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与えられただけじゃなかったのかもしれないなあ

 「今日学校どうだった?」

 って聞かれ方を親にされた経験、私の世代なら特に多かったんじゃないだろうか。
 私はよくそんな風に聞かれた。
 質問の仕方が漠然とし過ぎて答えにくいのよね。兄は話が面白い、とよく褒められていたし、私は面白かった出来事を面白く話せない。話したところで怒られちゃうことかもしれない。それに多くのことがあり過ぎてどれを話したら良いかわからないとかさ。だって「今日」色々あったもの。

 だから小学校低学年の頃から「別に」と、女優でもないけどそう答えていた。

 いつも「別に」と答えていたら、そりゃ親も聞く気失くすでしょう。
 いつしか私は何も聞かれなくなったし、学校の話をしなくなった。

***

 「おとなしいねんな」

 大学生になって、デートの機会があると、よく言われた。
 うむ。そうかもしれないね。
 私は雑談や世間話が苦手だったけど、そう言われると卑屈になる。うまくできないことを、そうやってわざわざ言葉にする人には、気持ちも一気に冷めるものだった。

 若い頃って、そつなくだったり、無邪気にだったり、いずれにしても場を上手に和ませられる女の子の方がモテていたのは覚えている。
 私はあれやこれや考えすぎて言葉にならない方だった。特に関西人としてオチのない話はつまらないとか、ツッコミができなくちゃならないとか言われるし、一対一でも自分から話し出せずにいた。
 だからよく喋ってくれる人が好きだった。男女問わず。

 夫と知り合って、夫がよく喋ってくれるタイプだから最初からラクだったけど、気が付いたらシンとしている時間も割とあった。夫は「おとなしい」なんて、性格を評価しないでいてくれた。静かな時間もそれなりにくつろいで気を使わないで良いタイプなのだった。

***

 「今日はどんな風に過ごしていたの?」

 「えっと……」

 結婚すると、帰宅した夫によく聞かれた。
 母に対する甘えや、学生時代のコンプレックスを思い出す。でも私は夫に何とか応えたかった。
 何故なら夫の表情があまりに脱力していたからだ。元々人の性格を評価しないタイプの夫。押しつけがましさや探ろうとする気持ちのかけらもなく、ただただ無垢な表情で「今日ってどうだったのん?」て、ご飯食べながら聞いてくる。目の前の大好きな人に関心を持ってもらおう!
 
 「えっと……なんにもなかったけど……。朝から言う?」
 「えっ。ああ。そうだね。朝からでも良いよ」
 鈍い頭を巡らせ、朝からの、すんごいどうでも良い出来事を順番に話した。オチなんか当然なかったし、ボケもツッコミも何もない会話。夫は「ふんふん」と聞いていた。中身に特に関心があるようにも見えなくて時々聞いていないようでもあったけど。「聞いてる? 今、なんて話してたでしょー」と聞くと、なんとなくつじつま合わせて聞いている風なので、まあ良いやとまた話を進めて、夫が帰宅するまでの自分を追って話してみる。

 布団に入って二人並んで天井を見上げながら、テレビのくだらない話を何時間も続けるのも楽しかった。正解のない話に、どちらかが先に力尽きて寝入ってしまう日々。

***

 「かせみは、よく喋るようになったわよね。なんだか明るくなった気がするよ」

 実家に帰ったある日、母が言った。

 今も雑談はそんなに得意でもないし、話も広げられない。ただ話が広がらなくて静かになっちゃっても「広がらなかった」と思うだけで、それほど焦らない。平気になっただけ。上手く話そうとか思わずに喋るようになっただけ。それにこの年齢で静かにしていても「おとなしいんですね」なんて言われない。ただ気ままに話す。

 ありがとう、オット。
 話す喜びや楽しみを知った。私、ちょっと変わったらしいよ。


***
***

 「そう言えばお父さん、声出して笑うようになったよね」

 息子が言う。


 テレビを観ながら、ヒーヒー笑って転げまわる私。
 私がふざけていると「ちょっと待って、苦しい! 何も言わないで」とヒーヒー笑って転げまわる息子。
 視界の端に入る戸惑った表情の夫。でも笑いが止まらない私や息子。

 以前はそんな風景が家の中で時々あった。

 夫は、夫婦喧嘩が度々起きる家庭で育った。父親はアルコールを口にしては不満や愚痴を大きな声でぶちまけ、母親は土壇場で父親の側についてしまうのだった。或いは夫の幼かった弟を連れて出てしまうのだった。
 父親が海外赴任になった時も、中学生だった夫は一人家に残り、親戚が面倒を見に来てくれた時期があった。

 夫は子供の頃、家庭でリラックスしきっていた時期はあったのだろうか。
 よくわからないけれど、夫が大きな声で笑ったり、映画を観て泣いたりと感情が露わになる様子は長らく見たことがなかった。
 ただ夫は言葉の表現が素直で、自分の思ったことや考えは伝えてくれる。言葉を尽くすタイプだったから、余計に私は安心して話せるようになったのだ。

 夫にもらった言葉の数々のために私はよく喋るようになったけど、夫は私といて楽しいとか、何か気持ちの変化はあるのだろうか。
 
 元々、夫はマイペースで私の言うことを聞くわけでもない。
 夫と喋っても反応が薄いと、私が落ち込んでしまうことも度々だった。いつだってフラットな態度でいる夫には、私なんていてもいなくても、関係ないんじゃないかなと思っていた時期も長く。息子の幼少期は特に。私は何故ここにいるんだろうとわからなくなって、一人でよく泣いた。

 少しずつ、少しずつ、年月を経て会話を重ねて、互いの言葉と態度で、夫と自分を切り離せるようになり、互いの距離や位置を自分で確認できるようになっていった。

 ただ今でも何かが理由で夫がイライラしたり、私が腹を立てたりすることがある。「喧嘩」の状態を含めて、そういう風になることはめったにないのだけど、夫の気持ちがわからない時。
 私には夫の闇が見えない。
 どんなに考えたところで、私は一生この人を理解なんかしてあげられないのではと、暗たんたる気持ちになる。私のこれまでの心の傷や葛藤なんて、しょせんちっちゃなものなんじゃないか。
 夫を理解できていない自分がふがいなく、無力な気がしてしまう。
 

 信頼できる友人に意見を求めてみると、彼女が伝えてくれた。

 「誰かの痛みを100%、自分のことのように理解する必要はないです。大切なのは、傷ついた人に自分が何ができるかを考えて行動したり、寄り添ったりすることです。
 かわせみさんの旦那さんもきっと、かわせみさんのそういうところに救われているんじゃないでしょうか。じゃなかったら、笑顔の多い家庭にはなっていないはずです」

 ああなるほど。目からウロコ。
 夫の気持ちやその背景すべてを理解できなくても良いんだ。
 でも確かに最近の夫は声を出して一緒に笑い、映画を観て涙を拭うようになった。その行動自体に意味があったのだ。
 友達からの言葉をありがたく、大切に反すうしよう。

 そう言えば夫は「僕は幸せだな~。奥さんと一緒に飲みに行けるもん。愚痴を言うわけでもないし、そういうことばかり言う人とは飲みに行かないよね」と過去を振り返りながら言っていた。

 「かせみどんは、よく鼻歌を歌うよね」
 何年か前に夫に言われたことがある。そしてそんな夫が最近、家の中で歌を歌っている。

***

 今の二人の関係や、私の心境だけを書くと勘違いされるけど、最初からずっと「今と同じ気持ち」でお互いを想っていたわけでもないのよ。当然、最初からずっと「今と同じ関係」だったわけでもない。
 恋愛を経たスピード婚で、結婚後は特別仲が悪い時期もなかった。感覚的なことも考え方も相性が良かったし、よく話し合って来れた方ではあるのだろう。
 でもお互いを諦めて受け入れたり、片目つぶったり、やり過ごしたりしながら、努力してできるだけ楽しく心地良い関係を築いてきたのだと思っている。

 今。
 夫は一緒に声をあげて笑い、家の中をウロウロしながら歌を歌う。
 あとは一緒に飲みに行ったり食事に行ったり、年に数回で良いから、また復活するご時世になると嬉しい。

 夫だけじゃない。親や子供、友人たちから与えてもらった言葉で、最近ようやく思う。
 私が夫に与えたものも、あったかもしれないんだな。


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読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。