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ものづくりの瞬間

おかげさまで、誕生日を迎えることができました。

恒例の誕生日前の健康診断では、特に数値に異常はなかったんですが、
視力が右が1.2、左が0.5といういわゆる不同視になっていました。
どうりで、なんか夜になると疲れるわけだ…。
こういう二つの視点がズレたまま進んでいくしかない状況は、
いま、僕らが直面している複雑化していく仕事の事情にも似ている気がします。最終的には「えいや」で強引に合わせていく、と。

誕生日の前日は、某テレビ局でドラマ絡みの撮影をしていました。
ふだんTVCMをつくり続けているわりには、
OAしてくれているTV局の方々と仕事をする機会というのは
意外と制作担当としては少ないものです。
CMは基本的に「出来上がったら納品するもの」だからです。

なのでTV局の中に入っていき、その制作過程を知り、
ドラマスタッフの方とコミュニケーションを
取りながら何かをつくる、というのはとても心躍る経験でした。

その夜、局内を歩いていた時のこと。
誰もいない会議室の扉が大きく開いていました。
ちょっと視線を移したら、廊下側のホワイトボードにびっしりと黒を基本に、赤や青で文字や線が激しい動きで書かれていました。
「何かな?」と思ってよくみたら、それはおそらく何かのドラマの脚本が、
多くの人が議論を重ねて磨かれていった過程が刻まれていたのでした。
もちろんすぐに通りすぎたわけですが、
「ああ、どこも同じなんだな」
と胸に響くものがありました。
つい先日、同じようにドラマ系の広告ムービーをつくっていて、
会社の会議室にスタッフを集めてホワイトボードにびっしりセリフを書き出し激論をかわしたからです。

TVドラマと広告では、実はけっこうお作法が違っていて、制作のプロセスや時間、予算、用語、さらには意思決定のプロセスもだいぶ違います。
でも、根本的な「人の心を動かすために、泥臭く議論し、みんなで何かをつくりあげる」というまっすぐな矢印はいっしょなんだな、と感じ入ったわけです。

昨日も、今日も、明日も、どこかで多くの人が何かを生み出そうとしている。その何と尊いことか。ほとんどの作品は、人の目にふれずに消え去っていくとしても、その現場にあった熱気は消え去ることはないのだと思います。

組織の中で年齢が上がってくると、
「いつまでこれをやるのか」
「いつまでこれをやっていていいのか」
「いつまでこれをやっていて許されるのか」
と、だんだん正体不明な何かに追い立てられていくような気分になります。

でも、結局は「自分がやりたい」と思い「あなたに頼みたい」と信じてくれる誰かがいる限り、夢は果てしなく終わらないし、醒めないのだと思います。

「ああ、まだやったことのない方法やアイデアで、これからも、ものをつくりたいなあ」と思いながら終電に乗っているうちに日付が変わり、誕生日を迎えていたのでした。

年を重ねても心は落ち着かないし、あらゆる人が羨ましいし、
時々、どうしようもないほどに行き詰まりを感じる日もあります。
でも、そんなため息をつくほど尊い「ものづくりの瞬間」がある限り、
目の前の事にひとつひとつ取り組んで行こうと思います。

ある日、誰かに何かのジャッジを受ける日もくるでしょう。
その時、心が折れず、数多の希望を抱いて生きていくために、
みなさんご一緒に仕事をしましょう!

僕らは、これからもずっと「途中」ですから。

2024年9月22日
これからを左右する、たくさんの結果を待ちながら。
勝浦雅彦


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