだとフジロックの配信を見たのは楽しかったな。

別に憐れんでほしいわけでは(表面上は)ないのだが、みんなの頭の中が全くわからないので何が普通かわからない。「このぐらいみんな感じてることだよ」と言われるかもしれないけれど、今なら「知らね〜」と言える気がする。

前まではビクビクしていて、「ああこれを面白がらなければ疎外される」とか「悲しそうにしていなければ辻褄が合わない」とか色々考えていて、今もそういう節があるが、なんかとてもどうでもいいことなんだろうな と思い始めた。

そういう考えを経た上では、俺が見聞きしてなんとなくで作り上げた「恋愛」を実行しようとしたり、過剰に周りに気を遣ったりしていたことが全部間違えに思えてくる。それは本質から遠くにある気がする。

多分自分が納得するような丁寧さを持って生きるには、グリニッジ展望台から始まるこの世界中を巻き込んだ時間の進み方はあまりに早すぎるのだと思う。違う惑星に越したら幾分生きやすくなるはずなんだけどね。自転周期が長いと嬉しいので金星とかが望ましい。

これからも沢山遅刻するかもしれないけど許してくれると嬉しいですネ。


2022年8月8日
エアコンからぽつぽつ水が垂れる部屋の中から

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