リスクがないことを求めすぎても
ゼロリスクという言葉には、安易に憧れられるところがある。なぜなら、それが無条件に目指すべきものだと強く思われているからだ。それは実現できればできるほどいい、そのように考えられている。
だが、ゼロリスクはそうであるからこそ、信奉されることに危険を伴う。つまり、「リスクがない」というイメージと、それを是とする私達の心は必ずしも良いものとは言えないということだ。
それというのも、ゼロリスクという言葉につきまとうリスク回避の心情は、本当に無条件にリスクを良くないものだとしているからだ。私達はリスクを取れと自らに思い、そして他人のリスクを許容しなければならない。
これはリスクを恐れるなということではない。むしろ、積極的にリスクを受け入れるという心をちゃんと持つべきだということと言える。リスクはもちろん無いに越したことはないが、結局のところはあるものである。
そしてこれはリスクを諦めろということでもなく、それと戦ったり、それをなくす努力はしてしかるべきなことに変わりはない。
けれども、そのことと0リスクを目指しすぎるということは別の話である。あるいは、ゼロリスクこそ大切なのだという思想は、リスクを犯しかねない行動への興味を減じさせてしまう。リスクを減らすことを考えるあまり、リスクを生み出し得る行動に対する工夫をしようとすら思わなくなってしまう。
それは由々しき事態である。私達が真に向き合わなければならないのはリスクであり、ゼロリスクではない。それにもかかわらず、ゼロリスクばかりに注目してしまうことはまさに本末転倒であると言える。
だからこそ、ゼロリスクは信奉すべきではない。単にリスクがあることは1つの選択肢なのだ。そう受け入れるべきである。リスクは是が非でも回避するものではなく、それはあって然るべきもので、それを少なくするために工夫をこらすべきである。
私達のリスクに対するスタンスとして、その程度に捉えておく方がいい。
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