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物語の原動力は「負」かどうか?

 何らかの負の感情が人に筆を執らせる時、それは創作性はまさにマイナスの気持ちによってスタートするのだと説かれる。よく言われるのは、私達は納得のいかない現実世界から逃避する原動力を、この現実世界の悲惨な出来事によって得るというものがある。
 そして創作者は理想の世界を作ろうとするのだと。それが故に、物語を生み出す最初の一歩のために、作者は負の感情にまみれていなければならないと言われる。しかし、それは嘘だ。そのような、ただ自分自身を傷つけるような出来事によって、私達はそう簡単に奮い立つことなどできない

 作者に必要なのは、その経験とそれを見つめる冷静さに他ならない。経験は知識を育み、冷静さはそれらを整理して分かりやすい形に作り変える技術となる。物語が理想の世界というのならなおさら、それは完璧でなければなならない。そしてその完璧は、冷静さと、落ち着きからこそ生み出される。
 偶然に生まれ出る完成品という存在を認めるにせよ、それが出来上がるよりも遥かに簡単に、冷静さによって完成品は生まれる。なぜならそこには確実性があるからだ。理論やデータや方法論や、そういった安定したものを選べる時間と意識が、冷静さには備わっている。
 だからほとんどの物語は、その作者がどのような経験をしたかにかかわらず、一度は「冷静」のフィルターを通して再構成され、その上で創作されていると言える。

 つまり人に筆を執らせているのは負の感情ではなくて、わずか一握にでもある冷静さである。加えて作者は、一足飛びに理想の世界に行こうとするのではなく、その行き方や表現方法を考えるために必ず立ち止まる。その「静」の状態が、物語を、より真の完成へと近づけることになる。

 原動力は「正負」というよりも「静動」にある。

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