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画家Kの自伝 第九章

サイババとの出逢い


理性のゆらぎ
さて、こうして、妻・ひとみとの新しい生活は始まった。

新婚時期の女性とは、言ってみれば、花が一番ふくらみ香りとオーラを放っている時期だと思う。妻も、新婚時の写真を見ると、やはり花のようなオーラーを放っていることが分かる。
妻は、結婚後、ホテルのルームメイキングの仕事に就く。僕は、ビルの早朝清掃に仕事に就く。

若い二人は、お互い、アルバイトながら充実した日々を始めた。また、週末には、二人でK.ArtMarketの運営を行う。

全てが輝き楽しい時期であった。

妻は、交際時期に、あのサイババを日本に紹介した青山圭秀先生の名著「理性のゆらぎ」と出逢う。

なんでも、書店を訪れた際、その本が目に入り、本を中心に光線のようなオーラーを発し、時間が止まったような不思議な体験をしたという。

妻は、迷わずその本を購入し自宅に戻る。

「理性のゆらぎ」ぎは、インドの聖者、サティア・サイババとの出逢い、様々な奇跡を綴った、当時全国的に話題になった本である。

また神の化身という聖者サイババと出会い、青山先生は、人間には「自由意思」があるのだろうか?人間の意思すらも、神の意思の一部なのか?

正に人間としての理性がゆらぐという哲学的疑問を投げかけた本であった。

ひとみも、是非その本を僕にも読んでほしいと、交際時、名古屋まで送ってくれた。

僕も、その本をとても興味深く拝読した。

 サティア・サイババ
サイババは、南インドにアシュラムを構え、ヒンドゥー教を基調としながらも、イスラム教徒、仏教徒、キリスト教徒等、異宗教の信者も虜にしてしまう魅力があった。
全世界から人が集まり、空間から宝石や指輪を物質化したり、手から、聖灰を出したり、遠く離れた自身を写した写真からは、蜜が流れだし、あるいは、写真からは汲めども汲めども出てくる聖灰が噴き出したりする、そんな様々な奇跡を起こす聖者であった。

自分自身が神の化身だと語り、他の奇跡の例では、手術を受けた子供が、手術成功後、サイババの写真を観て「僕を手術してくれた叔父さんだ!」と発言したり、車の運転を誤って、車が坂道を落下したときに、奇跡的に助かったドライバーが、「車が転げ落ちている最中、サイババが僕を抱きしめて守ってくれた」と証言したという奇跡などなど。

また様々な指導的言葉を発し、僕の記憶にある言葉では、「教育と医療は無償でなくてはならない」「教師は、先ず自分自身が学徒であることを自覚しなさい」「性的に乱れた修行者は、栓の抜けた桶に水を汲むようなものである」「飲酒は、先ず人が酒を呑み、次に酒が酒を呑み、最後に酒が人を呑む」「生命は膨らみである」「泥棒を働く人間は、その前に、泥棒の作った料理を食べている」「空腹時、祈ってはならない」などなど沢山の指導的発言を覚えている。

 バリ旅行
われわれ夫婦の新婚旅行は、バリ島旅行であった。
どこから情報を得たか記憶にないが、当時、青山圭秀先生の団体が主催する「青山圭秀と行く東洋医学を巡る旅・バリ」だったか?
あの、サイババを日本に紹介した青山先生と旅行ができる!ということで、早速旅行を申し込んだ。旅行資金は、両―両親から頂いた、結婚のお祝い金から捻出した。
当時、ひとみが、明治神宮のおみくじを引いたとき、「旅行・南方の島が吉」とあり、二人は、なおさら盛り上がった。

季節も、春から夏にかけての季節だった気がする。バリ島は、基本信仰がバリヒンドゥーといい、バリ独特のヒンドゥー教であった。
また、自分たちの伝統を壊すことなく、西洋文明を取り入れるのが上手な文化だった。
日本だと、沖縄か、戦前の日本といった感じだろうか?

南国特有の音階のガムラン音楽や神秘的なバリ舞踊、ドイツ人と作ったケチャックダンス、香辛料たっぷりのバリ料理と、魅力いっぱいの南国の楽園だった。

二人は、東京から向かった青山先生チームと、僕らを含む大阪空港から向かった、関西チームから、同時にバリに向かい、バリ到着後、バリヒルトンで合流する予定だった。

空港から僕らを乗せたバスがバリヒルトンへと向かい、ロビーへと到着した。ヒルトンホテルというと、背の高いビルをイメージするかもしれないが、バリのヒルトンホテルは、ホテル本館があって、客室は、ホテルの敷地に平たく点在するといった、いかにもバリらしいヒルトンホテルであった。

到着した夜、ロビーの外に出ると、青いジャケットを着て、小柄ながら不思議なオーラを放つ男性が、どこを見るでもなく立っていた。

青山先生であった。

僕らは、バリヒルトンの一室に案内され、最初の夜を過ごした。
旅の疲れと、聖地という意識からか、その夜二人が愛し合うことはなかった。
朝起きると、どこからともなくガムランの音楽が聴こえて、南国情緒を盛り上げてくれた。
また、島全体がお香のいい香りがしていたようなイメージだった。また、バリヒルトンは、プライベートビーチや、プールがあり、リッチな旅行であった。

僕らは、早速島内観光に出かけた。
移動は、専用リムジンバスだった気がする。

人気の物創りの村、ウブド村では、バリの職人の作ったアロハシャツ買ったり、ガムランのおもちゃを買ったり。また、デザインが独特のバティック(バリ製の布)の工場を見学したり、バリヒンドゥーのお寺、ブサキ寺院に行ったり。

ブサキ寺院は、これ以上人間が入ってはいけない神域があり、ちょうどそれは、日本の伊勢神宮などとも同じである。

また、バリ島は、そこの神様が呼ばなければ、決して行くことはできない島だと聞いたことがある。それも日本の伊勢神宮やインドと同じだろうか?

また、アーユルベーダ、東洋医学を巡る旅、ということでバリの不思議なお医者さん、ドクターバリの医院を訪れたりした。

ドクターバリは、若いころ、夢に神様が出てきて、小さな薬瓶をもらった。それ以降、不思議な力を授かるようになった、と語った。
希望者は、診てもらえるとのことで、僕は、持病の精神病を見てほしく、手を挙げた。ドクターバリは、僕と目が合うと、にっこり微笑んでくれて、「この方は、胃が弱っている、普通のバリ人なら耐えられない、また生キャベツを食べてはいけない。また、他の人には言えないこともある。」との診断だった。

また、ヘビースモーカーだった当時、ガラムという、バリ独特の甘い香りのするタバコが売っていて、日本に帰っても、デパートのタバコ売り場にて販売していたので、暫く好んで吸っていた。

夜は、青山先生を囲んでの晩餐会や、ケチャックダンスを見たり、夜空を見ると、降るような瞬く星々が見られて、青山先生と南十字星を一緒に探したり、夢のような時間を過ごした。

楽しい旅行も終わりに近づき、東京便と関西便と、便が違うので、青山先生とも空港でお別れとなってしまった。青山先生と別れぎわ、少しおしゃべりをして、便が呼ばれると、先生と挨拶を交わし、ひとみを呼んで搭乗に急いだ。引っ張る僕、じっくりのひとみ。あとから、ひとみから聞いたのだが、このリズムの違う二人のこれからを、青山先生は、にっこりと微笑んで見送ってくれていたとの事だった。

     

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