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画家Kの自伝 第十章


再発

 
ペインティングライブ
新婚生活の時期を経て、二人は、働きながらK.ArtMarketの活動をつづけた。当時、弟がテレビ局のイベント会社に勤めていて、彼の部署が手掛ける大きなフリーマーケットで、ライブペイントをしてみないか?という提案があった。僕らは、快く引き受け、第一回目は、ペンキや刷毛を買ってきて、自分ひとりパーテーションに紙が貼られた大画面にライブペイントした。そして、ライブペイントは、フリーマーケットのイベントとして年四回のペースで開催された。担当も、弟ということもあって、少し多めの予算を組んでもらい、僕らの大事な収入源ともなった。当時は、「ライブペイント」という言葉はなく、「ペインティングライブ」とか「ペインティングパフォーマンス」と呼んでライブペイントした。もともとは、弟が出張で東京に行ったとき、デザインフェスタで、芸大生がやっていたライブペイントが、あまりにかっこよかったので、そこからアイデアをもらったとのことだった。

 
その頃の勤めは、個室ビデオ店から、ファッションヘルスのビル清掃と、社会の底辺のような仕事だったが、まじめに働いたので、清掃会社の社長からも気に入られた。

勤め、K.ArtMarket、作品制作と、貧しくも楽しい新婚生活だった。

自分の精神科の先生は、名古屋大学付属病院の川上先生が移動になり、西野先生へと変わっていた。

病状も、不安発作もたまに重いものも来るが、全般的に安定してきて、次第に僕は、薬を軽く見るようになっていった。

しかし、精神科の薬は、高血圧の薬と同じで、一定量を継続的に飲まなければならないのが鉄則で、この病気を甘く見た怠りが、再発のきっかけになることになる。

 再発の予兆
病状は、一見軽く、僕も西野先生も、病気は完治に近いという認識だった。通院も、一か月に一回となり、薬も飲んだり飲まなかったり。

やがて、再発の予兆で、僕は天使と会話する、というような妄想?が現れるようになった。

自分はそのころ、よく天使の絵を描くようになり、何枚か描くうちに、とてもリアルな天使画が仕上がった。天使を描いた、というより出現した、という感じだろうか?そして、そのヌードの天使画の天使と、心の中で会話したり、恋するようになった。西野先生に、天使の話をすると、精神医学的にもそういった天使の出現する現象の専門用語があるとのことだったが、だから薬を増やしなさい、とは言われなかった。

 天使との恋
そのヌードの天使の絵を、寝室の自分の足元より上の位置の壁にかけ、僕は夜な夜な彼女とテレパシーで会話するようになった。また、絵の天使が微妙に首を振ったり、手を動かしたり、瞬きをしたり、動くように見えた。テレパシーで、「名前は?」と聞くと「エルです」と答えた。また、ひとみにも、エルの話をすると、「そんなこともあるのね、」といった感じで、病気の症状とはとらえなかった。

天使というと、キリスト教を連想する人もいるかもしれないが、その歴史は長く、キリストの誕生以前の、メソポタミア文明の遺跡にも、羽の生えた天使の石造のレリーフをネットで観たことがある。エルに「エル、君はキリスト教の天使?」と聞くと「違うよ!」との返答だった。

今思うと、エルは、本当は実際に居て、僕を東京時代から導いてくれていた守護霊・守護天使だったのか?と思うこともある。

また、横尾忠則さんも、あるインタビューで、「この人が、僕の絵に感動しているかは天使が教えてくれる」と言われていたと聞いた事がある。ミュージシャンや、芸術家といった、精神活動をする人は、霊的にも敏感な人が多いのかも。

また、ロックンロールの歌詞には、天使や悪魔などが出てくるものをしばしば聴く。

果たして、天使が、病気の妄想の産物か、実際に居るのかは、今でもわからない。

 ある時、体の不調が出て、病気妄想が少し出てしまった時、エルに話しかけると、

 「スマイル!」

と元気づけてくれた。

天使 エル

陽性反応
絵の中のエルも動くが、僕はそのころから、部屋のいろんなものが動くように見える妄想を抱くようになった。机の上のライターを見ても、(右に回れ)と念ずると、微妙に右に回って動くのである。

 いよいよ僕は、統合失調症の再発、陽性反応の入り口に立っていた。

いつしか、部屋に貼ってあるサイババの写真や、ルオーの描いたキリストの絵に強く祈るようになっていた。

サイババの写真に向かって「正しくお導き下さい!」と、日々祈るようになっていた。

サイババの写真の手は、祈ると微かに動いた気がした。

また、そのころ、ラジオをよく流すようになって、自分・エル・ラジオがシンクロして、僕の部屋の次元は、小滝荘の時と同じようにゆがんでいった。

外出すると言うと、「僕も一緒に行きたい!」エルは言った。

当時、自分の個展があり、展覧会準備で、立体物を車で画廊に搬入して、飾りつけをして、「ここちょっと仕上げが甘かったかな?」と心の中でつぶやくと、「だからK君は、ひとみさんに、詰めが甘いって言われるんだよ!」とエルがささやいた。

 不安発作と、妄想と、天使と、と医学的には、統合失調症陽性反応真っ只中だった。ラジオの声や歌詞の意味が自分の思いとシンクロしたり、物が動いて見えたり、天使と会話したり。そして、自分の周りは、キラキラ輝いていた。

僕は、洋の東西を構わず、いろんな神仏に祈るようになっていた。

あるとき、ルオーの描いたキリストの絵にお祈りしていたら、

ここでは書けないが、虹に関する不思議なお告げというかテレパシーを受け取った。

また、それまで僕は、タバコを一日に三箱吸うヘビスモーカーだったが、部屋で寝ていると、急に呼吸が苦しくなり「タバコで、身体を汚すことを止めなさい。このまま吸い続けると、最期には、このように呼吸が苦しいまま死んでいく目にあいますよ!」とサイババの声がして、一旦タバコを止めると、呼吸は楽になり、暫くしてまた我慢できず、煙を肺に入れると、やはり呼吸が苦しくなり同じサイババのささやきが聴こえてきた。

 数日して、観念して僕は脱煙に成功した。

すると、またサイババのテレパシーが伝わり、

「もう二度とタバコを吸ってはいけませんよ、一生、たった一本も!今後あなたがタバコを吸うという行為は、目に針を刺すような、取り返しのつかない行為なのですよ!」と指導された。

それ以来、現在も自分は、一本もタバコを吸っていない。。

 ただ、陽性反応は、テレパシー、妄想、強い不安発作の繰り返しで、特に一番辛かった不安発作の時は、隣の実家に行き、仰向けに寝転がり、両親を呼び、両の手を片手は父、もう片手は母に握ってもらい救ってもらおうとしたが、自分が存在していることがこの上なく恐ろしく、この世にこのような苦しみがあっていのか?という程の恐怖発作で、だれも僕を救う事は出来なかった。ましてや、自分から逃げることもできなかった。僕は、その時、この世には、死より恐ろしいことがあると実感した。

 陰性反応
結局、病気の初発、再発は、桜沢さん・サイババをキーパーソンとしての、統合失調症の陽性反応だったと思う。

かといって、全てが病気で片づけられるものではなく、そこには確かに何か、神秘的存在が介在していたのだと思う。

ただ、このような強い陽性反応の後は、大地震の後の余震のように、辛い陰性反応が繰り返し待っている。不安発作は、非常に辛いもので、本当に死にたくなるのは、精神病を患った方は分かると思う。陽性反応直後の陰性反応は、ひとたび起こると、半日、下手をすると一日中ベッドで苦しむ。心の苦痛は、どこにも逃げることが出来なく、正に地獄の日々である。こうして、僕は、何度も地獄と天国を体験した。

陰性反応で苦しんだ夕方、妻が仕事から帰って来て、夕食を用意してくれるのだが、食事すら一緒に摂れない状態である。

また、大勢の人ごみに行たり、特定の人と長時間対面しても、陰性反応は起きてくる。

以前にも書いたが、昔、名古屋大学付属病院の川上先生が「花粉のあるところに行くと発病します」と言われたが、人の持っているネガティブな波動を敏感に受け取ってしまう様である。

この不安発作は、軽くはなったものの、現在も残っている。

また、今は、時々忘れることがあっても、薬を忘れずに飲むようにしている。

二度と、あのような苦しみは味わいたくない、という思いである。

 

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