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数字で計りきれない時代に生きて

 この世は数字で計れなくなっている。文系だとか理系だとかそういった区分とは関係なく、「数字」は私達の大いなる価値基準だ。数字に触れない日はないし、数字について考えない日もない。必ず、私達は数字によって物事を考えていて、そしてそれによって生かされ、あるいは殺される。
 何より、そのことに随分と慣れてしまったからこそ、私達は今の生活ができているのだ。数字はもはやスタンダードで、基本で、基準だ。何かを判断するのに数字を参考にする。私達はそのことを至極当たり前にして、今まで生活してきた。

 しかし、この世は数字では計れなくなってきた。数字が大切だともてはやされたのはもはや昔、今は数字では語れない「何か」が私達の人生に影響を与え始めている。
 というより、再びそうなってきているのだ。数字の影響を残しつつ、かつて私達の価値基準の中心だったものが復活してきたと言う方が正しい。
 そしてそれを私達自身は自覚してきている。私達は数字的に優れているものではなく、何か人間的に優れているものを大切にすることに、自覚的になっているのだ。成功率とか利益率とかお金とか満足度とか人数とか、そういった数や量で表されるもの以外の何かを。
 数字――回数や量は誰の目に見ても明らかだったからこそ、絶対に正しいと信じられてきたのだ。しかしそれでは表せられない何かは存在するし、認識できる。 
 だからこそ、私達は必ずしも数字だけを気にしているのではない。そして、数字以外のものが明らかに認知されるようになっているだけではなく、私たちはそれがもしかすると、数や量よりも大事になっている場合もあるのではないか……そういうふうに考えるようになった。

 この世が数字で計れなくなったというのは、私達の感覚の領域である。どうやら数字は、私達が信じてきた今までよりも効力を失っている。そしてその代わりに、数字ではわからない人間独特の何かが価値基準として適用され始めている。
 それらはどちらかだけでなく、同時に私達の感覚に応えているのだ。それが、どちらかだけでない現代という時代の独自性だ。それは誰の目にも明らかであったかと思えば、そうでなくなったりする。再現性があるかと思えば、一回性だったりする。そういうのが、不確定な今を表す。

 私達はなお、数字だけでは分からない世界に、誰しも区別なく生きている。

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