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「安定した面白さ」という矛盾

 面白いものを求める時、「口コミ」を参考にすることがある。美味しいお店や、サービスのいいお店をネットで調べるのと同じで、誰か他の人が「面白い」とか「いい」とか言っているのを、私達は参考にしようとする。
 なぜならそうやって、誰かが評価しているものはきっと、間違いがないからだ。1人2人ではない。何人も、何十人もそうやって「間違いないぞ」と感じているものが、自分にとっても面白くないわけない。同じような理由でランキングもとっても参考になる。「読んでよかった漫画ランキング」とか「ヒットチャート」とか「夏映画興行収入ランキング」とか。

 そういうふうに、私達は他人の評価を信じる。面白いものを安定して手に入れるために。確実に。間違いなく。
 けれどもそれは変だ。どうしてかというと、面白さとは安定しないものだからだ。安定した面白さというのは、面白くないのである。いわば面白さとは、不安定で儚げで、一瞬の爆発力を見せて、逃せば手に入らないものでなければならない。
 そもそもが確実性を求めるようなものではないし、そのような求められ方をしても、それは心を惹かれるものではない。つまり、そのような時、私達は面白さではなく安定を求めていると言えるからだ。

 ともあれ、大切なのは、面白さの中に安定はないし、安定した面白さというのは不純である。それを求めようとする時の私達の心理は「楽しもう」ではない。ただただ、確実な何かがほしいだけだ。面白さというものを道具にして、話題性とか、知識とか、安心感とか、何か別の目的のために、それを利用しているにすぎない。

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