現代美術画家 川田祐子

鳥のさえずりに耳を傾け、自然から様々な気づきをもらいながら、軽井沢で制作活動中。You…

現代美術画家 川田祐子

鳥のさえずりに耳を傾け、自然から様々な気づきをもらいながら、軽井沢で制作活動中。YouTube「 画家川田祐子のGAKAラジ」配信中。画歴:https://kawadayuko.jp/bio 作品販売:https://kawadayuko.jp/atelier-gallery

マガジン

  • 画家川田祐子のニュースレター2018年ーNo.13〜24

    女性の画家がこの時代に生きて活動する、ある1年間の記録。2018年に毎月1回、独自配信した「画家川田祐子のニュースレター」をまとめたマガジンです。 春夏秋冬と移り変わる軽井沢での自然との対話、日々の生活の中で制作した油彩画、ドローイングなどを毎月数点画像付きで紹介しています。 画廊での展示のお知らせ、過去作品の裏話、進学の悩み、学生生活、留学への夢、画家になるほのかな芽生えなどが自叙伝で連載されています。

  • 画家川田祐子のニュースレター2017年ーNo.1〜No.12

    2017年に毎月1回、独自配信した「画家川田祐子のニュースレター」をまとめたマガジンです。 長野市から軽井沢町に引っ越しをし、春夏秋冬と移り変わる自然との対話、日々の生活の中で制作した油彩画、ドローイングなどを毎月数点画像付きで紹介しています。 美術館での展示のお知らせ、過去作品の裏話、お部屋の壁に作品を掛ける方法や器具なの紹介、愛読者様からのお便り、軽井沢アトリエでの制作風景、そして幼少期から始まる自叙伝の連載など。女性の画家がこの時代に生きて活動する、1年間の記録です。

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『プレイバックYouTub716:2020/10/27公開 GAKAラジオー12. 旅ー韓国・中国へのまなざし』

中国への旅は、中国人に長く住んでいらっしゃった年配の恩師に誘われたのがきっかけでした。先生は、ご主人が新聞社の記者で長く北京支局に勤務、それに同行されて20年程暮らしていたとか。 先生曰く、それは政略結婚だったそうで、中国美術史を研究するために都合の良い人を紹介して欲しいと人に頼んだのが事の起こり。お見合いし見事に結婚されて中国に渡ったのだそうです。その武勇伝を飛行機の中で聴きながら、この旅が始まったのでありました。 学生時代から密かに憧れていた先生。「自分も美大生の頃は、先生の授業を一番前の席で聴きながら、将来はドイツ語圏で美術史を研究する人でありたいという微かな夢があったのです」とはじめて先生に告白したのでした。 先生的には、私が作家であることの方が、大いに楽しみ、と仰ってくれたのでした。 ということで、北京では先生のツテで、北京美術学院の来賓用の宿泊室を安価で泊まらせて頂いたり、朝ご飯は、美術学院の教員用のテーブルで美味しい中華ご飯をタダで食べ、あちこち北京の画廊を案内してもらったり、現地に派遣されている日本人のご婦人に高級な上海ガニ料理をご馳走させる(現地に派遣されている日本人には、日本からのお客を接待する費用が会社から支給されているのだそうです)など、とにかく一人旅では知り得ない、世界を垣間見ることが出来ました。 この旅の最後の方で判明したことなのですが、先生は私を現地の中国人アーティストと結婚させる意図があったのだとか。 「中国のアーティスト達は、何とかして日本に住んで日本で発表活動したいと考えていて、今度来る時は、日本の若い女性を連れて来て欲しい、と頼まれていて、それで川田さんの顔が浮かんだのよ。」 そういうことだったのか、と思いましたが、私には当時全くピンと来なくて、結局先生は全くの的を外して残念がっていました。 私の中で憧れる中国人というのは、例えば諸葛孔明とか、老子とか荘子。仙人のような暮らしをしている人が好きな私。先生はそれを聞いて「そのような中国人はもうどこにもいない。」と一笑されてしまいました。まぁ、そうですよね(苦笑) 中国人のアーティストは本当に目がギラギラしていて、何かに取り憑かれているかのようにアートに取り組んでいましたっけ。 「古い中国が好きなら、瑠璃廠(るりちゃ)に行ってご覧なさいよ。」と先生が自由行動日に情報を下さったので、一人で自転車タクシーか何かを乗り継ぎながら、尋ねたのですが、その町が一番楽しい思い出になっています。 当時はあまり観光客もいなくて、静かな昔の中国の建物がずっと続く通りには、雑貨屋さんとか古本屋、中国茶のお店など色々尋ね、目的地は老舗の大きな画材店。キャンバスなんかを扱う画材店ではなくて、中国の伝統絵画を描くための顔彩や、墨、硯、上等な画材紙、画材用の絹、様々な文具が揃っていて、夢のようなお店でした。 お店の雰囲気も風格があって、店員さんも落ち着いて、丁寧に接して下さって、私は色々迷った末に、絵画用に滲み留めのドーサか膠引きされている無漂白の絹布を10m程購入。確か2万円くらいしたと記憶しています。 いつかそれを使おうと思いつつも、未だに手が出せないわけですが、それを使わなければ出来ない作風が思い付いた時に、とずっと大切にし続けています。 以前どこかで(たぶん海外)イヴ・クラインのキャンバス作品で、キャンバスに雁皮和紙を貼り付けて描いた地味な、痕跡のような現代絵画を見たことがあるのですが、その画肌のきめの細かさ、光沢が何とも魅力的で忘れられません。 この絹をキャンバスに貼ったら、どんなことになるだろうか?と構想しながら、いつか形になるのをほくそ笑みながら、既にもう15年の月日が経ってしまっています。

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      『プレイバックYouTube16:2020/10/26公開 GAKAラジオー11. 旅ー韓国へのまなざし』

      今さらですが、もう一度聞いてみると、結構一人語りも良かったかもしれないと自我自賛しています。 滅多にコメントも入らないので、自分で自分を褒めることで、やる気を奮い立たせているだけですが。 BGMもちょっと落ち着いた感じのものを選んでいて、自分らしい雰囲気。 韓国や朝鮮半島の歴史については、いつも関心を持っていて、YouTubeでも色々な動画を見ています。ずっと前からチャンネル登録をしているのは、JINさん。以前は留学生JINというチャンネルでしたが、今は大学を卒業してプロのYouTuber。奥様も韓国人ですがお二人とも日本語がお上手。韓国での「親日派」というのは、微妙に日本で使われている意味とは違うこととか、政治、文化について流暢に解説してくれます。 その他、北朝鮮脱北者のチャンネルも二つ見ていて、一つは川崎栄子さんという年配の脱北者。在日韓国人として、北朝鮮への帰国事業に扇動されて一家で日本から北朝鮮に移住後、大変な経験を経て日本に帰国。脱北者支援団体の顔になっている人物。しっかりとお話しされ、歴史の生き証人として貴重なお話を語り続けていらっしゃいます。 もう一人は、比較的最近脱北された若い青年で、お父様がもともと中国人だったようで、最初にお父様が中国に脱北してその手引きで韓国にまず逃れたものの、韓国の社会に馴染めずに日本に留学されて、これまたすごく流暢な日本語。世の中には、こんなに苦労しながらも決して卑屈になることなく、誠実に前向きに生きている人がいるのだなと、とても良い影響を頂いています。 そして、韓国の女性で韓国コスメを紹介している会社員Jチャンも大変流暢な日本語、彼女は日本に留学したわけでもなく、とにかく日本語を勉強するのが好きで、日本語を話しながら自らの荒れた敏感肌のすっぴんをどのように解決してお化粧するかを教えてくれるのですが、このテクニックを学ぶために80万円もかけてフランスにエステの勉強に行ったり、さまざまな韓国で有名なメイクアップアーティストさんにお化粧してもらったりと、大変大掛かりなチャンネル展開。スケールが大きくて、尊敬の眼差しで見てしまいます。 このように朝鮮半島には、日本の平和ボケしたような、ゆるーい人間性とは異なり、本当に「生きている」と言える、実在感の強さを心地よく圧倒してくれる人がいるのです。 こういう実在感が、アートに案外重要と昔から感じて来ている私。さまざまな人との出会いを、これからも語れる人でもありたいと思っています。

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        『プレイバックYouTube15:2020/10/25公開 GAKAラジオー10. 北海道立釧路芸術館所蔵作品「海底の春」』

        昨日は、『画家川田祐子のニュースレターNo.55』を配信したり、その前の晩はYouTubeの動画を編集してアップするためにかなり遅くまで起きていました。そこでようやく自分を許せて、note記事のアップを1日お休みしました。ちょっと悔しい。何かを始めると、止まらなくなる性分。上手な休み方や気の抜き方が未だもって上手に出来ません。「悔しいと思わずに、もう少し余裕ある自分で良いのだ」と自分を慰めることにしました。。 このGAKAラジオー10回目の配信の頃も、毎晩深夜の2時頃まで起きて編集していました。次の日の夜9時配信と決めていたので、早めに切り上げて、次の日の朝に続きをすれば良いとは思っていても、どうしてもやり始めたことを途中で止めることが出来ないでいました。それだけ楽しんでいたとも言えるかも知れませんが。 毎日の制作は、実際とても単調です。1998年ごろからずっと、ほぼ毎日制作し続けています。もちろん怪我で入院とか、父が無くなった時とか、色々な不足な事態はおきましたが、それでも何らかの方法で工夫しながら続けています。日々の制作の過程では、どのくらいのリズムで進めればどのくらいで作品が形になるか?が身体感覚でわかっているので、それほどスリリングな感覚を味わうことはありません。 そこで、マンネリ化しないようにするために、わざとハンディを自分で自分に課すわけです。そのハンディが、読書だったり、衣服作りだったり、PrimeVideoだったり、YouTubeやこのnoteです。制作には完全に足枷になります。それでも敢えてするのは、段取りとか、時間調整とか自己管理を工夫しながら、制作に必ず良い経験になるからです。 動画編集しながら、何を自分がしたいのか、なぜこれをしたいのか、ずっと考え続けることになります。頭の半分は、「作品制作に専念すれば楽なのに」と言う声が聞こえているのですが、それでも今これをしなければならなに理由をずっと考えるわけです。すると、逆に「制作する作品がなぜこれなのか?なぜこうするのか?」も必然的に考えることになるわけです。 そのなぜ?という問いは、一人で制作しているだけでは案外出て来ないもの。私の場合、何かと辻褄を合わせなければならない時に、初めてそうせざるを得なくなるのです。 軽井沢で制作するようになり、本当に「なぜあなたはこうするのですか?」と聞かれることがなくなりました。画廊で発表する機会が減り、お客様と話をすることもほとんどなくなりました。そこへ来て、このコロナ。ますます社会から離れ、自己管理が重要になって来ます。 「画廊で発表するのが難しいからこそ、何か別の方法で、社会への窓口をもうける必要がある、そう自分で判断してYouTubeを再開した」それが私の答えでした。それまで本当にコアなお客様たちだけに開けられたニュースレターと言う窓。それを5年続けて来れたことが、バネになり、YouTubeと言う窓枠をもう一つ作るという意気込みを後押ししました。 この動画では、北海道から視聴して下さった人から応援のコメントが入りました。都内の画廊で発表していた時には味わえなかった感動です。そのような感動が、制作への大きな糧になって行ったのでした。

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          『プレイバックYouTube14:2020/10/24公開 GAKAラジオーGAKAラジオー9. 画家というイリュージョンを塗りかえる。』

          この回では、「画家」と名乗る理由をずっと話しています。 作家活動を始めた頃は、色々な人から職業を聞かれたり、自己紹介したり、名刺を渡さなければならない場面があって、その度に自分の職業名を言わなければならず、何かにしなければならないと考えれば考えるほど、わからなくなるという悩みにぶち当たっていた期間があります。おそらく10年くらいは悩み続けていたと思います。 吹っ切れるようになったのは、2012年に長野市に引っ越しをして、寄付を集めざるを得ない境遇に陥った時でした。 「私は画家なので、お金に困っても仕方がないのだ。」と自分の状態をそのまま受け入れ、 「作品を売りながらここまで来れたけれど、美術館所蔵の作品もあるのだけれど、私はまだ制作を安定的に続けられるほどにはなっていない画家です。」と正直に認め、理解ある人にご支援を仰いだのです。 その瞬間に私は心の底から「画家である」と思えるようになっていたのです。不思議です。ですから、私自身の経済的危機は、むしろ私自身を大きく変えたことになりました。 ですから、それからは、人から「え〜?画家?」って聞き返されても、「そうなんです。画家でしかあり得ません。」とはっきりそうなったのです。 それまでは、どこかに「画家と名乗って良いのかしら?」「画家と名乗れるのだろうか?」とか「画家では信用してもらえないのではないか?」などと、ごちゃごちゃ、ごちゃごちゃ考えてしまう私でありました。 当時は本当に必死でした。このままどうなってしまうだろう?長野市には知り合いが1人もいなかったのです。普通なら心細くなっておかしくなったと思います。でも私は当時Twitterもしていましたし、ブログも書いていましたし、そこから繋がっている人が何人もいて、さらに作品を買って下さっているお客様や相模原市で知り合った心ある方々に恵まれていて、誰一人として私を非難することはなく、むしろ心からご支援の手を差し伸べて下さいました。 その中には、さまざまな方々の顔がありました。面識もないのに、遠い場所から作品を買って下さる方、たまたまブログと出会って大作まで買って下さった方、見知らぬ名前で郵便局口座に支援金を送って下さった方、何度も何度も忘れた頃にメールが届き、そして次の日には支援金が送られて来るとか。筆を買って送って下さった人もいましたし、とにかくここには書き切れないほどのご支援を集めることが出来たのでした。 本当に心から感謝の気持ちでいっぱいになりながら、ずっと制作の日々を送っているのです。 「これが私にとっての画家という生き方です。」 画家になりたいとか、画家になるにはどうしたら良いか?と度々聞かれて来ましたが、画家とは自分から意図的になれるものではないのではないか?とも思います。 「心から自分は画家なのだ、画家以外にあり得ない、という境遇になる瞬間が与えられて、はじめて自分は画家だと自覚した」というのが私の結論です。

        『プレイバックYouTub716:2020/10/27公開 GAKAラジオー12. 旅ー韓国・中国へのまなざし』

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        • 画家川田祐子のニュースレター2018年ーNo.13〜24
          12本
          ¥1,000
        • 画家川田祐子のニュースレター2017年ーNo.1〜No.12
          12本
          ¥1,000

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          『プレイバックYouTube13:2020/10/23公開 GAKAラジオー8. 作品の物語性ー『ここに泉あり』にまつわる話』

          このサムネにした『ここに泉あり』は、本当に不思議なこととか、悲しいこと、色々起きた作品でした。ラジオ配信では、その半分くらいしか話していません。話している内容も、不思議ですが、話していない部分も結構不思議というか因縁めいている内容です。その中でも比較的話せることで言い逃したことを、ここに書いておくことにします。 この作品をキリスト教会の牧師さんが見初めて、某短大の体育館建設記念に、この作品が寄贈されたのですが、その時にこの牧師さんが、私の作品をよく理解して下さって、記念式典の時に熱心に解説して下さったのです。本当は私がその場所でレクチャーすることになっていたのですが、私がしゃべるはずだったことを、全て言われてしまって、私も言葉を失いました(もちろん良い意味で)。 それで、そういう気持ちがすごく私も腑に落ちて、やっぱり絵画作品の力はすごいなと思いました。 どういうことかと言いますと、私は学生時代に美大を休学してドイツに遊学に行き、ルーカス・クラナッハの作品をヨーロッパのあちこちの美術館や教会やゆかりの地を巡りながら、自分の目で見て回ったことがあるのです。その時に、カトリックとプロテスタントの大きな違いを知りました。カトリックでは偶像崇拝なので、具体的にはキリストの磔刑の生々しい姿が必ず教会の中に彫像や絵画として展示されているのですが、プロテスタントではそのような具体的な姿を展示することがありません。 ですから、マルチン・ルターと親交のあったクラナッハはキリスト教絵画よりも、ギリシャ神話の主題を描いた絵画が主流。もちろん例外はあって、聖母マリアの肖像なども残っていますが、教会に展示されるというよりも、貴族たちのプライベートな部屋に装飾として飾られるというようなニーズに応えるものでした。そのように、私はクラナッハを通して、プロテスタント的な考え方が、身体に染み込んでいた事を、この作品『ここに泉あり』から改めて気が付づくことになりました。 その牧師さんがまず、プロテスタント教会の牧師さんだったのです。そしてその牧師さん曰く、この作品を見た時に、まずは具体的なものを描いていない点が、プロテスタントの学校にピッタリ合っていると直感したと仰っていました。 言われてみて、私自身も咄嗟にクラナッハがこのような形で、作品に染み込んでいるものなのかと驚きました。そしてさらに、この作品が牧師さんによって『ここに泉あり』と改名された時に、私はルーカス・クラナッハの代表作の一つ『若返りの泉』(ベルリン美術館所蔵)(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Lucas_Cranach_(I)_-_Jungbrunnen_-_Gem%C3%A4ldegalerie_Berlin.jpg) を思い出したことは言うまでもありません。この作品を見に、かつて学生時代にベルリンを訪ね、更に足を伸ばしてと旧東ドイツの旅をしたこともあるのです。当時の旧東ドイツには、クラナッハゆかりの地があちこちありましたから。 この作品、本当に細かくたくさんの人物が生き生きと描かれていて、素晴らしい絵です。大きなプールのような泉に、老婆たちが大勢押し寄せて、その中で水浴びしたり泳いだりしている内に、皆若々しい少女の姿に変身してしまうのですから。なんとも微笑ましいというか、大胆極まりないというか、この絵には宗教的な信仰と言うような世界はなくて、世俗的で現世利益的な世界が繰り広げられていて、日本人の私にもどこか馴染めやすかったり、気持ちが通う絵画でした。 もちろん、私の制作する絵画作品にこういう具体的なモチーフは出て来ません。むしろ自分が感じた経験や見たもの、さまざまな要素が溶け合い、熟成されて、無意識や潜在意識に蓄積されていたものが、何かの瞬間に私の指先から流れ出て来る、そんな感じがしています。そしてそのような深いところから出て来たものは、その作品が必要としている人を、何んらかの方法で呼び寄せてくれるということも、ここに書いておくことにします。 それは私が意図的にしないことで起きることです。私が無意識を完全に信じ、委ねた時に、作品がそうしてくれることなのです。不思議ですよね。だからそのことを完全に安心しきって、制作すれば良いのです。これを信じることが出来ないと、作品には全く不都合なことを、自分で良かれと思って、的外れなことをしてしまう。そういう失敗も何度か経験すると、そういうことだったのかと気が付いていくことになりますが、なかなかわかっていてもこの事を体得するまでにはずいぶん時間がかかったものでした。 話を元に戻しますと、そう言うことで、私が具象絵画を制作しないわけが、やっと自分でも納得出来た経験になりました。世の中には、たとえ日本であっても、このような具体的な絵画でないことが望ましい、と言うようなシーンがあるのだなとも思い、この路線で制作して良いと後押しされたような気にもなったものでした。 という事で、ラジオで話せず、ここにも書けないこともまだまだあるわけですが、それが気になりますよね。気になるでしょ?私もちょっと話してみたい気持ちはあるのです。でもそれは、もう少し5年くらい経たないと、言ってはいけないような気がしますので、まだ心の底に温めておこうと思います。

          『プレイバックYouTube13:2020/10/23公開 GAKAラジオー8. 作品の物語性ー『ここに泉あり』にまつわる話』

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          『プレイバックYouTube12:2020/10/22公開 GAKAラジオー7. 絵画作品の鏡性ーそれは異次元世界への扉』

          この動画からBGMを変えました。当時は、ネット上でFreeの音源を拾っていましたが、後からYouTubeのBGMのライブラリーから自由に使わせてもらえることを知り、今はもっぱらYouTube Studioのオーディオライブラリーを活用しています。 私は元々音楽も好きなので、好きな曲をバックに喋りたいのですが、著作権の問題があって自由には出来ません。それと最近は、滅多に音楽を聴くこともなくなって来ました。なので、オーディオライブラリーは助かりますし、音楽をセレクトするために色々聴くのも楽しい時間ではあります。 しかし、長野県に越して来てからは、本当に音楽を聞かなくなりました。こちらで生活していると、日常の中に気持ちの良い鳥の囀りをたくさん聞けるので、音楽を聴いてしまうのは、本当にもったいないことだと思ってしまうのです。 現在住んでいる軽井沢では、季節によって、聞こえてくる鳥の声が違うので、とても毎日が楽しい。最近までは、カッコウが盛んに鳴いていましたが、今日は鳥ではなくリスのようなモモンガのようなキャッキャ、キャッキャしている小動物の声が聞こえていました。 住まいのそばに大きな栗の木があって、秋になるとクマも出没するらしいです。軽井沢町の町内放送で警戒注意報が出たり、宣伝カー?が巡回して来て、「この地域にクマが出ました。」とアナウンスが聞こえて来ることもあります。クマには、一度もお逢いしたことありませんが。 話しがそれますが、これまでにキジやたぬき、キツネなど色々見ることが出来ていて、今日などは大きな亀と道端で逢ってしまいました。本当にびっくりです。この辺は湿地帯なので、どこかに潜んでいたのが、お天気になって甲羅干しのお散歩に出て来たのでしょうね。亀は長寿やお金のシンボルでもあるので、何か良いことの前触れかもしれません。 このように、軽井沢での生活は、やはり都会とは全然違う環境の中にあります。 そういう環境の中で生活していると、不思議なことも多々起きてきます。そこで、なぜそのような不思議なことが起きたのだろうか?とゆっくり考える時も、とても楽しいものです。そしてネットやYouTubeで何か参考になることが上がっていないかどうか調べると、たくさん都市伝説のようなことが出てきます。その中で、一番面白いのは、多次元宇宙を解説している動画です。科学的根拠から説明してあるものもあれば、都市伝説のように、人から人へとコピペが繰り返されているものも多いです。 そのような動画を見ながら次第に、なぜシュールレアリズムの例えばダリの絵画が紹介されないのだろう?と思うようになって来ました。ダリは、時間や夢、集合無意識、というようなテーマで作品を色々残してくれています。かなり異次元世界について調べた上で描いていると私は見ています。そういうことをやがてまとめて話していきたい、という気持ちを高めながら、それへの準備としてこの動画を編集し配信したものでした。

          『プレイバックYouTube12:2020/10/22公開 GAKAラジオー7. 絵画作品の鏡性ーそれは異次元世界への扉』

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          プレイバックYouTube11:2020/10/21公開 GAKAラジオー6. 気になる作家ーブリジット・ライリー

          この動画で大きな失敗をしてしまいました。サムネに貼り付けた私の作品『花望氷』をブリジット・ライリーの作品だと勘違いして絶賛したコメントが入ってしまったのです。サムネに貼り付けた作品画像の脇に、川田祐子作『花望氷』と明記するべきでした。 そのコメントは、後にご本人が編集して訂正されて違う文章になっていますが、「やっぱりブリジット・ライリーの作品の方が素晴らしい。」というような書き方で、「いやいやすみません。これも私の作品です。」と書いた次第です。 きっと冷やかし程度のコメントだったのかも知れませんが、私は年甲斐もなく、妙に真剣なで純粋なところがあって、間に受けてしまい、しばらく気に病んでいました(意外に気に止むタイプ)。 作家が有名な作家の作品を取り上げて話すなんてことは、「一体何様ですか?」と思われやしないかとも思っているところもあるのですよ。本当に。これでも。 しかし私の理想の社会は、「個々人が、自分の価値観に自信を持つ社会。はっきり自分の意思で、自分の考えを言える社会。」なので、育つ過程で教育され擦り込まれている同調圧力への過敏症をグッと乗り越えて、動画を配信しています。 アーティストは、社会のアウトローとかはぐれものという側面がありますが、そういう存在が必要不可欠である時代があります。それは昨今のような不安定な時代。 安定している社会では、社会に従順な人間が社会を動かしていきますが、不安定になると、従順な人間では不測な事態に対応が出来ないものです。 自分の責任で、即座に的確に判断し動ける人間。空気を読まない人間の方が、思い切ったアイデアで、苦難の時代を乗り越えて行くものです。 私はそういう人が、今沢山必要と感じています。ですから、社会のはぐれ者が、「思い切って発言する時は今なのだ、そうだ今しかない」そう自分に言い聞かせて、動画を配信し続けて行ったのでした。

          プレイバックYouTube11:2020/10/21公開 GAKAラジオー6. 気になる作家ーブリジット・ライリー

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          プレイバックYouTube10:2020/10/20公開GAKAラジオー5. 静かな野望ー時代やイデオロギーを超えて。

          この動画を収録している部屋は、私が寝室に使っている北の7畳程の洋室。真北に角合わせで小さな2つの窓。どちらも鬱蒼とした木々に包まれていますが、その向こうには浅間山が隠れています。今は夏なので、この窓からとても涼しい風がそよそよ入って来ています。この時期に、この窓から差し込むグリーンの光で目覚める朝は最高です。 しかし、この動画を収録していた時期は、徐々に風が冷たくなり、木々の葉も一斉に落ちて、防寒用に半透明のプラ段板を取り付けてしまう頃。それでも底冷えするこの部屋にPCがあるので、私は椅子におばあさん座り(椅子に座布団を敷いて正座)して編集作業をしていました。 当時は、ノートPCを買ったばかりで、このもともと持っていたMacProと画面共有するというような小技を知ることなく、随分と無駄な作業で時間を浪費していました。とにかく2009年に購入のMacProはスペック的に、思うように動いてくれません。購入当時は、ビュンビュン働いてくれていたのですが、最近のスマホのような動きはしてくれないのです。 動画編集に必要なサムネ画像は、デスクトップのMacProで、そして動画編集は持続か給付金で購入したMacBookProで。しかしその間を行き来するファイルの移動に大変な時間がかかってしまい、深夜2時過ぎまで作業が終わることがありませんでした。それでも制作と、ニュースレター配信と、新作作品の画像をWEBサイトにアップしたり、当時はFacebookで配信のお知らせをしたり、とにかく毎日一人休む暇もなく忙しくしていました。 これが「貧乏暇なし」なのだ、と自分ではいけないいけないと思いつつも、こういう性格がなかなか治らないままでいました。 それでも音声を収録するときは、なるべくゆっくり話して、忙しさが表に出ないようにしています。 編集の何が大変かというと、余計なことを喋ってしまった部分をどのようにカットして20分に収めるか、ということ。なぜか訳がわからないのですが、当時の私は、20分に納めることに大変こだわっていました。喋り過ぎた時は、撮り直したり。その手間を省くために台本とかメモのようなものを用意すれば良かったのですが、私はそういうことが苦手です。とにかく私の関心は、自分の中に埋もれている心の声というものがどういうものかを、この収録によって探り当てたかったのでした。 喋りはじめて、あらためて自分がこのようなことを考えているのかと、驚くことが多かったのでした。ずっと人と話をしないということは、このような状態になるわけで、私にとって、YouTube収録配信は、自分を知るためのツールの一つでもあったのでした。

          プレイバックYouTube10:2020/10/20公開GAKAラジオー5. 静かな野望ー時代やイデオロギーを超えて。

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          プレイバックYouTube9:2020/10/19公開 GAKAラジオー4. 繭ー私の描く世界

          この動画で失敗した点は、画面が勝手にトリミングされたまま配信してしまったことです。当時は、iMovieの編集技術が未熟で、なぜこのようなことになってしまったのかすらわからないままでした。今から思うと、本当にお恥ずかしい限りです。毎回の動画は、私の作品画像を紹介するという意味もあったので、本当にショックでした。こういう微妙な不具合を後から修正できたら良いのですが、YouTubeの編集サイトでは、そのようなことにはなっていなかったのでした。 私は器用と思われている点もあるのですが、本当は不器用。一つ一つ苦労しながら、なんとかやっている程度です。いつも自己流なので、人に教えることも出来ません。その代わりに、私しか知らない裏技を発見することもあります。 制作も同じです。制作のノウハウなどを人から学ぶということが出来ない性格。自分なりにあれこれ調べたり、歩いて見に行ったり、何気なく人の後ろ姿とか言葉尻、書籍やインターネットからこっそり習得するタイプ。面と向かって、「ここはこうする、あれはこうすべき」と言われた途端に嫌になる人なのです。 これは幼い頃からの私の持って生まれた性格です。実は、亡き父は無名の書家でした。小学校に入る前に父から書道の手解きを受けたことがあ理ました。しかし生意気にも「お手本の真似をしたくありません。」とはっきり言い張り、父は激怒!「二度と教えてやるものかっ!!」って父は悔しそうに言い放ったのでした。 父が亡くなる数日前に、このことをふと思い出してしまい、私は大変心を痛めました。父から素直に書道の手解きを受けていたら、どんなに父は喜んだろうか…….。そのくらいの親孝行をしても良かったのではないかと。今更後悔しても仕方ないのですが。親不孝というのは、そのように結局自分が自分を痛めることになるのだなとも思いました。 そのように根っから人から手解きを受けるのが苦手な私は、唯我独尊の画家の道を選んでいました。日本では、伝統芸能のような絵画の世界もあるのですが、私ははその中には所属していません。最初から「天上天下唯我独尊」。 不器用でも、親不孝も乗り越えて、女一人、画業の道を突き進むのが、私らしい生き方なのです。この動画「繭ー私の描く世界」もそういう内容を語っております。

          プレイバックYouTube9:2020/10/19公開 GAKAラジオー4. 繭ー私の描く世界

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          プレイバックYouTube8:2020/10/18公開 GAKAラジオー3. とりとめなく、今の時代の絵画制作を語る。

          この動画で、ようやく落ち着いて話しが出来ているでしょうか?相変わらずとりとめなく話していますが。チャンネルの目的などは何も考えずにはじめたGAKAラジオ。きっとコアな人が、寝る前に聴きながら途中で寝落ちしてしまう程度のものだったと思います(苦笑)。それで良いと自覚しての配信。 当時私も実は、スマホでYouTubeの音声を聴きながら眠りについていましたから。 私が当時聞いていたのは、主に都市伝説系。山口敏太郎さんのチャンネルは、毎晩配信されていて、妖怪だの、予言だの、UFOなどとにかく、昔祖母から聞いた話しに似ていたので面白くて、ニヤニヤしながら聞いていると眠ってしまうのでした。 子供の頃、祖母から色々な話を聴きました。例えば「近所の女性が出産したら、牛の顔の子供だった」、子供ながらにその顔を思い浮かべて「ひぇ〜、怖」。 それから、私の母が3歳の時に丹毒という細菌性の病気にかかって、死ぬ寸前に曽祖母が裏のお稲荷さんにお参りしたら、大きな白い狐が空を飛んでいった」、内心(白い狐がどうやって飛ぶのぉ?)とか。 「近所の女性が婦人病で入院して手術したら、卵巣から髪の毛や歯が出て来たんだって。」、「何それ!????」とか。 「近所のお婆さんの片目が潰れてしまったのは、こういう因縁らしい。云々….。」そういう話を子供ながらに聞いて、ゾクゾクしながら迷い込んだ異世界。 これと同じものが、この山口敏太郎さんのチャンネルにあって、「そうか、配信する内容は特に役立つものとか、お得な情報とか、真事実である必要はなくて、一つの世界が垣間見れたらそれで十分なのかもしれない」と私は思うようになり、肩の力を抜いて配信することが出来たところがあります。 もともと絵画制作について、「こうあるべきだ」というような強い主張は全く私にはありません。あまり真面目に語りすぎると、そうではない意見や矛盾がすぐに露呈してしまいます。そうかといって、真剣に絵画制作に向かっている人に、逆撫でするような内容にはしたくない。何気なく話しているようですけれど、実はこれまで出会った作家さんたちの顔を何人も思い浮かべながら、この人が聞いたらどう思うかしら?あの人にこの話は矛盾していないかしら?と、結構配慮しながら話している自分があります。 人から「川田さんのようには誰も出来ない」とは、よく言われることです。自分ではそうは思っていなくて、私は結構ありふれた人間だと感じているのですが。 そういうわけで、緩やかに一歩一歩配信しはじめたわけですが、結構毎日収録、編集に時間がとられてしまい、制作と並行してしていくのは大変になって行くのでした。

          プレイバックYouTube8:2020/10/18公開 GAKAラジオー3. とりとめなく、今の時代の絵画制作を語る。

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          プレイバックYouTube7:2020/10/17公開 GAKAラジオー2. 軽井沢移転のきっかけ。

          この動画で、ようやくサムネ画像付きのラジオ配信ができました(汗)。もちろんBGMはまだ編集で被せているのではなく、ノートPCで再生して聴きながら話しています。この音楽の影響でゆっくり静かに話せていたかもしれません。結構こういう音楽好きですが、レトロな匂いがするのも確かです。 私が中学生の頃は、ニッポン放送の『オールナイトニッポン』という番組が流行っていました。ラジオ番組が多くの若者たちに支持されていた頃の話です。クラスの同級生たち、特に男子たちが毎晩放送をラジカセに録音して、教室に持って来るのです。その録音テープをもう一度再生して、休み時間に友達同士で、ワイワイしながら聞き直していました。笑福亭鶴光さんがDJでしたか。 当時はインターネットやスマホ、SNSがありませんから、このラジオカセットが若者たちの心の隙間を埋めたり、お互いに交流しあう最新式のツールでした。 DJが視聴者たちから毎日放送局に送られて来るたくさんのハガキから、セレクトして読み上げます。匿名希望とか、ペンネーム○○とか、楽しい名前がありましたっけ。その人たちの質問やお便りが、私たちの声でもありました。「そうそう」とか「私も」とか、心が通じ合ったものでした。 そればかりではありません。そのラジオ放送の語りと語りの間には、必ず当時の流行歌が、視聴者からのリクエストとして流されていました。その中でよく流れていて、私の記憶に残っているのは丸山圭子の「どうぞこのまま」。 https://youtu.be/Ik3a5qE18n4 なぜかこの曲はテレビでは放送されないのに、ラジオではじゃんじゃん流されていました。ところがその曲調がテレビにはない、ラジオ独特の密室世界にピッタリマッチしていて、なんだかアンニュイというのか、若者の社会を見る白けた目を代弁しているかのような、大人への扉になるような音曲に聞こえたものでした。 この動画のBGMは、YouTubeで無料で使用できるものの中から選んだと記憶していますが、たくさんの中から、「あ、これ。」と思った背景には、この「どうぞこのまま」があったせいです。昭和50年代の香り。この感覚、『わっかるかな?わからないだろ〜な〜。』 そのような深夜のラジオ番組風に、「画家川田祐子が自分の生活風景を語りで描写する」そういうコンテンツ内容で、コロナ禍の重い雰囲気の中、GAKAラジオが歩み始めたのでありました。 ちなみに、丸山圭子の「どうぞこのまま」をカラオケでめちゃくちゃいやらしく歌うのが、若かりし頃の私のストレス解消方法だった時があります(苦笑)それは画家になる以前の、もはや化石とも言える、人間川田祐子の神秘の化身の一つの現れ方なのでした。

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          プレイバックYouTube6:2020/10/16公開 GAKAラジオー1.はじめました。

          5年の月日が流れ、そしてこの「GAKAラジオ」。大失敗の再開第1回目。BGMを編集で後から被せるという技術も知らず、BGMを小さい音で流しながら収録しました。雑音も入っているし、そもそも画面真っ黒!サムネ画像をずっと流す予定だったのですが、その方法すらわからず悪戦苦闘の末がこの何もない画面となったのでした。 久しぶりにiMovieを開いてみたら、かつてどのように動画を編集していたのか、全く忘れてしまっていたのです。その上、以前MacProでの編集と、コロナ禍で個人事業主として、給付金を受けて設備投資したMacBookProに入っていたiMovieとは、また使い方が微妙に変わっていたりと、本当に苦労して編集しました。 全くどうしようもないものでしたが、なぜかFacebookで告知したら、結構反応があり、大変励まされたのでした。 この収録の背後にあった私の中でのイメージは、大原麗子(ハードル高すぎ)。昔懐かしい石立哲也主演のドラマシリーズ「気まぐれ天使」でヒロインの大原麗子が普通のOLなのに、隠れてラジオDJの副業をしているというドラマ設定。 私が中学3年生頃でしたか、再放送を見て密かに憧れたまま、すっかり忘れていたところ、昨今は、YouTubeに沢山この種の懐かしい石立哲也主演シリーズが無料で見れるようになっているのでした。たまたまヒットして、久しぶりに見てみると、大原麗子は本当に絵に描いたような美人ですよね〜。平成元年に放映されたNHK大河ドラマの春日局役も素敵でした(リアルタイムでは見ていませんでしたが、ずっと立ってからアーカイブで視聴しました)。 ちなみに、私は女子美大出身なのですが、金工室に大原麗子のモノクロ写真が飾ってあったのを記憶しています。女子美に何かの縁でいらして撮影された記念の1枚なのだと聞きました。 石立哲也のような人柄も、昨今はトンと見かけなくなりました。義理人情に熱かったり、どこか後ろ姿が寂しげであったり、ひょうきんな一面もあったり、しっかりしているのかいい加減なのかわからないような飄々とした人柄。こういう人、どこへ消えてしまったんでしょう。この人独特の持ち味でした。 話を元に戻しますと、そういうことで、せめて口調だけでも、空気だけでも真似てしゃべってみたのがこの音声。顔が出ない分、これはこれでよかったのかも知れません(苦笑)。が、ちょっとお色気路線な音声のように受け止められてもまずいと思い、少しずつ修正して今があります。 自分では自分の声というのは客観的に聞こえ難いので、YouTube上で聞いてみて、初めてこういう音声なのか、と不思議な気持ちで私自身聞いているところです。

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          プレイバックYouTube4:2015/04/23公開 フローティング・キャンバスー実演

          ハッチングとスクラッチという技法で描く画家 川田祐子の制作風景シリーズ。この動画では、フローティング・キャンバスを組み立てる作業をご紹介しています。フローティング・キャンバスって、普通のキャンバスとどう違うの?という話は、この前に配信した『フローティング・キャンバスー道具』でも説明しています。 https://youtu.be/Bj5t0UMHbwE この動画を配信した当時は、このようなキャンバスのヘリに釘の見えないタイプのものを、どのように作ったら良いか?あまり情報がない頃でした。当時銀座などの画廊で発表されている現代絵画はほとんどがこのタイプ。 額装をしない、少し集めのキャンバスというのは、おそらく川村記念美術館所蔵のロスコー絵画の影響が大きいのではないかと私は感じています。木枠が分厚くて(普通の材木で作った手作りの木枠なのでしょうか)この側面にも色彩を施すかどうか、というのも専門家の意見の分かれるところで、画廊やコレクターの意見としては、額装の手間が省けるのでこのタイプが望ましいようでした。一方美術館学芸員や美大関係者からは、「絵画は平面であるのが原則、側面に筆を入れたら立体作品になるからNG」というご意見もありました。 2005年にドイツで沢山の現代絵画を見て、キャンバスの側面がどうなっているかを見て来ていた私としては、そのようなことは作家のさまざまな工夫があり、どれが正解でどれが好ましいかを判断するものではないと言う意見でした。 ただ確実なことは、現代アートでは、額装が権威的な象徴であると忌み嫌われ、取り払われたということです。これまで欧米をあちこちを歩き回って来ましたが、どこの展示風景でも、現代絵画に額装をした例がありませんでした。この点は、日本の公募展や団体展の風習が、一昔前のものであるという感じが否めないのは、私だけでしょうか? 結果、私は額縁に入れず、さりとて側面に釘は見せたくないし、当初は側面を厚くして(キャンバス木枠を二重にしていました)、ハッチングの線描も入れた時があったのですが、あまりにうるさく言われるので、現在は厚みを普通にして、何も手を入れない、キャンバス布が見えている状態のままにしています。どのような素材で出来ているのかを見てもらう表現に落ち着きました。 この動画を配信したことで、国内キャンバス木枠メーカーの老舗、マルオカ工業さんから、私の公式サイトのリンクを貼りたいという申し出を頂きまして、アーティスト紹介ページの一番最後に、リンクボタン「Yuko KAWADA」で私のサイトに飛べるように、2015年ごろからずっと公開して下さっています。本当にありがたいことです。 https://maruoka.co.jp/artist/ 私自身もずっとマルオカ工業さんの木枠を使い続けています。 また、この動画を見て下さったある作家さんが、長野市のアトリエまで作品を買いに来て下さったこともありました。その女性は、長く木製パネルに紙張りして作品をずっと制作して来たらしく、私のこの動画でフローティング・キャンバスのノウハウをチェックし、さらに横須賀美術館での展覧会のギャラリートークにも参加されたということでした。 ということで私としましては、結構配信効果のある動画になったという実感があります。 「YouTubeの登録者数とか、高評価数とか、視聴回数、そういうものにこだわる必要はない」というのがこの動画から得た教訓です。 この動画では、軽快な音楽で、早回しで作業を見せていますが、いつもは鳥の囀りに耳を傾けながら、のんびりマイペースで組み立てています。こういう作業も結構好きで、自然の木材の香りととか、肌触りを感じる瞬間を大切にすることで、制作への意欲を掻き立てています。

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          プレイバックYouTube5:2015/04/23公開 フローティング・キャンバスー道具

          長野市にアトリエがあった時に撮影、編集して配信した動画です。ここが玄関脇にあった作品保管庫兼ドローイング室。画面背後にある機械は、エプソン社製の大型インクジェとプリンター。自分のジクレー作品を自作する時に稼働させていました。 画面向かって左側には、ドローイングに使うキャンソン・ミ・タントやアルシュなどの画用紙、ドローイング作品をストックする引き出しが見えています。 この部屋は5畳くらいの狭い洋室でしたが、手前にはテーブルの高さに窓があり、昼間は外光でドローイング制作が捗りました。 私がここで着用している服装は、45rpmというブランドのものです。長年愛用しているブランドですが、私にはちょっとお高いのが難点。最近はよそ行きにしていて、制作や動画撮影用の衣服は、ミシンを使って自分で作るようになりました。 座っているソファー椅子。これはヤフオクで落札した無名ブランドのものですが、その後断捨離して人(「画家と凡人」シリーズの対談相手)にあげてしまいました。でも失ってから、この椅子がいかに心地よく制作できたかを実感するようになって、実は後悔しているのです。絵画制作を立ってする人もいるかと思いますが、私は大作以外は必ず椅子に座って制作するので、長く座って疲れない、蒸れない、腰が悪くならない椅子がとっても重要なのです。 この椅子におばあさん座りすると、作業机との高さがちょうど良く、冬の底冷えする時も足が冷えず、気持ちも落ち着いて制作の筆が進んだのでした。 でも行き先で、活用されているようなので、ちょっと嬉しかったりもしています。 下記動画でその後の椅子の活躍が見れます。 https://www.youtube.com/watch?v=HDZiAbNcUIE&t=1s 画面奥に二つ並んでいる椅子。可愛いライオンのぬいぐるみが乗っているこの椅子。そうです、もともと二つあって、繋げると二人用のソファにすることも出来たのです。この二つをまとめてあげてしまいました。 それにしても、この動画のBGM、ちょっとさみしい感じ。私が選曲するといつもこのような曲になってしまうわけなのですが、この動画の続きの次回の動画は、とっても元気な曲になっていますのでご安心下さい。次回は明日ご紹介致します。 この記事を読んで下さってありがとうございます^_^ YouTube動画の方も是非、ご視聴、チャンネル登録よろしくお願い致します。

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          プレイバックYouTube4:2012/08/31公開 making a canvas (F130) by Yuko KAWADA

          130号のキャンバスを組み立てている制作風景の動画です。2013年開催の5人展『クインテットー五つ星の作家たち展』に出品するために、このキャンバスを用意。その様子を撮影したものです。 場所は長野市。アトリエ奥に見えるのは、同じく130号の『雪波』という作品。この作品は、お陰様で『クインテット』終了後に、取扱画廊で買い手がつき、個人のコレクターさんの所有となりました。 しかし今は、そのコレクターさんのご好意で、横須賀美術館に一時的に寄託されていて、実はこの9月に『ビジュツカンノススメ』という企画展に出品予定です。 ビジュツカンノススメ アートを楽しむ4つのヒント 期間:2021年9月18日(土)~11月7日(日) 休館日:10月4日(月)、11月1日(月) https://www.yokosuka-moa.jp/exhibit/kikaku/2103.html まだ、骨折前の時期で、脚立に軽々と登り降りして、颯爽と作業しています(後に大腿骨を折ってしまい、本当に苦労しました)。 この長野市のアトリエは、本当に制作に都合の良い物件でした。メーカーは積水ハウス。家賃は2LDKなのに6万2千円。1階の物件で、玄関前には広い駐車場。玄関の間口も広く、5畳ほどの作品保管室兼ドローイング作業室がその玄関脇。ドアでつながる隣の部屋は8畳の畳の部屋で、梱包作業に便利な部屋でした。床はどこも段差がなく大作を動かせました。動画のシーンを撮影したアトリエは、15畳の広さがあり、ホワイトキューブに近く、明るくい日差しの入る、静かな部屋でした。秋深まる時期には、ヒューヒュー風の音が心地よく、外の物置の屋根に、パラパラとカシの実が落ちたり、窓からは、四季折々の花や果実の景色があったのでした。 しかし、美術館が大きなトラックで作品を集荷、返却の際に、雪に埋まった道路にハマってしまい、立ち往生。大変ご迷惑をお掛けしてしまいました。長野市は東京から結構離れているのだな、とこの展覧会の最中行き来する度に実感したものでした。 すぐ近くには宇達神社。善光寺さんへも徒歩で行けるような距離。お参りして、元気をもらって迷うことなく制作に向かった日々でした。

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          プレイバックYouTube3:2012/05/31公開 画家 川田祐子作 " A THOUSAND OF WINDS " マチエールの秘密

          この動画で紹介している『A THOUSAND WINDS』は2006年に制作したもので、最初は『千の風』というタイトルでした。当初は2000年に父が他界した追悼の気持ちを込めようと、2001年にアメリカの9.11が起きた時の追悼セレモニーで朗読された”A THOUSAND WINDS”から取り、和訳してタイトルにしたのです。 テレビを見ない私は、これが流行歌になっていることを後から知り、やはり元に戻して英文タイトルにしたのでした。この詩は、確かアイルランドの古くから伝わる詩であると紹介されていたかと記憶しています(ネイティブアメリカンの詩ではないかと諸説別れています)。 このタイトルが和名だった時は、何も反応がなかったのですが、英文にして相模原市企画の2人展に出品したところ、東京国立近代美術館が買い上げて下さったのでした。買い上げた当初に、所蔵作品展に展示されるということでしたが、なかなか展示の知らせがなく、お知らせした人からも、「いつ美術館で見れますか?」とよく聞かれたものでした。担当の学芸員が、私にお知らせするのを忘れていたということで、展示されてしばらく経ってから「連絡が遅くなってしまい、すみません……。」とのこと。私としては、ゲルハルト・リヒターの作品の斜向かい、とても良い場所に展示してもらって、それだけで十分な気持ちでいました。そのようなことで、所蔵作品展で、この作品を見ることができた人はあまりいなかったのです。 それからしばらくして、そのお詫びということなのでしょうか。『マチエールの秘密』展という所蔵作品の企画展に、再度展示が決まったのでした。ところがです。今度は、開催して1週間ほどで、あの3.11東日本大震災。あの時は、計画停電ということが起きて、美術館自体が突如休館。それでも知らずに見に行って下さった人がいて、「門前払いで中に入れませんでした。残念。」というお知らせが、何度もあったのでした。 その後、この作品は新宿の損保ジャパン美術館での5人展に借用して出品したのですが、やはり東京国立美術館の展示室で見たいと、何度も言われて現在に至ります。 というわけで、学芸員さんのご好意で、この作品を高解像度一眼レフで接写した撮影現場を見学し、その時に撮影した画像をいくつか分けて頂き、カメラマンの許可ももらって、私が動画に編集したのがこの動画。 本当は、『マチエールの秘密展』の展示室で、この動画を放映して見せたかった。そういう思いでYouTubeに配信したのでした。 A THOUSAND WINDS 2006
hatching and scratch
acrylic gouache on canvas
194X162cm public collection:
The National Museum of Modern Art, TOKYO
東京国立近代美術館所蔵 https://kawadayuko.jp/painting/photo/a-thousand-of-winds/

          プレイバックYouTube3:2012/05/31公開 画家 川田祐子作 " A THOUSAND OF WINDS " マチエールの秘密

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