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書くことと覚悟と考えること

タイムスという新宿三丁目の喫茶店によく行く。
今日もそこで優雅にモーニングを食べているわけだが、壁際の席にずらりとおじいちゃんが並んでおり、なにかのスペシャルフォースみたいでカッコいいなとおもった。

さてもう春だ、ウジウジを寒さのせいにはできなくなる。
自分は書くことが得意だと思っているので、書くことにした。
今までいつエンターキーを押すのか、というのが課題であった。100%の自信が満ちてくるということはそうそうなく、大体75パーくらいで見切り発車しなければならないということに気づいてきた。上には上がいるし…とか、いやぁまだまだなんで…と言ってるうちにどんどん下に下がっていく気がしている。そういう謙遜は走りながら叫べばいい。

文、または文字というのはこの世で最もスムーズに真実と虚構を行き来できる乗り物であるというのが自論である。(真実というもののアクセスキーがごく限られた人にしか配られないのはまた別として)
以前は読み書きなんて日本にいれば大抵の人はできるから多少褒められたとて調子に乗らないでおこうと思っていたが、この時代に実と虚のシャトルランから振り落とされないためにも大事な力だと思ってきた。あとそんな魔法のようなものは単純に素晴らしいと思うし。 というわけでポツポツnoteを書いていく。

「頑張るぞ」と奮起したとき、みなさんはどういう光景が目の前に広がるだろうか。私はどうしても勝ち負けがそこから拭いきれない。
今までお受験お受験で頑張ってきたのもあるし、音楽という漠然としたものに脚を突っ込んだものの、そこの人たちはぼんやり言葉を濁しているだけで、なんとなく、しかし確実にそうしたエッセンスは含まれているということにちょっとだけ絶望してしまったのもある。今ならいいものはそこそこちゃんと評価されそうだし。

じゃあ「頑張る」をやっていくには誰かを蹴落とさないといけないのか、などとグルグル考えてしまうが、もうなんかわからん わからんことをわからんと結論づけれるようになったのも成長だと思う。それっぽい考えが浮かんだらまた書きます。

いっぱい書くのでいっぱい褒めてください
アデュー

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