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個性は、自分の中に感じているもので充分と言う息子19歳~子育てを省みる~


 言葉の概念が人それぞれだとはわかっているし、親が子供に感じ方を押し付けるのは違うともわかっている。むしろそれを言い聞かせて息子と接してきたはず。
 言葉だって、会話だって、求められた時には気持ちも時間も、可能な限り向けてきた。できるだけ自分が納得できるように。
 でも「自分が納得できるように」だから、子供に伝わっていないのであれば、それはただの自己満足になっちゃう。

※※※

 「個性」は、私の今までの人生にとって大切な重たい言葉。
 帰国子女となった7歳の私は、周りを伺うように日々暮らした。それまで下手だろうと上手だろうと周りと違っていようと同じだろうと「好きなのね。それは素晴らしいことよ」とされてきた誇らしい部分を、精一杯隠す。意見や行動だけでなく描く絵や着る服、持つ鉛筆や傘まで周りに合わせないと孤立する雰囲気は恐怖だった。

 大学生の間に再びニュージャージーに行った私は過去の自分を思い出せたけど「良い塩梅」は、わからないまま。
 「そのままで良い」って伝えてくれる人たちとの出会いで、これで良いのかなと少しずつ自分を出していくようになる。

 子供ができたら、何よりもその個性を大切にしようと心に誓っていた。決して大人がつぶしてはならない。つぶさないぞ。私がそれを守るんだ。

 ちょっと構え過ぎたのだろう。
 まだ個性の概念がハッキリしない幼少期から、息子にそう伝えていたようだ。

 なにしろ息子は自分と全然違うタイプ。
 集中している時に邪魔されたと思いこむと、その場にひっくり返って泣きわめいた。当然、場所は不問。
 なかなか言葉が増えず、数字や文字に執着を示した。
 もっと話せるようになると起きてすぐから寝る間際まで喋り続けた。
 できないことにはチャレンジしようとせず、どんな風に促してみてもなだめてみても、とにかくパニックになって泣きわめく。
 幼いのに体を動かすのが好きになってくれない。
 イヤなことは後回しで、しつけや片付けはどんなアプローチを試しても全然身につかない。
 絵も字も書くのは好きではない。
 歌う時にはビックリするほど音程が取れない。
 虫にも鳥にも魚にも、人んちのペットにも、生き物に興味を示さない。
 不安が強くて緊張しやすい。

 接しながら戸惑いと不安でいっぱいだった。こんなでこの子は今後大丈夫なのだろうか。

 だけど。そういう部分を良い方に置き換えて考えてみる。

 集中力がある。
 数学の概念がきっと発達しているんだ。
 お喋りだって大好き。
 好きなことには強い好奇心を持って臨む。
 好きでさえあれば、身体を動かすのも動かさないのも関係なく楽しむ。
 自分のペースを大事にし、人のことも客観的に観察している。
 美しい景色を見て心を動かし、それを言葉にする。
 本も漫画も読むのが好き。
 音程が取れなくても歌うのが好きで、リズム感が良い。
 機械に興味を持ち、物を組み立てるのが好き。
 先の心配はするけど、失敗や後悔をあまり引きずらない。
 そして人の喜怒哀楽に寄り添える。それを言葉にする。人に対する誉め言葉も全然惜しまない。
 根が陽気で、笑顔でいることも多い。

 なんだよ。我が子だから可愛い上に、魅力的な部分満載じゃないか。

 だから「周りになんと思われようと、自分の好きな気持ちや感じる心を大事にするんだよ」と伝えていた。「個性を大切に」と。

 そしてそれがプレッシャーだったと、ついこの前言われた。

 「個性を大切に」の意味を、みんなより突出した部分として表現しなくちゃいけないと思っていたんだ。だけど僕は意外と内向的だし、皆に「こんな部分がある!」って目立つように無理して振る舞っていた時期がある。

 19歳の息子に言われて、そんな風に伝えたつもりはなかったと言いかけたけど、その弁解は違うぞと自分で思った。
 親がどう伝えたかではない。
 子供がどう捉えたか。
 それが大事だとずっと自分にも人にも言ってきたではないか。
 そんな風に伝わったのなら、私の伝え方に問題があったのだ。
 大切に思って言ってきたことが、息子にプレッシャーだったなんて辛かった。

 息子の個性は、わざわざ目立って伝えなくたって良い。「こんなことができる」「これが僕の個性!」って表現してもしなくても良い。
 そんなのわかっているよ。
 でも息子はアピールしなくちゃと思っていたんだ。
 

 「個性を大事にって言っていたのは、自分に言い聞かせてきたのかもしれない。周りになんと思われようと、って思っていたけど、それは母さんが自分の周りを気にしていたのかもしれないよね」
 田舎だから、息子の個性への理解が少なかったのも本当。幼稚園では、息子の個性を尊重してくれていた。でも小学校に入ってから、息子の絵について先生に指摘された。字についても言われ続けた。息子の特性や気質は無視されて、問題点ばかりを指摘された。
 息子はそんな学校のムードに、早々と「僕は受験して地域を出たい」と言い出した。それでも何年かは付き合わなければならないから私は何度も学校に足を運び、一人で、或いは友人たちも一緒に、時には夫も働きかけてくれた。
 でも息子に関しては何ができない、できると面談の度に言われ辟易した。
 この先生に子供たちの何がわかっているんだと思ったけど「私たち教師は、親御さんより一緒にいる時間が長いですからよくわかってます」と先回りされた。
 じゃあそれでその程度ですか。
 ……の言葉を飲み込んで帰るようになる。この人とはどんなに議論してもわかってもらえない。もうさんざんその先生と闘ってきた。
 中学生になったらそんな圧力も減って、個性的な子たちがもっといるからね。

 息子に伝えたその言葉が、息子をさらに窮屈にしていたなんて。

 市内にある中高一貫校は、息子と似たタイプの男の子たちが集まっていると友人のお母さんたちから聞いていた。

 息子は中学一年生の時、確かにヤケクソみたいに自分をアピールしているように見えたし、「僕はもっとみんなと同じで良いんだ」と時々泣くのを不思議に思っていた。


 それは私のせいだった。

 ずっと言えずにいたんだな。葛藤して辛かったんだろうな。たくさんの言い訳が頭を渦巻いたけど、まずは息子に謝ろうと思った。
 「母さんの概念のままに言ってたけど、キミの感じ方は違ったんだよね」
 「そのままで良いんだよ、って言うべきだった。ごめんね」
 

 でももし僕に子供ができたら、やっぱりそんな風に伝えてしまうかもしれないから良いんだよ。とフォローしようとする息子。

 「いや。違うと思ったんだったら、自分で中和してかみくだいて、自分の言葉ややり方で子供に伝えるのが良いよ」
と言うと、いったん納得してくれた。

 何をきっかけにそういう風なことを考えてわかってきたの? と聞くと、一人暮らしを始めてからと言う。

 同居していると無意識に受動的でいる。普通に暮らしていても、いつの間にか与えられるものがあって、日々自然に受け身でいる。
 でも一人だから、自分が動かないと何も起こらない。何も回転していかない。そうした中で何がしたいか、本当に好きなことは何かがわかってきた。自分が何者かを今模索しているところ。と話す。

 20代は自分をめいっぱい試す時期でもある。世代で決めつけることないけれど、一番自由に動けるのは、本当にそうなんだ。
 その後は生活環境や心の揺れで多少動きづらくなっていく。体力的なものもある。
 いつだって心は自由でも、やっぱり若い頃に自分を模索するのは大切な経験。安易に自分を決めつけるより、ずっと良いよ。

 「今自分でそう感じているのであれば、内向的でも、目立とうとしなくても、母さんはどんなキミでも大好きだよ」と伝えてリモートを終えた。

 喋り終わった後、本棚に駆け寄って手に取った小野修さんの「トラウマ返し」。

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 息子と話しながら頭をよぎった。15年ぶりくらいに開く。私の対応、大丈夫だったのかな。謝って良かったんだっけ。

多くの子どもたちは、「自分はダメな人間だ」「親はきっと私にがっかりしている」と思い込み、思い込まされています。親の期待に応えられないダメな自分を責める気持ちも、強く抱き続けています。
そればかりでなく、親に不満をもっていることは、他の人から非難されるだろう」「親を責めたり親とけんかをしたりすることは、いけないことだと世間の人には言われるだろう」と世間の目も気にしています。
子どもは「トラウマ返し」に行っても、自分のホンネを言ってしまうと親は傷つくと心配して、そうすることを避け続けます。(中略)
ここで必要なのは、親が自分自身をしっかりと見つめて、自分が子どもにどのような影響を与えてきたかを思い返すことです。その上で、時間をかけて親子の冷静な話し合いをします。これを繰り返すほかないようです。(中略)
親が少しも変わっていなければ、子どもはそのことをすぐに感じ取るものです。
母親がこの「ベキベキ病」「ネバネバ病」から自分自身を解放することができれば、この苦痛に満ちた子育てから解放されるのです。

 子供が親の育て方について、長年積み重なったものを打ち明けてきた時。
 軽々しい気持ちで表面的な言葉を交わすな、謝るも謝らないも親の気持ち次第で、心をこめて話しましょう、と書いてある。
 そりゃそうだよな。
 真摯に向き合えて良かった。

 この本、実は自分が母親に「トラウマ返し」した時に買った。罪悪感に苛まれ、又、母親としての態度はどうあるのが子供である自分にとって嬉しいのかを確認したくて。
 つまり逆の立場、思いをよく覚えている。ほんの15年ほど前。30代半ばに読んだ本だった。

 母さんだって、100パーセントの自信と信念で生きているわけではない。自分がベストだとか、いつも正しかったなんて思っていない。後悔している接し方なんて、頭を抱えたくなるほど思い出されてしまう。
 カッコ悪く、考え考え、迷いながら生きてきたし、これからもきっとそうだよ。話してくれたら、また考えるきっかけになるだろう。だからまた話してほしい。

 最初に聞いた瞬間は申し訳ない気持ちが強く、ガツンと打たれたような衝撃も受けた。
 だけど息子が自分で実感し発した言葉には成長を感じ、清々しい気持ちにもなった。
 少しずつ少しずつ、息子は自分の感じ方を知り、自分だけの道を歩き始めている。
 きっと大丈夫。それで良いから。これからも応援しているよ。


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