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画家Kの自伝 第十二章

半生を振り返って思うこと

絵画という装置
2021年現在、自分は五十三歳である。ここまでの自伝を書いてきたのだが、思えば、自分の歳まで生きられなかった友や先輩もいる。また、自分と同い年でも、大学教授をしている友、美術界でスターになった友とか、人生それぞれである。僕は、「人生」とは、他人と比べるべきものではなく、それぞれの人生が尊いのだと思う。例えば、ゴッホは、わずか三十数年生きて、あれだけの偉業を成し遂げた。また、僕の好きな白人ブルースシンガー・ジャニスジョップリンや、日本では尾崎豊さんのように、偉大な仕事を残し、短く、激しく輝いたロックンロール的人生のスターもいる。僕は、かねがね、人は、何年生きるかも大事だが、「どう生きるか?」というのもとても大切な人生の要素だと思う。

また、表現に関して思うことは、記録された表現とは、後世の人々の人生も変えるということである。事実、僕は、人生最初の師匠、桜沢さんに、自分の人生を大きく方向づけられた。一度も会っていない、過去の人物なのだが、彼の思想、文学に大きな影響を受けた。彼は、自身の著書で「これは、体で読む文章だ」と書かれたことがあった。このことは、思考より、直感の方が、より深い何かと通じていて、頭で考えて理解するというよりも、体で感じて読むべき物がわたしの文章なのだと桜沢さんは言いたかったのだろう。

ブルースリーの名言「考えるな、感じろ!」とも通ずるような。彼もカンフーのスターなのだが、考えてアクションしていたのではなくて、「何か」と繋がって、感じながらアクションしていたのだろう。ゴッホの絵画、どこの国の人でも、どんな宗教を信仰していても、どんな人種でも、彼の絵画から「何か」を感じる。ゴッホの絵画も、考えて鑑賞する、というより「感じて」鑑賞する絵画なのだろう。また、彼の魂が、人間の持つ深い普遍的「何か」に到達していたので、どんな人も感動する絵画であるのであろう。

絵画、というのは、画家の精神と絵の具という物質が混ざり合った、いわば「精神物質」のように思う。それは、無機質なプラスチックの塊とは違って、画家の魂が宿った精神物質なのであろう。例えば、モナリザが、自分の寝室に飾ってあったら、普通ではいられないのでは、と思う。それは、絵画という記録装置によって、時間を超えてダビンチの精神、霊性を感じるからなのだろう。

 
「何か」
僕は、「何か」という表現をしたが、それは、宇宙の中心にある、または宇宙が始まった頃の、根源的「母性」だと思う。ある人は、それを「真実」「秩序」「正義」というかもしれないし、またある人は、それを「愛」だというかもしれない。僕は、その「何か」が、AIには感じられない、人間の直感する普遍的な尊いものだと思う。

ただ、その「何か」に到達した表現者は、麻薬中毒や精神病に侵される危険がある。麻薬や精神を侵されながら、優れた表現をするミュージシャンや芸術家が沢山いる。危険な領域の綱渡りでもある。バスキアや草間彌生さんなども有名なところであろう。

その「何か」は、スポーツ、芸術、文学、哲学、音楽、料理など、いろんなジャンルの優れた表現に偏在する。だから、例えば、優れたジャズプレイヤーは、絵画の良し悪しもわかる。そこに「何か」があるかないかは、ジャンルを問わないのである。

サイババが、こういうことを言われていたのを思い出す。

 「甘いお菓子の全てには、同じ砂糖が使われている」

 この言葉の、僕なりの解釈は、
人が命や魂をかけた努力、勝負、勇気、表現、それらは、真剣であればあるほど、どんなジャンルでも、どんな現実でも、そこには、同じ「何か」もしくは「愛」が含まれているのではと思うのだが。

サイババは、そんな「何か」を砂糖に例えて言われたのではと思う。

 「〇」と「×」
僕は、「最初の死?」の直前の夜、宇宙は、結局「〇」と「×」なのだと直感した。「〇」は、曲線であり、女性の性質を表し、「×」は、直線で男性を表す。男性の性質の強いのが西洋で女性の性質が強いのが東洋、という捉え方は大雑把か?国旗でも、西洋は、直線的なデザインが多く、東洋では、曲線的なデザインが多い。骨格が角張っているのが男性で、丸みを帯びているのが女性である。自然を克服しようとするのが男性的な西洋で、自然に従って生きようとするのが女性的な東洋のように思う。プラスの医学が西洋医学で、薬を飲んだり、栄養を加えることで病気を治そうという考え方。逆にマイナスの医学が東洋医学のように捉えている。体に溜まった毒素や、老廃物を体から出すというのが、東洋医学で、マイナスの医学のように思う。また、西洋と東洋の中間にあるのが、「0」を発見したインドである。僕は、インドという国は、まさに、人類の子宮のような国だと感じる。また、宗教的な言葉、「阿吽(あうん)」「アーメン」「オーム」と、「あ」から始まり「ん」で終わる響き、同じ響きの言葉が、さまざまな宗教的儀式や祈りの時、神事に発せられるのは興味深い。サイババは、「オーム」とは、ヒンドゥー教で「宇宙が始まった時の聖なる音」だと言われた。また、「日本語」も「あ」から始まり「ん」で終わる言語である。

 義父の他界
人は、死んだらジ・エンドで、全て関係なくなり、おさらばなのか?そういうふうに考える人もいると思うが、数年前、身近な親族を失くす経験をした。ひとみの父、義理の父親が肺がんで他界した。

その時感じたことは、人は、死んでも世界はあり続ける、ということである。お義父さんの人生は終わっても、僕ら家族は生き続け、それぞれの生活がある。

もし、自分が死を迎えても、遺された人々の人生はあり続けるのである、決してジ・エンドではない。

だから、死んだらもう関係ない、というのではなく、自分の死後も、遺された人々が困らない配慮をして逝く人の方が、より人格者であると思うのです。

 蝶の羽ばたき
また、五十年以上生きてきて思うことは、「極微」な影響が、世界を変える大きな力になるということである。

例えば、道ゆく人と少し肩が触れたとしても、その影響は、触れた人の人生に微妙に作用して、またその人が、別の他人へ影響を与えていく。そんな、微妙な影響の連鎖が、結果的に、世界を大きく変える力があると思うのです。物事や、人は、関わり合いの中で生きているので、極端な話、蝶の羽ばたき一つで世界は変わる、という話は、決して大袈裟ではないのだと思うのです。

川の上流で、葉がひとひら落ちたとしても、下流では大きな影響となる、ということである。

だから、人生の初期の出会い、出来事は、人生後半に大きな変化をもたらすものだと思うのです。

選挙とか、「自分の一票なんか、」と思う人もいるかもしれないが、まさに自分の一票が自分が住んでいる世界を変える大きな「一票」なのでは?

また、僕は、絵描きなので、自分の作品表現が、世界にポジティブに働く「蝶の一羽ばたき」であってほしいと思うのです。

 スター
若い頃の予備校の先生だった先輩作家や、ムサビの同級生など、後に日本の美術界でスターになった人が何人かいるが、「スター」とは、誰もがなれるものではない。

もちろん、本人の弛まぬ努力があってこそ、また生まれ持った運気が、スターになる条件だと思う。

ある時、ラジオ番組で、カールスモーキー石井さんが、こんなことを言われていた。

「時計には、大きな歯車もあるが、小さな歯車もある。大きな歯車をスターに例えると、小さな歯車は裏方かもしれない。でも、小さな歯車一つなくなるだけで、時計全体は動かなくなってしまう」「小さな歯車は、目立たなくても、十分社会的役割をしているのだよ」というようなこと。

僕はこう思うのだが。音楽コンサートで、スター的なボーカルのパートをする人がいるが、コンサート自体は、舞台を組み立てる人や、スポットライトを操作する人、音響を操作する人、チケットを販売する人、いろんなパートの人々の働きで成り立っているということ。僕は、「ボーカル」もスターだが、裏方の人それぞれ誰もが、結局皆「スター」なのではと思うのです。

人は、自分のパートのミッションを精一杯頑張れば、それで良いのではと思うのです。

心に残る言葉
誰でも、人生の中で、忘れられない言葉があると思うが、心に残ったり、何度も思い出す言葉とは、大切なメッセージで、神様のプレゼントのようなものだと思う。

その言葉が、人生の励ましの言葉なら、素直に頑張り、実行、努力すべきだと思う。

 ◆トータス松本さんの歌詞・言葉

最近、僕が思うのは、「過去を仮定することの愚かさ」である。
「あの時、こうだったらな〜」と、人はしばしば思うかもしれない。
しかし、現在までの自分の判断、行為の結果が、今の現実なのである。
現実をよくしたければ、今からの行動を正し、努力するすしかないのではと思うのです。
ウルフルズの名曲「ええねん」で、トータス松本さんは、こう歌っている。

「もかいやったらええねん、また始めたらええねん、終わりよければええねん、何かを感じていればええねん」と。

過去を後悔していても何も始まらない、今までのことを全肯定して、今、もう一度努力すれば、それだで良し、ということなのだろう。

 ◆桜沢さんの言葉

桜沢さんは、晩年こういった発言をされている。
「皆、有り難う。私の指導に背いて、冬にトマトを食べるなといったのに食べて亡くなってしまった○○さんも有り難う」という発言。
人は、いい人嫌な人、好きな人嫌いな日、人生いろんな人に出会うものだが、最後には「すべて皆有り難う」といえる、桜沢さんは、そんな境地に至ったのだろう。

現在の生活
こうして、波乱万丈の半生は、現在に至るのだが、現在もクリニックに月一で通っていて、朝昼晩、就寝前と薬を飲んでいる。

以前のような再発を二度と繰り返さないように、また苦しい不安発作は、出来るだけ抑えたいという思いで、必ず飲むようにしている。

また、あれだけ苦労をかけた両親も、八十歳を越え、施設に居住している。

 実家の我が家は、ひとみと僕で守り、静かな生活を営んでいる。

現在は、僕はビル警備とK.Art Studio の仕事、また作品の創作活動に励み、ひとみも、障がい者施設で働き絵を描いている。

また、突き進む僕、じっくり慎重な妻と、二つの性質の違いを補うように、二人で一人前の様な生活である。

 「今が一番幸せだね!」と時々二人は話し合っている。

 半生を振り返って
今まで書いてきた自分の半生を振り返ってみる。いろいろな嬉しいこと、悲しいこと、辛かったこと、またいろいろな物事や人や聖者との出逢い、不思議な体験などがある。

 思うと、僕のこれまでの人生に出逢った、どんな事、どんな人、どれ一つ欠けても、いまの自分はない、と感じる。今が幸せならば、すべてを肯定すべきだとも思う。すべてが正解なのである。

日本には「ご縁」という言葉があるが、全てはご縁なのだ。

昔から「可愛い子には旅をさせろ」「若いうちは買ってでも苦労しろ」というように、自分にとって苦しかった事を乗り越えてきたことも、全て今の自分になるための肥しであり、ご縁だと思う。

 人生の意味とは、最初に「これこれこういう意味」があるのではなく、困難や、苦しみを乗り越える、そのこと自体が人生の意味といえば意味だと思う。

中国のことわざに「人間万事塞翁が馬」というものがあるが、どんな苦しいことが幸いに、またどんな嬉しいことが災いになるかは最後まで分からない、というのが人生である。
生活の中で、アンラッキーなことやトラブルが起きても、それは正しく導かれ努力するための過程であり、また自分を守るための回り道なのでは?と思う。

僕は、数年前、脚立から落ちて右踵を骨折した経験がある。これは、自分の持ってる業の一部を清算し、また、将来の自分の為への回り道だったと思っている。

長寿の人に「長生きの秘訣は?」と聞くと、
「なんでもいい方に捉えるのが秘訣かな?」などの発言く聞く。

 バカボンのパパの「これでいいのだ」とは、なにも努力しなくて「これでいいのだ」ではなくて、最善の努力、苦しみを味わった上での失敗、それは「これでいいのだ」なのである。

これでいいのだ。                      

 

2021年油絵作品 F-50号キャンバスに油絵

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