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若さって王道が似合うこと
若いというのは王道である。若さには王道が似合うし、若いからこそまず王道をやるべきだというのもある。だから、これらは切っても切り離せない。
反対に、若い頃というのは王道を嫌う時期でもある。あるいは王道の良さをわからない。色々やりたくなる時期だし、可能性が広がり続け、挑戦が当たり前の時期だ。そんな状態で、王道なんて格好悪いと思うのは当然である。
ゆえに若さは、王道と相性が悪いと思われてもいる。
似合うのか、似合わないのか。若さとは王道なのか、そうでないのか。唯一の判断材料は、若いというのは何もかもが初めてであるということで、様々な経験をすることで人は老獪になっていくということだ。
そして老獪とは手練手管ということで、つまり、テクニックということであり、素材ではなく技術で勝負ということだ。
邪道は、あえて王道から外すという行為であり、つまり若さではどうにも付き合いきれないものである。それは様々なことを経験した結果わかるようになるものだから、それは、若さには似合わない。
対して王道とは邪道の元となるものであり、それと付き合うのに経験も知識もいらない。テクニックなどなくても、王道は常に私たちに寄り添ってくれる。だからそれは、若さとぴったりなのだ。王道は、すべてを許容する大きさがあるから。
結論として、若さは王道である。王道はまた、若さを許容する。この相性を無視してはもったいない。若いことは王道が似合うというメリットがある。それが、メリットだと思えることこそが、若さのメリットなのだ。
ひねくれて、王道を遠ざけている場合ではない。若さは王道。邪道など、もっと若くなくなってからの出番だ。若さの隣には王道。それを常に心がけたい。
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