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”伏線” の張り方を考える:その3 「イメージ」

 伏線とは、物語の要素同士を繋げるという、物語を面白くさせるための手法のひとつである。このことを考えた時に、その要素同士が「どことどこに」あるのか、というとこらから、前から繋げるのか後ろから繋げるのか、という選択肢がまず出てくることになる。

 しかし、これは伏線の張り方としてはとてもシンプルなものであり、もう少し踏み込んで考えると、イメージの繋がりで要素同士を繋げることもできることが分かる。
 たとえば、以下のような状況がある。

 猿を飼っているAがいて、その家に初めてBが招待される。Bはウキウキで家を見回すが、猿の声が聞こえてとある部屋の扉を開ける。Bが忠告するがもう遅く、猿が飛び出し、Bの持ち物を奪って逃走してしまう。

 この時、「猿を飼っている」ことは、「Bが猿によって被害に遭う」ことの伏線になっている。しかし、これらは単に、出来事と出来事が起こった順番通りに繋がる「原因と結果」関係でしかない。
 そこで、更に以下のような状況が展開される場合、

 慌てて猿を追いかけたBだが、流石にすばしこく中々捕まえられない。そこでAが普段大人しくさせるために使っている動物用の笛を吹き、これでBは猿を捕まえられると駆け寄った。
 しかし、Aの「危ない」という声にBは驚く。視界が天井を向き、したたかに頭を打ち付ける。転んだのだ。でも何故? ふと足の方を見てみると、そこには猿が食べたらしいバナナの皮があった。

 明示されない原因によって、Bは更なる災難に見舞われることになる。つまり、ここに張られている伏線は「連想ゲーム」によるものだ。物語の中にはっきりとは明示されないまでも、ある要素から連想できるものは全て、伏線の「原因」として採用できる。
 今回の場合、猿といえばバナナを食べていることは容易に想像でき、特に明示せずとも違和感がないために伏線として使えた、というわけである。

 連想によって伏線を置くことは、難しくはない。なぜならそれは、基本的に自動で置かれるからだ。つまり、連想され得るものは、その連想元が示されたのと同じ時系列に出現する。
 上記の例で言えば、「猿」という単語と同時に、「バナナを食べていて、その皮がAの家のどこかに放置されている」という伏線を張ったことになるのである。だから、特別に意識せずとも、その連想が無理のない範囲であれば、わざわざ伏線を置くという手順を取る必要はない。
 この、イメージによる伏線の特殊な点はそこである。特別に何かする必要がないということは、反対に、それは連想力がものを言うということだ。加えて、きちんと伏線として機能するためには、誰にとっても分かりやすい連想でなければいけない。
 そうでなければ、伏線として明示されていないそれは、ただ、唐突に良く分からない原因によって起こる出来事になってしまう。そのリスクがある上でなお、連想による伏線は、イメージの広がりを味方にできる点で強い。

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