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誰かを見下すのは常に自分のため

 誰かを見下すことに関して注意しなければならないのは、それによって自然と自分を誰かよりも上だと思わせるからだ。あるいはそう思い込みたいがために、誰かを下に見るからだ。

 見下すというのは見下す理由や意思とは関係なく、自分自身を見下せる存在だと思いたいからこそ行うものだ。つまりそれは、他者を侮蔑できるだけの権利や立場が自分にはあると思うがための行動なのである。
 そのことの是非はともかくとして、さらに私たちは見下す理由を見下される側に求める。見下すことの正当性がほしくて、自分ではなく相手に責任を被せようとする。
 分かりやすい。徹底して自分のためだ。そのようにして自らが納得した根拠を盾にして、私たちは他者を見下し、自分を上げる。

 名誉欲とは誰にでもあるものである。どんな人でも誰かより上になり、マウントをとり、偉ぶりたい。集団の長は協力を手に入れやすいためだ。要するに生き残るための本能。生物としての遺伝子がそうさせる。
 なので、私たちは誰かを見下すことをやめられない。やめたくもない。それは際限なく、自らを上へ上へと押し上げようとし、そう思い込もうとする。

 意識しているかどうかにかかわらず、「自分は誰々よりすごい」との願望を抱き、そのために行動するのが人間だ。
 しかし覚えておくべきなのは、誰かを見下せるからといって自分がいつも偉いわけでもなく、他者にそのいわれがいつもあるわけではないということだ。
 自分自身をそれができる存在だと思うためにする。
 見下すとはどうあれ、それ以上でも以下でもない。

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