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自分一人で何でも解決しようとしても限界があるんだ~「トイ・ストーリー」バズの元ネタ映画「バズ・ライトイヤー」~

 実はもうちょっと前に観に行っていた。近くの映画館(と言っても、田舎街なので映画館までは遠い)では、吹き替え版しかやっていなかったので。

 声を担当した俳優陣たち、みなさん良かった。かまいたち山内のソックス(猫ちゃん)も含めて。

 ただMCU(マーベルシネマティックユニバース)好きとしては。バズをクリス・エヴァンスが担当し、仲間の一人をタイカ・ワイティティが担当するとわかっているのなら、そっちでも観たいではないか!

 そんなわけで、字幕版を観終わってから感想を書こうと思っていた。

 キャプテンアメリカを演じたクリス・エヴァンスが言うと「100年」にも意味が出てくるから面白い。

 吹き替えだと別に面白いセリフでもなんでもない部分が、英語だとちょっと笑える言い回しになっていたりもするので、やっぱり字幕版も良いんだよな。

 もちろん字幕なしで英語全部が理解できるわけではないので、英語を聴きながら字幕のありがたさをしみじみ感じている。
 数十年前になっちゃうけど戸田奈津子さんについての本を読んだことがあって、字幕をつける方々には、感謝と尊敬の念でいっぱい。

*ネタバレあります

 ちょっと前に気にして考えていた「生きる意味」だとか「自分が役に立ちたい」とかについても考えさせられた。
 人々の日常には、暮らしているだけでちゃんとそれ自体が意味になっている。優性思想が問題視されていることからもわかるように、他人の「存在」はそれだけで自分にとって意味がある。自分は自分で役に立ちたいけど、きっと他人にとっては、自分の存在そのものにきっと意味がある。
 
 横にいてくれるだけで嬉しい。目の前の人を悲しませたくないし、喜んでいたら私も気分が高揚する。

 バズの起こした事故によって、その惑星に暮らしを移すしかない人々。いやあ皆が生きているだけで良かったのだけど、事故を起こしたのが自分だったら、そりゃあ自分一人に責任があると思ってムキになるよ。

 バズの元々の性分も手伝って、自分だけで何とかするんだという思いもあるのだろうけど。
 人ってやっぱりどこかで誰かに助けられて、いつの間にかみんなと自分てそんな風に存在し支え合っているものなんだ。

 「仲間の大切さ」とか「一人では生きていけない」とか。

 当たり前で、使いふるされたような言葉だけど、それを真に理解しているのなら大勢の友達がいるいないに関わらず、人を信頼できるようになる。相性があるにしても互いの存在は、継続できるならきっと信頼となり、信頼が力となり、助けになる。

 自分の中ですべてをおさめるのではなくて、自分で考えて自分の言葉を使い、相手の言葉を聞けるようになる。

 使いふるされたような言葉に説得力をもたらしたいなら、それを何かしらの形で表現するのが良い。

 バズが身を持って人生をかけて理解した部分だった。

 着地点も面白かった。「生きる」とか「暮らす」ってこういうことなのかもしれないなって改めて思う。

 

 ストーリーとは別の部分で、「あるある」だったのは、CMで流れ、楽しみにしていたデヴィット・ボウイの「スターマン」が映画内では流れなかった。待ち受けてしまったので「あ。流れないまま終わっちゃった」ってなった。
 「オデッセイ」でベストな使い方されたから、なかなかあれを超えられないかもなあ。



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