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リアル脱出ゲームに至る道

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リアル脱出ゲームを最初に思いついた人のそこに至るまでの人生や道のりです
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#音楽

「自分にはなんらかの才能があり、まだ世界が気づいていないだけなのだ」 - リアル脱出ゲームに至る道

「自分にはなんらかの才能があり、まだ世界が気づいていないだけなのだ」 - リアル脱出ゲームに至る道

大学は入学してすぐ楽しくて。
やっと春が来たのだと思った。
高校時代も楽しくやってたとはいえ、別に学校に行きたかったわけじゃなかった。
行かなくちゃいけないから行っていて、少しでもそれを楽しめるように友人をつくったり、いろいろ工夫したりはしたけれど、別に目が覚めてすぐにワクワクながら「今日も高校へ行くのだ!」とか思ってたわけじゃない。
大学は少なくとも最初の一年くらいはとにかく楽しくてしょうがなく

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このままじゃ人生を変える一撃なんて撃てない - リアル脱出ゲームに至る道

このままじゃ人生を変える一撃なんて撃てない - リアル脱出ゲームに至る道

大学を卒業して、なんの覚悟もなく社会に出た。
働くことに希望なんてまったくなかったし、責任がなくただ自由に生きているだけで意味がある場所にいたかった。

でも、その頃の世の中のほとんどの会社がそうであるように、僕が入った会社もとんでもなく長時間の労働が当たり前になっていて、朝出社したら徹夜をした先輩たちがソファーで寝ていたり血走った目でパソコンとにらみ合っていた。
僕は営業としてその会社に入り、ノ

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暗黒のニート時代 - リアル脱出ゲームに至る道

暗黒のニート時代 - リアル脱出ゲームに至る道

前回書き忘れたのだけど、会社を辞めた理由はフィッシュマンズのボーカルの佐藤伸治が死んだことも大きな理由だった。
学生の頃から狂ったようにフィッシュマンズを聴いていて、ライブが関西であれば必ず足を運んだ。
ライブでの一体感はすさまじかった。狂ったように身体を揺らしながら音が入ってくるのを感じていた。
すべての音に意味があって、どうしてもそこになくてはならない音楽だった。
会社を辞めようかどうか迷って

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音楽で生きていくためのバンドをつくろう - リアル脱出ゲームに至る道

音楽で生きていくためのバンドをつくろう - リアル脱出ゲームに至る道

迫りくる無職の30代からの脱出のために僕は編集プロダクションに勤めることを決意し、ほぼ毎日京都を紹介する文章を書き、フリーペーパーを二つ編集し、奇妙な社長との日々を送っていたのだけど、もう一つやったことは、これまで学生時代の延長線でやってきたバンドを解散させることだった。
そのバンドはハラッパ=カラッパという名前で、主に京都で活動していた。
大学の軽音サークルの友人たちと結成したバンドで、ほぼすべ

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