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日本語にひとつ特有の「語尾」の面白さ

 日本語で大事なのは圧倒的に語尾だ。それは他の言語とは一線を画す特性で、大きな違いである。だから、例えば日本語が用いられた創作のクオリティというのは、まずもって語尾に依拠しており、その、想像力を掻き立てる語尾というものこそが、日本語を扱う長所だ。
 裏を返せば、その語尾にこだわれない時、日本語を紡ぐ意味は失われていく。いわば色褪せた日本語である。日常会話ひとつとっても、その人に特有の話し方や言葉の扱い方、そして語尾というものがあるのに、その個性を捨て去ってしまうのなら、それはあまりにももったいないことだ。
 創作物やコンテンツといった人を惹きつけるべく作られたものであればなおさら、それが日本語で紡がれていることの意味を最大限に活用しなければならない。それが語尾であり、その多種多様さが、日本語の面白さである。

 一般的な日本人であるならば誰でも、語尾のひとつやふたつ言えるものだ。10種類くらい知っているかもしれない。でも、まだまだあるだろう。それくらい、日本語の語尾の種類は多い。お嬢様言葉とか紳士言葉とか、ヤンキーとか博士とか、オネェ口調というのもある。例をあげればキリがないほどだ。この文章を書いている「だ・である調」もいわば語尾である。
 その語尾をストレートに、そういうキャラとして使ってもいいし、逆手に取って使うこともできる。つまり語尾にはキャライメージというものが既に伴っているので、そのことを利用できるのだ。
 そうやって日本語の語尾というものを最大限に活かしていくことこそ、「日本語での文章表現」のひとつの醍醐味だろう。グローバル化・IT化した現代ではどんな言語も瞬時に翻訳されるが、他言語に輸出できるのは「意味」だけであり、その表現方法はどうしたって正確には伝えきれない。
 そのような中で多くの人にとって魅力的な「表現」を形作っていくのは、並大抵のことではないはずだ。だからこそ、各言語の特性というものは注目され、面白がられ、もっと尊重されていい。

 日本語に特有の「語尾」は本当に面白い。そのことを、日本語話者ならばなお、当たり前のこととばかり思わずに、大切な特徴なのだと自覚するべきだ。

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