プレイバックYouTube10:2020/10/20公開GAKAラジオー5. 静かな野望ー時代やイデオロギーを超えて。

この動画を収録している部屋は、私が寝室に使っている北の7畳程の洋室。真北に角合わせで小さな2つの窓。どちらも鬱蒼とした木々に包まれていますが、その向こうには浅間山が隠れています。今は夏なので、この窓からとても涼しい風がそよそよ入って来ています。この時期に、この窓から差し込むグリーンの光で目覚める朝は最高です。

しかし、この動画を収録していた時期は、徐々に風が冷たくなり、木々の葉も一斉に落ちて、防寒用に半透明のプラ段板を取り付けてしまう頃。それでも底冷えするこの部屋にPCがあるので、私は椅子におばあさん座り(椅子に座布団を敷いて正座)して編集作業をしていました。

当時は、ノートPCを買ったばかりで、このもともと持っていたMacProと画面共有するというような小技を知ることなく、随分と無駄な作業で時間を浪費していました。とにかく2009年に購入のMacProはスペック的に、思うように動いてくれません。購入当時は、ビュンビュン働いてくれていたのですが、最近のスマホのような動きはしてくれないのです。

動画編集に必要なサムネ画像は、デスクトップのMacProで、そして動画編集は持続か給付金で購入したMacBookProで。しかしその間を行き来するファイルの移動に大変な時間がかかってしまい、深夜2時過ぎまで作業が終わることがありませんでした。それでも制作と、ニュースレター配信と、新作作品の画像をWEBサイトにアップしたり、当時はFacebookで配信のお知らせをしたり、とにかく毎日一人休む暇もなく忙しくしていました。

これが「貧乏暇なし」なのだ、と自分ではいけないいけないと思いつつも、こういう性格がなかなか治らないままでいました。

それでも音声を収録するときは、なるべくゆっくり話して、忙しさが表に出ないようにしています。

編集の何が大変かというと、余計なことを喋ってしまった部分をどのようにカットして20分に収めるか、ということ。なぜか訳がわからないのですが、当時の私は、20分に納めることに大変こだわっていました。喋り過ぎた時は、撮り直したり。その手間を省くために台本とかメモのようなものを用意すれば良かったのですが、私はそういうことが苦手です。とにかく私の関心は、自分の中に埋もれている心の声というものがどういうものかを、この収録によって探り当てたかったのでした。

喋りはじめて、あらためて自分がこのようなことを考えているのかと、驚くことが多かったのでした。ずっと人と話をしないということは、このような状態になるわけで、私にとって、YouTube収録配信は、自分を知るためのツールの一つでもあったのでした。

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