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夜更かしの時間が好き。

久々の投稿となります。ここのところ毎日がてんてこ舞いで、自分が動ける時間は、やるべきこと以外は、ほぼ睡眠か食事にあてていました。

そんな日々を過ごしている間に、きっとあまり世の中的には褒められたことではないだろうけれど、私は「夜更かしの時間」を、大事にしたい、と改めて思いました。


1. ちゃんとした大人ではないから


私は典型的な夜型人間です。
朝起きることがとても苦手で、夜に眠ることも苦手です。

夜はいつまでも起きていられます。朝5時に起きるくらいなら、朝5時まで起きているほうがずっと楽。けれど、それでは社会に馴染めません。ヒトは太陽が昇っている間に活動をするから。

朝にきちんと起きて、夜にきちんと寝る」という「当たり前」のことが、生まれつき、私にとってはとても難しいことでした。

小学校の頃、あまりにも寝ぼけて、ふらふらとした足取りで登校する私を見かねたのか、毎朝、私の手を引っ張って、一緒に登校してくれた年下の女の子がいました。その子は、朝からきちっと三つ編みをして、すっきりした顔立ちをしていました。彼女のつむじを眺めながら、私はえらいなぁと思っていました。

きっと彼女は、あのままちゃんとした大人に育っただろうと思います。一方の私はどうだろう? 朝に起きることができる、というのがちゃんとした大人の条件なら……私は、ごまかし笑いをして話題を変えます。ちゃんとした大人ではないから、ちゃんと答えることなど、できるはずがないのです。


2. 夜を愛し、自分を愛する時間を得た


私が朝、曳いては日中が苦手なのは、「ヒトは太陽が昇っている間に活動をするから」です。

誰かの気配で溢れた時間帯は、ずっと気を使わなければならないようで、息が詰まる。よーいどん、でみんなと一緒に「ちゃんとした人間」でなければいけないようで、居心地が悪いのです。

こんなのヒトとして失格だ、と大げさに落ち込んだ時期もありましたが、今は、それでいい、と思うようになりました。

30歳近くになっても、私は朝日の美しさや、澄んだ空気の気持ちよさを知りません。けれど、私は夜の静けさや、月の明るさを知っています。

夜の、耳がつん、とするような音のない世界では、私のつぶやいた戯言など、すぐに吸い込まれてなかったことになる。誰かに拾われて「それってさぁ」なんて言われない。眠れなくなるよ、と指摘されるカフェイン入りの紅茶を飲んでも、誰からも文句を言われない。

私は、言いたいときに、言いたいことを口にしてはいけないのかしら? 私の好きなものを、好きな時間に飲むことの、何が悪いのかしら?

言いたいことを飲み込んだり、好きなものを我慢したり――大切なものを手放さなければならないほど、私はこの社会のルールが大切だと思いません。それよりも、私が何を愛していて、何をすると心地いいかを、見失わないほうがずっと大切です。

だから私は堂々と夜更かしをします。夜の時間を愛します。自分が自分でいられる時間を、尊い宝物のように大切にします。紅茶だって飲むし、チョコレートだって食べます。

それで誰かに迷惑をかけるようでは、さすがに生物として淘汰されてしまうので、私は朝に起きる必要のない生活を、選びました。

長年、苦しみながら朝を迎え、我に返る夜の時間をないがしろにしてお金を得ていた日々よりも、夜を愛し、自分を愛する時間を得た今のほうが、ずっとずっと幸せです。


3. 「ちゃんとした大人」であるために失ったものを、ひとつずつ取り戻している


悩ましいのはパートナーとの時間が減ってしまうことでしたが、日中は彼も仕事をしていて、気軽に話はできません。

大体、22時くらいまで、彼は仕事をしているので、それが終わってから、食事をしながらお話をして、彼は日付が変わる前に床につく。私は彼が寝付くまで彼を抱きしめて、彼が眠ったら、そっと布団を出て、紅茶を入れる。そして、私の夜更かしがはじまります。

ここ最近は、社会のルールに合わせて日中にやるべきことがたくさんあり、朝に起きざるを得ず、そのためには夜に眠らざるを得ない日々が続いていました。

そうすると、やっと1日休みが出来ても、何故か日中にも眠気が止まらなくて、夜は何となく眠らなければと思い込んで(眠れなくても布団の中でじっとして)、1日中眠っているような過ごし方をして、身体が重くて仕方がありませんでした。

どうして休んでばかりなのにしんどいのかしら? そう考えてみれば、そういえば最近は、私のための夜更かしの時間をとっていなかった、と気が付きました。

なので、今日は久しぶりに、積極的な夜更かしをしています。大好きな紅茶を入れて、私の戯言をnoteに綴り、耳を澄まして夫の静かな寝息と、物音のしない夜の空を眺めて、私は安心しています。

危うく、ちゃんとした大人ぶって、自分の好きなものを見失うところでした。毎晩毎晩、夜中まで起きていたいわけではないのです。ただ、夜を目いっぱい楽しめること、それに罪悪感を感じることのないこと。そんなひと時が、私が幸せであるためには、必要不可欠なんだと、忙しい日々を過ごし、痛感しました。

気をつけなければ、私は「ちゃんとした大人」になろうとします。可笑しな話ですが、私はそれを、今は止めなければならないのです。「ちゃんとした大人」であるために失ったものを、ひとつずつ取り戻しているから。

私を私自身でちゃぷちゃぷに満たすために、私に必要なのは、日の光ではなくて、夜の月明かりなのです。

朝に起きて、夜に眠る。これが当たり前のようにできない私は、ちゃんとした大人ではないかもしれません。

ちゃんとした大人であることを手放し、代わりに私は幸せを手に入れはじめました。

ならばそれでいい。それ以上の、何を望むのかしら?

そう思った夜更かしの時間の、お話でした。




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