相対知性の視点:もし別の世界で進化したなら
生物が持つ様々な機能は、この地球で進化してきたからこそ獲得できたものが多くあります。進化は、環境に適応することを目的としていると考えれば、当然の事です。
そうであれば、知能も、この世界の中で進化してきたからこその機能を持っているはずです。この記事では、この観点から、与えられた世界と知性の能力との関係を掘り下げていきます。
そして、量子力学や相対性理論の世界の認識に対する、私たちの直感的な理解の限界と、AIの可能性についての考察を進めます。また、生命と知性とは何かという哲学的な問いへのアプローチについて、世界と知性の観点から分解したり、評価したりする方法を提案します。
では、詳しく説明していきます。
■シンプルな世界と実際の世界における知能
もし、世界が3つの直線だけで認識できるなら、ニューロン3個で十分です。実際の世界はとても複雑で、だから私たちの脳も1000億くらいの神経細胞を持っています。
もし、目に見える少数の固体だけが存在するなら、全てをシンプルにデジタルのように扱えたでしょう。けれど、液体や集合体があるから、複雑でアナログのような思考が必要です。
もし、未来が全てシンプルなパターンの延長であれば、全てを直感に予測できたでしょう。フィードバックループを持つメカニズムが働くから、シミュレーションでの予測の能力も必要です。
もし、存在を全て知り得て、未来を全て予測可能であれば、頭脳だけで良かったのでしょう。決して知り得ない不可知の存在と、予測しきれない不確定の未来があるから、信念や感情が必要なのかもしれません。
■知性の鏡に映るものと映らないもの
知性は鏡なのです。私たちが活きるために、世界を映し、未来を再現するための鏡です。
広い世界を、まだ見ぬ未来を、私たち一人一人の頭の中にリアルタイムに映し込みます。空間も時間も越える無数の非対称なレンズを持った、鏡なのです。
量子の世界の不確定性や状態の重ね合わせ、もつれなどの現象を、私たちは上手く理解することができません。広大な宇宙の相対性理論の世界で、時間や空間が重力と相対速度によって歪む現象も、理解が困難です。
脳の進化の過程で、ミクロやマクロの世界に出会う事がなかったためです。これらを直感的に把握できるようには、脳が進化していないのです。だから数式や理論だけで、論理的に把握するより他ないのでしょう。
■考察その1:あり得た知性
与えられた世界の中で、私たちの脳は進化し、知性を持ちました。
もし、与えられた世界に固体しかなく、その中で知性が進化したとしましょう。その知性は、液体を見た時、私たちのように直感的に液体を認識することができないかもしれません。
もし、フィードバックループが働くことのない世界で進化していれば、その知性はシミュレーション能力を獲得せず、パターン認識とその延長線上の予測能力しか持ち得ないでしょう。
もし、全てを知り得て、未来を完全に予測できる世界で進化していれば、その知性は、未知や不確定という概念を理解する事すらできないでしょう。
■考察その2:私たちの知性の限界
もし単純な数式で表現が著しく困難な、液体や恣意的なパターンが、ミクロやマクロの世界にあったとしたらどうでしょう。直感で把握することができず、数式や理論で論理的に把握することもできません。
水の流れや雲の形を、私たちは直感で把握することができます。しかし、数式や理論で論理的に把握することは困難です。
ミクロやマクロの世界を私たちが直感で把握できないなら、そこに流動性や複雑な形状があった時、直感に頼ることができません。
そこに、私たちの知性の限界があるでしょう。
■考察その3:人工知能の知性の可能性
人工知能は、私たちの脳を真似して、私たちの知的活動と同じようなことができるように、進化してきました。やがて、ほとんどの知的活動を模擬することができるようになり、その精度や速度や知識量も人間を越えてしまうのかもしれません。
そして、私たちの知能の限界であるミクロやマクロの流動性や複雑性を、扱う事ができるような進化も可能かもしれないのです。
ミクロやマクロの現象を直感的に把握でき、そこにある数式や理論だけでなく、流動性や複雑性のパターンを把握することができれば、人間の知性の幅も、超えることになるでしょう。
■考察その4:生命
生命もまた、世界を把握して予測する必要がありました。それができる方が、生存に有利だからです。
神経が発達する以前から、生命は生命なりのやり方で、世界と未来を映す能力を持っていたはずです。知能ほどのクリアではありませんが、ぼんやりと世界が、生命の中にも映っています。
地球の陸と海、そして水の循環。生命も固形と液体ででき、液体の流れで生命活動は維持されます。多様な地形があるように、生物の中にも様々な組織があります。昼と夜が繰り返されるように、生命の活動も活性と非活性を繰り返します。内部に持った地熱と、外部から得られる太陽エネルギーは、生物の中のエネルギーの蓄積と外部からの供給のメカニズムを思わせます。
■生命と知性の問いへのアプローチ1:分割
生命とは何か、知性とは何かという問いについて考える時、与えられた世界の中で進化したという視点は、この問いを2つに分けます。
1つは、私たちが住んでいるこの世界の中における、生命と知性とは何か、という問いです。
そして、もう1つは、与えられた世界がよりシンプルだったり、あるいはより複雑だったとして、それらの世界の中で生命や知性が存在して進化するとしたら、それはどんな共通点を持つのか、という問いです。この問いは同時に、世界をどこまでシンプルにしても、生命や知性が存在し得るのかという問いでもあります。
3次元の空間でなく、2次元空間であっても、生命や知性は存在し得るでしょうか。空間がデジタルに仕切られていても、生命や知性は存在し得るでしょうか。これはセルオートマトンの世界を思わせます。与えられた世界が2次元のグリッドであったとすれば、セルオートマトンは、生命現象なのでしょうか。それが生命現象ではないとすれば、何が足りないのでしょうか。
このような視点から問いを分割していくアプローチは、複雑で多面的な問いを整理するための、有効な戦略となるように思います。
■生命と知性の問いへのアプローチ2:スコアリング
あるいは、与えられた世界の属性を定義し、生命現象や知性が、その世界のどこまでを映す鏡になっているかを使って、スコアをつけることもできるかもしれません。
セルオートマトンは、二次元グリッドの2値デジタル状態の世界では、例えば50点とします。残り50点を埋めれば、100点満点です。一方で、私たちの住む現実世界では、チンパンジーの脳と、私たちの脳は、それぞれ何点でしょう。現在のAIは何点くらいに達しているのでしょう。
スコアリングは先に生命や知性についての理解が必要なるため、厳密なものはできません。しかし、この考え方を適用する事で、生命や知性は、「生命である/生命でない」「知性である/知性でない」という概念ではない事が見えてくると考えています。
例えば、熱のようなものです。熱は、「熱である/熱でない」という概念ではありません。Aは絶対零度に対してどれくらい熱があるという絶対評価や、AはBよりも熱があるという相対評価を行うような概念として認識することが適切である可能性があるのです。
そして、生命とは何か、知性とは何かという問いに対して、私たちが最初に追求すべきは、100点満点の生命と知性を理解することではないと思うのです。それは、0点と1点の境界を探る事だと思うのです。
■さいごに
生命や知性は複雑で、理解することが難しい面があります。ここでは、外界を認識し、未来をある程度予想するための能力が生命や知性には必要だったはずという視点から、その特徴を考えてみました。
そこから、あり得た知性、人間知性の限界、AIの可能性、そして生命との類似性について考察を進めました。その後、生命とは何か、知性とは何かという昔から考えられてきた哲学的問いに対するアプローチを導出しました。
このように、多面的なレンズを持つ鏡という考え方で、与えられた世界と生命や知性の関係を相対的に捉えることで、より深い理解に至る可能性が見えてきました。
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