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科学の入口としての『鉄道の科学』

こんにちは、交通技術ライターの川辺謙一です。
数あるnoteの記事のなかから、この記事を見つけていただきましてありがとうございます。

今回は、科学の入口としての『鉄道の科学』というテーマで書かせていただきます。鉄道は、身近な乗り物の一つに過ぎませんが、それに興味を持つことが、「科学」の世界に足を踏み入れる「貴重な第一歩」となる、という話です。

この記事を読むと、その理由がわかるだけでなく、『鉄道の科学』と題する3つの本(出版年は1980年・2006年・2024年)を通して、日本の鉄道の変化をざっくりと知ることができます。

なお、この記事は、私自身が『最新図解 鉄道の科学』(2024年7月18日発売)と題する本を書いたのを機に作成したものです。

文字数が11000字を超えているので、お急ぎの方は、見出しの頭に「」をつけた部分(私的な裏話)を読み飛ばしていただいて構いません。最後までご覧いただけたら幸いです。


■ブルーバックスと『鉄道の科学』

科学を知る貴重な第一歩

さて、まずみなさまにお尋ねします。

「科学」と聞いて、「なんだかむずかしそう」と感じる方はいらっしゃいませんか?

とくに、小学校や中学校、そして高校で習う理科が苦手だと感じた方は、そう感じる方が多いでしょう。なかには、「できれば避けて通りたい」と感じたことがある方もいらっしゃるかもしれません。

でも、理科の授業で習う「科学(正確には自然科学)」は、案外身近なものであり、その一端にふれるための「貴重な第一歩」を踏むことは、誰でもできることではないかと私は考えています。

子供のときのように好奇心を持ち、「なんで?」と素朴な疑問を持ち、人に聞く、または本やインターネットで調べることで、答えにたどりつく。もしくはたどりつかない(たどりつけない)ことに気づく(これも重要です)。

このような体験は、先ほど述べた「貴重な第一歩」になります。そのためには「むずかしそう」という先入観を捨て、答え探しを楽しむことが大切です。

幸い、現在は情報技術(IT)が発達しているため、「科学」に関する情報があふれており、スマートフォンやパソコンを使ってそれにかんたんにふれることができるようになりました。ただし、ふれる情報が増えた分だけ、より確かな情報を探し出すのがむずかしくなっています。

このため、「科学」に関するより確かな情報を得たい方には、各分野の専門家が書いた入門書を読むことをおすすめします。

科学の入門書とブルーバックス

「科学」の入門書の代表例には、ブルーバックス(バックナンバーはこちら)があります。これは、講談社が発行している新書シリーズの一つであり、自然科学や技術について、各分野の専門家が一般の方に向けて解説をしています。

インターネットの検索エンジンに「ブルーバックス」と入力すると、次の文を表示した公式サイトがヒットします。

科学をあなたのポケットに。「ブルーバックス」は、子供から大人まで楽しめる、一般向け科学シリーズです。

https://gendai.media/bluebacks

その編集長が書かれた記事(2023年9月18日付)によると、ブルーバックスは、1963年9月に創刊して以来、60年に渡って約2240のタイトルを出版し続けており、現存・継続している新書シリーズでは岩波新書中公新書に続いて3番目に古く、今も残る講談社の書籍レーベルでは最古参ブランドなのだそうです。

3つの『鉄道の科学』

この記事でご紹介する「鉄道」は、多くの方にとって身近な乗り物です。本来は人や物を運ぶ道具の一つに過ぎませんが、世界、とくに日本では「鉄道」を興味や趣味の対象にしている方がたくさんいます。

また、「鉄道」は、さまざまな分野の技術を組み合わせて構築された輸送機関でもあるので、そこに凝らされた工夫の数々を知ることで、「むずかしい」と思われがちな「自然科学」や「技術」の世界に入り込むことができます。

そう、「鉄道」は、「自然科学」や「技術」に興味を持つうえで「貴重な第一歩」となる「入口」でもあるのです。

それゆえ、ブルーバックスには、「鉄道」を扱った本が複数存在します。その代表例が『鉄道の科学』であり、異なる時代に書かれた3冊が存在します。

ブルーバックスにおける3冊の『鉄道の科学』。左から①②③。

①と②の著者は、国鉄の鉄道技術研究所(現在の公益財団法人 鉄道総合技術研究所)におられた鉄道技術者の方々であり、③の著者は私です。

△おそれ多いけど書いた?

すみません、この節は私にとっての裏話です。ご興味がない方は、次の節まで読み飛ばしてください。

③を書くことは、私にとっておそれ多いことでした。なぜならば、自分自身が鉄道技術者ではないうえに、鉄道に関する現場や研究施設で働いた経験がないからです。そのような者が『鉄道の科学』を執筆して本当によいか? ブルーバックスの編集者から執筆のご依頼を受けたときは、そう感じました。

とはいえ、これまでの自分の経歴を客観的にふりかえると、私には以下に示す3つの好条件がありました。

  • (A)もと技術者で、20年におよぶ鉄道の取材経験がある

  • (B)鉄道について相談できる人がいる

  • (C)5冊のブルーバックスを書いた実績がある

(A)の「もと技術者で、20年におよぶ鉄道の取材経験がある」は、鉄道技術を語るうえで重要な条件です。私は、大学や大学院で工学を学んだのちに、鉄道とは直接関係がない化学メーカーの工場や研究所で働き、半導体材料等の研究開発に携わることで、工学の基礎を学び、研究開発の現状を知り、鉄道現場にも通じる安全教育を受けてきました。また、2004年に独立してからは、鉄道を支える現場や研究施設、そして人を取材し、外部から鉄道の全体像を把握する試みを続けてきました。

(B)の「鉄道について相談できる人がいる」は、鉄道に関して正確な内容を記すうえでありがたいことです。私の友人・知人には、鉄道の各分野をよく知る人物がいます。具体的に言うと、鉄道現場で働く運転士や車掌、駅員だけでなく、鉄道会社や鉄道関連メーカーで働く技術者、鉄道建設に携わる技術者、そして鉄道のメンテナンスに携わる技術者、大学で公共交通を扱う研究者などがおり、いつでも相談できるという、恵まれた環境があったのです。

ちなみに、こうした人々の多くは、取材を通して知り合った方ですが、学生時代の同窓生や、SNSで知り合った方も少なからずいます。私にとっては、まさに「宝」のような存在です。

(C)の「5冊のブルーバックスを書いた実績がある」は、企画を実現させるうえで重要な条件です。

私が過去に書いたブルーバックスの5冊

ここで述べた5冊とは、以下の本です。

これらはすべて執筆だけでなく、図版制作にも携わっています。あらためて見ると、5冊中3冊が鉄道の本ですね。

以上の(A・B・C)という好条件がそろっていたことから、私は鉄道技術に直接関わっておられる方々に対して恐縮しつつも、新しい『鉄道の科学』を書くことにしました。

そのためには、先ほど紹介した①と②を拝読したうえで、それぞれのまとめ方を学び、執筆された時代と現在との相違点を把握する必要があります。

以下では、①と②を拝読した感想と、書かれた時代の背景をそれぞれ記します。

■①『鉄道の科学』1980年 鉄道が競争にさらされた時代

①丸山弘志著『鉄道の科学ー旅が楽しくなる本ー』1980年発行

秀逸な章立て

①は、鉄道で使われている技術を、電車のドアからトイレまで10のテーマに絞ってまとめた本でした。本文は、横書きである②や③とちがい、縦書きです。

ここで述べた10のテーマは、以下のとおりです。数字には漢数字が使われていますが、横書きのnoteでは読みづらいので、アラビア数字に直しました。

第1話 電車への入口 ードア・エンジンと相撲をとるとー
第2話 乗り心地 ー揺れない車をめざしてー
第3話 すべりながらすべらずに ー車輪がころがるー
第4話 電車を動かす仕組み ー流行のカルダンー
第5話 電車は省エネルギーの王様 ー新しい仕組みを理解するためにー
第6話 かんじんかなめの連結器 ー1925年7月17日ー 
第7話 パンタグラフ物語 ー電車と電気機関車のシンボルー
第8話 黄金のあとしまつ ー300CCプラス1500CCー
第9話 いつでもどこでも止まれる! これこそ安全性 ー600メートルが勝負ー
第10話 スピードへのあこがれ ー開発すすむ浮上式鉄道ー

①丸山弘志著『鉄道の科学』目次より引用

こう見ると、どれも興味深いテーマですね。一般の人に向けた章立て、そしてタイトルやサブタイトルのつけ方が秀逸です。かく言う私も、「1925年7月17日」って何の日? 「300CCプラス1500CC」って何のこと? と疑問に思い、思わず食いつくように読みました。

本書の後書きには、著者の丸山先生が、10人の専門家に話題を提供していただいたと記されています。その10人のご所属は記されていませんが、おそらく国鉄の鉄道技術研究所におられた方、もしくは国鉄に所属していた技術者の方だと私は推測しました。鉄道に関するかなりの知識と経験を持った方でないと書けない内容だったからです。

スピードや快適性の向上が求められた時代

①が書かれた1980年は、鉄道が国内交通の主役の座を自動車に奪われた後であり、国鉄が経営難に陥った時期です。それゆえ、鉄道は他交通との競争にさらされ、スピードや快適性の向上が求められました。

そのためか、①は、鉄道利用者が接する機会が多い「車両」にフォーカスを当て、スピードや快適性を高めるための工夫が記されています。「旅が楽しくなる本」というサブタイトルには、鉄道技術をほとんど知らない鉄道利用者に向けて、「知っていると鉄道旅行がちょっと楽しくなる話」を紹介しようとした鉄道技術者の思いが込められているように私は感じました。

ちなみに、後述する②の前書きでは、①が26年間に21刷を重ねてきたことが記されています。この事実から、いかに長く、かつ多くの方に読まれたかがよくわかります。

■②『図解 鉄道の科学』2006年 鉄道の変化を感じやすかった時代

②宮本昌幸著『図解 鉄道の科学ー安全・快適・高速・省エネ運転のしくみー』2006年発行

著者は車両のスペシャリスト

いっぽう②は、電車、とくに新幹線電車を中心にして、鉄道技術を紹介した本でした。タイトルに「図解」がついている通り、①よりも多くの図が掲載されています。帯には、「ブルーバックス図解シリーズ」のマークが入っています。

本書も①と同様に、「車両」にフォーカスを当てています。

それは、先ほど述べたように、鉄道利用者が接する機会が多いのが「車両」であるだけでなく、著者の宮本先生が「車両」のスペシャリストだったことが関係していると私は推測しました。

②に記されたご経歴を読むと、宮本先生は、国鉄の鉄道技術研究所の車両運動研究室室長車両研究部部長を歴任された方であり、鉄道車両や、その一種である電車に的を絞った書籍を多く出版されていることがわかります。なお、②の前書きには、宮本先生ご自身が、①に話題を提供した10人のうちのお一人であることが記されています。

②の帯には、以下のキャッチフレーズが記されています。本書の特長をうまく要約した文章だと、私は感じました。

『図解 鉄道の科学』の帯

電車が走る・曲がる・止まるホントの理由!
静かで揺れない電車を実現した意外なアイデア!
安全で正確な運行を支える究極のハイテク技術!

『図解 鉄道の科学』の帯より

鉄道の変化を実感しやすかった時代

②が書かれた2006年は、1987年に国鉄が分割民営化され、JRグループが発足してから9年後です。当時は、バブル景気が一段落したものの、JR旅客各社からユニークな新型車両が次々と誕生し、国鉄時代よりも鉄道のスピードや快適性が高まったことを実感しやすい時代でした。

安全・快適・高速・省エネ運転のしくみ」というサブタイトルからは、当時の鉄道に求められていたことをうかがい知ることができます。

■③『最新図解 鉄道の科学』2024年 鉄道が新たな局面を迎えた時代

川辺謙一著『最新図解 鉄道の科学ー車両・線路・運用のメカニズムー』2024年発行

車両だけでなく施設や運用も

最後に紹介する③は、私の著書です。「車両・線路・運用のメカニズム」というサブタイトル通り、「車両」にフォーカスを当てた①や②とちがい、線路をふくめた「インフラ(施設)」や、「オペレーション(運用)」の技術にもふれました。また、サブタイトルには入れませんでしたが、鉄道の安全を守るうえで重要な「メンテナンス(保守)」の技術にもふれました。

このため、1冊あたりの情報量が増え、奥付を除く総ページ数が294ページに達しました(①は270ページ、②は221ページ)。

③は、タイトルの頭に「最新図解」と記されている通り、①や②よりも新しい情報を盛り込み、さまざまな技術を図解しています。ちなみに私は、執筆だけではなく、図や表(計100点以上)の作成にも携わっています。ブルーバックスでは、著者自身が作図する例がかなりめずらしいそうです。

鉄道は「システム」である

③で書きたかったのは、「鉄道は陸上輸送を実現するためのシステムであり、車両はそのほんの一部にすぎない」ということです。①や②には、鉄道が総合的なシステムであることが記されていますが、残念ながら「施設」や「運用」をふくめた鉄道の全体像はあまり記されていない。だからそれらを書きたかったのです。

このような認識を持ったのは、JR東日本さんの東京総合指令室を取材し、得た情報を『東京総合指令室 ―東京圏1400万人の足を支える指令員たち―』(交通新聞社・2014年)にまとめたのがきっかけでした。この本は、同社の全面協力によって世に出ました。

『東京総合指令室ー東京圏1400万人の足を支える指令員たちー』交通新聞社2014年発行

この東京総合指令室は、東京圏のJR在来線の輸送を管理する施設で、列車の運行を管理する輸送指令だけでなく、乗務員や車両のやりくりを管理する運用指令、乗務員や駅員、そして利用者に情報を提供する営業輸送指令、そして鉄道設備の保守や管理を担う設備指令が集約されています。まさに日々の鉄道輸送を司る「頭脳」とも言える職場です。

私はこの指令室を取材して、「鉄道はシステム」という言葉が腑に落ちました。鉄道には、多くの施設設備があるだけでなく、それを動かすがいる。その大部分は、この指令室のように利用者からは見えないが、それらは互いに連携し合い、全体がシステムとして機能している。そのことを実感できたからです。

時計やオルゴールに似ている?

この説明では、抽象的でわかりにくいと感じる方もいるでしょう。そもそも「システム」という言葉は技術用語なので、イメージしづらいと感じる方もいるでしょう。

そこで、たとえ話をします。

鉄道は、アナログ時計(機械式時計)に似ています。どちらも複数の要素が関係し合い、全体としてまとまった機能を果たしているからです。

アナログ時計は、内部で歯車をはじめとする多くの部品があります。また、それらは、互いに連動し、時を刻み、現在の時刻を針の動きで示すという役割を果たしています。

多くの歯車が噛み合って回り、時を刻んでいます。いっぽう、鉄道は、多くの施設や設備、そして人が、まるで時計の歯車たちのように連動し、人や物を運んでいるのです。

鉄道は、アナログのオルゴールの代表例であるシリンダーオルゴールにも似ています。どちらもあらかじめ定められた計画に従って機能するからです。

アナログのオルゴール(シリンダーオルゴール・写真AC)

シリンダーオルゴールは、シリンダーと呼ばれる円筒に付いたピンが櫛形の金属板に当たると音が鳴る構造になっており、シリンダーが1回転すると、1曲の演奏が終わるように設計されています。

鉄道は、「列車ダイヤ」と呼ばれるあらかじめ定められた輸送の計画に従って列車が動き、人や物を運びます。もちろん、列車ダイヤは、曜日や月などによって変わりますが、基本的には列車が毎日ほぼ同じように規則正しく動いています。

これって、オルゴールが同じ曲を繰り返し演奏するのに似ていませんか?

オルゴールのシリンダーと、鉄道の列車ダイヤは、どちらもコンピュータにおけるプログラムのような働きをしています。

さて、先ほど述べた「システム」は、『広辞苑第七版』(岩波書店・2018年発行)に次のように説明されています。

複数の要素が有機的に関係しあい、全体としてまとまった機能を発揮している要素の集合体。組織。系統。仕組み。

『広辞苑第七版』における「システム」の説明

そう、鉄道はまさにこれです。鉄道を支える施設や設備、人がそれぞれ関係し合い、全体として「陸上輸送」というまとまった機能を発揮しています。

このことから、「鉄道は列車ダイヤに従って陸上輸送を実現するシステムである」と言えます。

列車は「線」を移動する「点」

ここで話を、先ほどの東京総合指令室に戻します。

この指令室の視点で見ると、われわれ利用者が乗る「列車」は、複雑な鉄道網を移動する「点」でしかありません。そう、あらかじめ定められた「線」を移動する「点」なのです。

「JR東日本アプリ」に表示される東京圏のJR在来線のネットワーク。「列車」は、この図に示された「線」を移動する「点」にすぎない

ただ、東京圏のJR在来線では、1日に約8000に及ぶ「点」たちが、列車ダイヤに従って鉄道網を動き回り、輸送を実現しています。世界に類を見ない大量高密度輸送が実現しているのは、「点」の数が多いだけでなく、1つの「点」に使われている「車両」の数が多く(編成が長く)、輸送力が大きいからです。

「車両」は、「列車」という「点」を動かすための道具に過ぎません。また、鉄道というシステム全体からみれば、「車両」がほんの一部に過ぎません

(※)一般の方にはわかりにくいと思いますが、鉄道では「列車」と「車両」を明確に区別して扱っています。その詳細については、私がnoteに投稿した記事 鉄道の「列車」と「車両」がちがう? をご覧ください。

ところが日本では、「車両」だけで鉄道を語ろうとする本があふれています。たしかに、一般の方にとっては、興味が「車両」に向きやすいですし、「車両」が鉄道を知るうえでの出発点になりやすいので、これは当然の結果かもしれません。

そこで私は、一般の方が興味を持ちにくいとされてきた「施設」や「運用」、そして「保守」にも目を向け、③を書きました。「車両」を入口にして、「鉄道はシステム」であることを知ってもらいたかったからです。

■①や②の時代に想定されなかった変化

広く認知されたインフラの重要性

現在は、①や②が書かれた時代とはちがい、インフラに対する関心が高まっています。それは、トンネルや橋などの土木構造物に興味を持つ人が増えたからだけではなく、ある事故を機に、社会を支えるインフラの経年劣化や、それを防ぐためのメンテナンスの重要性が広く認知されたからです。

つまり、かつてはインフラを「つくる」ことが優先されたのに対して、今はそれを「まもる」ことを優先せざるを得なくなったのです。

先ほど述べた「ある事故」とは、2012年12月に発生した中央自動車道笹子トンネル天井板落下事故のことです。これを機に、高度経済成長期に急ピッチで整備されたインフラの維持がむずかしくなっていることが問題視され、国土交通省が翌年(2013年)を社会資本メンテナンス元年と位置付け、対策に向けて本格的に取り組み始めました。

偶然ですが、私はこの事故の翌年、すなわち「社会資本メンテナンス元年」に、インフラをテーマにした本を書きました。それが、ブルーバックスの1冊である『図解 首都高速の科学 ー建設技術から渋滞判定のしくみまでー』であり、首都高速道路株式会社さんの全面協力のおかげで世に出すことができました。

『図解 首都高速の科学ー建設技術から渋滞判定までー』2013年発行

この本では、読者の方に首都高速道路でのドライブを疑似体験していただく構成にして、首都高速道路で使われている3つの技術(つくる[建設]・つかう[運用]・まもる[保守])を紹介しました。このうち、つくる[建設]に関しては、首都高速道路中央環状線の一部区間(大井ジャンクション〜大橋ジャンクション・2015年供用開始)の建設現場を取材したうえで書きました。

私はこれを書いて、「インフラは、鉄道車両や自動車のように趣味の対象にはなりにくいテーマだが、見せ方次第で一般の方にも興味を持ってもらえる面白いものになる」と確信しました。

この経験を踏まえて書いたのが、③です。なお、『図解 首都高速の科学』でふれた「つくる[建設]」については、日本の鉄道では北海道新幹線の一部区間などを除いて一段落しているので、あまりふれませんでしたが、「つかう[運用]」と「まもる[保守]」についてはふれました。

迫りくる新しい変化

すみません、思い入れがあるゆえに長々と書きすぎました。ここで①や②とくらべた時代背景の話に移りましょう。

③を書いた2024年は、日本の鉄道における大きなターニングポイントと言えるでしょう。

人を運ぶ旅客鉄道は、とくに地方できびしい状況にあります。それは過疎化による人口減少や交通の変化が関係しており、全国で多くのローカル線が消えたJRグループ発足時から37年のときを経て、残るローカル線の存廃があらためて議論されるようになりました。

いっぽう、JRグループにとっては稼ぎ頭である大都市圏の鉄道や新幹線では、コロナ禍や、それにともなって進んだ「働き方改革」やライフスタイルの変化によって、コロナ禍前よりも利用者数が減少しています。また、現在は地方だけでなく、大都市圏でも少子高齢化にともなう人口減少が進んでいるため、鉄道を利用する人だけでなく、それを支える労働者の数が減り、今後鉄道が存続の危機に陥る可能性があります。

物を運ぶ貨物鉄道は、言うまでもなく、物流業界における「2024年問題」の影響を大きく受けています。これを機に、トラック輸送から鉄道輸送へのモーダルシフトが進み、貨物鉄道が活性化すればいいのですが、なかなかそうは行きません。貨物列車は、多くの旅客列車のすき間を縫うように運転されているので、トラック輸送よりも制約が多いですし、貨物鉄道業界も、トラック業界と同様に、深刻な人手不足に直面しているからです。

加えて、日本には、100年に一度とされる「モビリティ革命」の波がすでに押し寄せています。自動車が「MaaS」の導入や「CASE」の実現を目指しながら、公共交通の域に少しずつ入り込む。カーシェアやライドシェアといったシェアサービスが拡大する。電気自動車(EV)や燃料電池自動車(FCV)のように、走行中にCO2などの温室効果ガスを排出しない自動車が増える。こうした変化は、すでに起きているのです。

鉄道は、この波に乗れないと生き残れません。たとえ自動車よりも大量輸送が得意で、温室効果ガスの排出量が少ない輸送機関だったとしても、です。もちろん、大都市圏では、鉄道が都市交通において重要な役割をしているので、多くの鉄道は生き残るでしょう。ただ、地方では、鉄道が今後苦戦を強いられる可能性が高いです。

日本の鉄道がこのような環境にさらされることは、①や②が書かれた時代には想定されていなかったはずです。なぜならば、当時の日本では、高度経済成長期やバブル景気による「右肩上がり」の雰囲気がまだ残っており、現在起きている少子高齢化人口減少働き方ライフスタイルの変化、そしてモビリティ革命といった交通変革が起こることを想像できる環境がなかったからです。

盛りこんだ新しい情報

そこで③では、鉄道業務の効率化や、モビリティ変革への対応についてもふれました。ここで言う鉄道業務の効率化の具体例としては、車両や施設のメンテナンスフリー化や、モノのインターネット(IoT)ビッグデータ、そして人工知能(AI)の活用を挙げました。

人の移動を変えたスマートフォン(写真AC)

また、③では、スマートフォンと鉄道の連携についてもふれました。①や②に記されていない話題だからです。

①が書かれた1980年には、インターネットに対応したパソコン向けのOSが一般販売されておらず、ブロードバンドのサービスも普及していませんでした。いっぽう②が書かれた2006年には、アップル社のiPhone(初代が米国で販売開始されたのは、2007年6月)がまだ一般販売されておらず、スマートフォンが本格的に普及していませんでした。

ところが今は、ほとんどの人がスマートフォンを持っており、インターネットと常時接続しています。また、スマートフォンは、列車の座席指定や、経路検索、列車運行情報の入手を容易にするだけでなく、ICカード乗車券や電子マネー、クレジットカードの決済の機能を追加することで、鉄道における「きっぷ」の概念を変えました

だから私は、このことを③に書きました。

以上、①②③の特徴や時代背景を、私なりにまとめさせていただきました。

あらためて書いてみたら、次のことに気づきました。

①と②は日本の鉄道にスピードや快適性の向上が求められた時代に書かれ、明るい未来像が描かれているのに対して、③は日本の鉄道がきびしい局面に立たされた時代に書かれ、存続の危機に陥る前の「備え」の必要性が記されている。

これが私なりの感想です。みなさんはいかがでしょうか?

△海外で翻訳された『鉄道を科学する』

この節は余談です。個人的な裏話なので、次の節まで読み飛ばしていただいても構いません。

じつは私は、11年前に③と似た本を書いています。それが『鉄道を科学する ー日々の運行を静かに支える技術ー』(サイエンスアイ・2013年)です。

『鉄道を科学するー日々の運行を静かに支える技術ー』サイエンスアイ・2013年発行

当時の私は43歳で、独立から9年経ったころ。フリーランスとしてはなんとか軌道に乗ったように思えたものの、鉄道の専門家を名乗るにはほど遠いと感じていました。

このため、編集者からこのタイトルを提案されたときは、複雑な気持ちになりました。丸山先生や宮本先生が書かれたブルーバックスの『鉄道の科学』と似ており、「おそれ多い」と感じたからです。

『鉄道を科学する』。左から日本語版(原書)、中国語繁体字版、韓国語版。

ただ、ありがたいことに『鉄道を科学する』は好評で、国内の一部専門学校の副読本として使われました(そうためか、今は紙の本の在庫がありません)。また、のちに台湾韓国の出版社からオファーをいただき、中国語(繁体字)と韓国語にも翻訳されました。

③は、この『鉄道を科学する』をベースにしつつ情報の密度を高め、発売の1ヶ月前(2024年6月)時点での情報を詰め込んだ本です。

正直申し上げると、私が③を書いたことは、今でも「おそれ多い」と感じています。現在は、『鉄道を科学する』を書いたときよりも取材経験を積んでおり、鉄道現場の運営や、鉄道技術の研究開発で日々奮闘している方々の存在や苦労をよく知っているからです。

ただ、私には先述した3つの好条件(A・B・C)があったので、「そろそろ書いてもいいのかな」と思えるようになりました。当時とくらべると、鉄道について相談できる人が増えており、鉄道の総論について執筆できる環境が整っていたからです。また、私自身が独立からちょうど20年目を迎え、54歳となり、③を書くことで社会的責任を果たせると感じたことも、ご依頼を受ける大きな要因になりました。

■見る目が変わる楽しさ

ここまで長い文章をお読みいただきましてありがとうございます。

最後に、③の前書きの一部を引用し、私がこの記事でお伝えしたかったことを申し上げます。

気になるページからで結構ですので、ぜひ気軽に読んでください。もし、その体験を通して鉄道を見る目が変わる楽しさを感じていただけたら、筆者としては望外の喜びです。

『最新図解 鉄道の科学』前書きより

ここで述べた「見る目が変わる楽しさ」は、この記事の冒頭で述べたように、「科学」を知るうえでの「貴重な第一歩」となります。

少なくとも私は、子供のころに「なんで?」という素朴な疑問を持ち、その答えが見つかったときの喜びが忘れられなかったからこそ、科学に興味を持ちました。今はその喜びを多くの方に知ってもらいたいから、本を書いています。

この記事が、みなさまが科学の一端にふれるきっかけになり、ほんの少しでも「おもしろそう」と感じていただけたら、うれしいです。


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