『プレイバックYouTube13:2020/10/23公開 GAKAラジオー8. 作品の物語性ー『ここに泉あり』にまつわる話』

このサムネにした『ここに泉あり』は、本当に不思議なこととか、悲しいこと、色々起きた作品でした。ラジオ配信では、その半分くらいしか話していません。話している内容も、不思議ですが、話していない部分も結構不思議というか因縁めいている内容です。その中でも比較的話せることで言い逃したことを、ここに書いておくことにします。

この作品をキリスト教会の牧師さんが見初めて、某短大の体育館建設記念に、この作品が寄贈されたのですが、その時にこの牧師さんが、私の作品をよく理解して下さって、記念式典の時に熱心に解説して下さったのです。本当は私がその場所でレクチャーすることになっていたのですが、私がしゃべるはずだったことを、全て言われてしまって、私も言葉を失いました(もちろん良い意味で)。

それで、そういう気持ちがすごく私も腑に落ちて、やっぱり絵画作品の力はすごいなと思いました。

どういうことかと言いますと、私は学生時代に美大を休学してドイツに遊学に行き、ルーカス・クラナッハの作品をヨーロッパのあちこちの美術館や教会やゆかりの地を巡りながら、自分の目で見て回ったことがあるのです。その時に、カトリックとプロテスタントの大きな違いを知りました。カトリックでは偶像崇拝なので、具体的にはキリストの磔刑の生々しい姿が必ず教会の中に彫像や絵画として展示されているのですが、プロテスタントではそのような具体的な姿を展示することがありません。

ですから、マルチン・ルターと親交のあったクラナッハはキリスト教絵画よりも、ギリシャ神話の主題を描いた絵画が主流。もちろん例外はあって、聖母マリアの肖像なども残っていますが、教会に展示されるというよりも、貴族たちのプライベートな部屋に装飾として飾られるというようなニーズに応えるものでした。そのように、私はクラナッハを通して、プロテスタント的な考え方が、身体に染み込んでいた事を、この作品『ここに泉あり』から改めて気が付づくことになりました。

その牧師さんがまず、プロテスタント教会の牧師さんだったのです。そしてその牧師さん曰く、この作品を見た時に、まずは具体的なものを描いていない点が、プロテスタントの学校にピッタリ合っていると直感したと仰っていました。

言われてみて、私自身も咄嗟にクラナッハがこのような形で、作品に染み込んでいるものなのかと驚きました。そしてさらに、この作品が牧師さんによって『ここに泉あり』と改名された時に、私はルーカス・クラナッハの代表作の一つ『若返りの泉』(ベルリン美術館所蔵)(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Lucas_Cranach_(I)_-_Jungbrunnen_-_Gem%C3%A4ldegalerie_Berlin.jpg) を思い出したことは言うまでもありません。この作品を見に、かつて学生時代にベルリンを訪ね、更に足を伸ばしてと旧東ドイツの旅をしたこともあるのです。当時の旧東ドイツには、クラナッハゆかりの地があちこちありましたから。

この作品、本当に細かくたくさんの人物が生き生きと描かれていて、素晴らしい絵です。大きなプールのような泉に、老婆たちが大勢押し寄せて、その中で水浴びしたり泳いだりしている内に、皆若々しい少女の姿に変身してしまうのですから。なんとも微笑ましいというか、大胆極まりないというか、この絵には宗教的な信仰と言うような世界はなくて、世俗的で現世利益的な世界が繰り広げられていて、日本人の私にもどこか馴染めやすかったり、気持ちが通う絵画でした。

もちろん、私の制作する絵画作品にこういう具体的なモチーフは出て来ません。むしろ自分が感じた経験や見たもの、さまざまな要素が溶け合い、熟成されて、無意識や潜在意識に蓄積されていたものが、何かの瞬間に私の指先から流れ出て来る、そんな感じがしています。そしてそのような深いところから出て来たものは、その作品が必要としている人を、何んらかの方法で呼び寄せてくれるということも、ここに書いておくことにします。

それは私が意図的にしないことで起きることです。私が無意識を完全に信じ、委ねた時に、作品がそうしてくれることなのです。不思議ですよね。だからそのことを完全に安心しきって、制作すれば良いのです。これを信じることが出来ないと、作品には全く不都合なことを、自分で良かれと思って、的外れなことをしてしまう。そういう失敗も何度か経験すると、そういうことだったのかと気が付いていくことになりますが、なかなかわかっていてもこの事を体得するまでにはずいぶん時間がかかったものでした。

話を元に戻しますと、そう言うことで、私が具象絵画を制作しないわけが、やっと自分でも納得出来た経験になりました。世の中には、たとえ日本であっても、このような具体的な絵画でないことが望ましい、と言うようなシーンがあるのだなとも思い、この路線で制作して良いと後押しされたような気にもなったものでした。

という事で、ラジオで話せず、ここにも書けないこともまだまだあるわけですが、それが気になりますよね。気になるでしょ?私もちょっと話してみたい気持ちはあるのです。でもそれは、もう少し5年くらい経たないと、言ってはいけないような気がしますので、まだ心の底に温めておこうと思います。

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