『プレイバックYouTube15:2020/10/25公開 GAKAラジオー10. 北海道立釧路芸術館所蔵作品「海底の春」』

昨日は、『画家川田祐子のニュースレターNo.55』を配信したり、その前の晩はYouTubeの動画を編集してアップするためにかなり遅くまで起きていました。そこでようやく自分を許せて、note記事のアップを1日お休みしました。ちょっと悔しい。何かを始めると、止まらなくなる性分。上手な休み方や気の抜き方が未だもって上手に出来ません。「悔しいと思わずに、もう少し余裕ある自分で良いのだ」と自分を慰めることにしました。。

このGAKAラジオー10回目の配信の頃も、毎晩深夜の2時頃まで起きて編集していました。次の日の夜9時配信と決めていたので、早めに切り上げて、次の日の朝に続きをすれば良いとは思っていても、どうしてもやり始めたことを途中で止めることが出来ないでいました。それだけ楽しんでいたとも言えるかも知れませんが。

毎日の制作は、実際とても単調です。1998年ごろからずっと、ほぼ毎日制作し続けています。もちろん怪我で入院とか、父が無くなった時とか、色々な不足な事態はおきましたが、それでも何らかの方法で工夫しながら続けています。日々の制作の過程では、どのくらいのリズムで進めればどのくらいで作品が形になるか?が身体感覚でわかっているので、それほどスリリングな感覚を味わうことはありません。

そこで、マンネリ化しないようにするために、わざとハンディを自分で自分に課すわけです。そのハンディが、読書だったり、衣服作りだったり、PrimeVideoだったり、YouTubeやこのnoteです。制作には完全に足枷になります。それでも敢えてするのは、段取りとか、時間調整とか自己管理を工夫しながら、制作に必ず良い経験になるからです。

動画編集しながら、何を自分がしたいのか、なぜこれをしたいのか、ずっと考え続けることになります。頭の半分は、「作品制作に専念すれば楽なのに」と言う声が聞こえているのですが、それでも今これをしなければならなに理由をずっと考えるわけです。すると、逆に「制作する作品がなぜこれなのか?なぜこうするのか?」も必然的に考えることになるわけです。

そのなぜ?という問いは、一人で制作しているだけでは案外出て来ないもの。私の場合、何かと辻褄を合わせなければならない時に、初めてそうせざるを得なくなるのです。

軽井沢で制作するようになり、本当に「なぜあなたはこうするのですか?」と聞かれることがなくなりました。画廊で発表する機会が減り、お客様と話をすることもほとんどなくなりました。そこへ来て、このコロナ。ますます社会から離れ、自己管理が重要になって来ます。

「画廊で発表するのが難しいからこそ、何か別の方法で、社会への窓口をもうける必要がある、そう自分で判断してYouTubeを再開した」それが私の答えでした。それまで本当にコアなお客様たちだけに開けられたニュースレターと言う窓。それを5年続けて来れたことが、バネになり、YouTubeと言う窓枠をもう一つ作るという意気込みを後押ししました。

この動画では、北海道から視聴して下さった人から応援のコメントが入りました。都内の画廊で発表していた時には味わえなかった感動です。そのような感動が、制作への大きな糧になって行ったのでした。

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