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”伏線” の張り方を考える:その1 「後ろから」

 物語にとって大切な伏線というものは、物語のある要素同士を ”繋げる” ことを意味する手法である。要素を繋げる際には、どこにある何と何を対象とするのか、当然のことながら決めなければならない。
 そのための、とりあえずのやり方の1つとして「後ろから繋げる」というものがある。

 後ろから繋げるとは、文字通り、物語の時系列的に後ろの出来事をピックアップして、それより前に起こった出来事や、その他要素と繋げるということである。この場合の時系列とは、物語内の時間経過にとってという意味でもあり、あるいは、物語の受け手が取得する情報の純所にとって、というどちらの意味でもある。
 ともあれ、端的に言えば、これは伏線を「遡って」張るという手法だ。物語とは前から後ろに流れていくものであり、伏線は一般的に「あらかじめ張られたものが後になって明らかになる」ことに意義がある。しかし、それは物語を順に受け取る立場から見たものであり、作者などの物語の作り手からすれば、その時系列などあってないようなものである。
 そういった、いわば作者としての特権を利用するのが、この「後ろから繋げる」というやり方になる。物語は、完成するまではその時系列は決まらないと言える。だからその伏線における、何が先で何が後かというのも、伏線を張り終えるまでは決まらないのだ。そういった意味で、「伏線前」と「伏線後」、どちらをきっかけとしても良いのである。ある種このやり方は、伏線という「原因があって結果になる」というのの反対、「結果から原因を逆算する」ということをしているに等しい。

 一般的に物語を消費者として眺めた時、伏線は必ず前から後ろに繋がっていくものだ。しかしよく考えると、伏線とは、それが明らかになった時にこそ、現れるものだと言える。あるいは気づくのだ。「あれが伏線だったのか」と。つまり伏線とは、結果によって原因に気づくようなものである。そういった伏線の真実に素直に従えば、作者が伏線を張る際にも、「後ろから」であってなんの問題も無いということが分かるだろう。

 伏線とは、物語の中の要素と要素を繋ぎ合わせ、流れや全体に説得力を与えるものである。それは、伏線が判明した後にこそ気付かされるものである。そのため、伏線を張る側としては、その通りに後から伏線を張る──結果から原因を作り出す──ことが1つの素直なやり方なのだと考えるべきだ。

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