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【初投稿】妻を社長にする方法・自己紹介①

私は幸せです。
プロフィールに記載したように、自由に使えるお金(妻が社長で稼いでくれている)と自由な時間と自由な場所の選択があり、愛する妻と可愛い2人の子供(しかも男の子と女の子)がいるからです。自分自身の仕事もやりたいことにチャレンジさせてもらっています。

現状に至るまで非常に努力をし続けた時期もあります。再現性のある取り組みだと思います。この学びを多くの方に共有し、少しでも良い気づきになればうれしく思います。幸せに貢献できれば幸いです。また、私自身も情報を提供することで将来的に新たな価値を享受できます。

■現在についての詳細
①東京都内の都心3区に居住(新築分譲マンションを購入済み。購入時よりも市場価格が上がっており、いま売ると儲かります。ローン支払いが貯金になっている状態です)
②東証プライム上場グループに勤務。自分がやりたい仕事をさせてもらっており、大変なこともありますが、やりがいを感じ、感謝しています。また、勤務時間・勤務場所は自由です。残業ゼロ、土日祝日完全休み。長期休みの取得も可能です。
③妻は、自分の人生で本当に好きになった人(そんな人に出会えるのは人生でわずかですよね?)。自分が大好きな人と結婚でき、これだけですごく幸せです。家事育児も率先して私が対応、妻と一緒に妻の仕事の戦略を考えたこともあり、妻は東証プライム上場グループの社長になりました。妻とは家族ビジョンの話やお互いの仕事の相談をよくしています。
④子供は男の子と女の子の2人です。運が良く、男女1人ずつ子供ができ、非常に感謝しています。男の子ならではの可愛さ、女の子ならでは愛しさがあります。
⑤お互いの両親は都外に住んでおり、夫婦仲良く健康に過ごしていて何よりです。
⑥世帯年収は数千万円。資産運用もそれなりにでき、安定的に資産は増え続けています。私自身、好きにお金を使っており、お金に関する不満はない状況です。
といったかたちで非常に恵まれており、幸せだと思っています。

■生い立ちからこれまで(大学1年生まで)
・地方都市で産まれ、18歳(高校3年生)まで過ごし、大学入学のタイミングで東京に住みました。
・父、母、兄の4人家族です。父は大手企業に勤めるサラリーマン、母は専業主婦で夫婦仲が良く、良い家庭環境でした。
・勉強は良くできたと思います。中学校1年生までは偏差値70くらいあったかと思います。クラスで1番~2番、学年でも上位3%以内だったと思います。中学2年生くらいから遊びだし、授業もあまり出席しなくなったのでさすがに勉強は悪くなりました。それでも地域で3番目の進学校の高校に入学しました。
・その当時に戻れるならめちゃめちゃ勉強して、最上位の学校で早慶を狙ったと思います。当時は地方在住でしたし、ネットも今ほど機能してなく、情報が乏しく、学歴社会・勉強の重要性・環境の大事さを理解していなかったです。中学生・高校生のときは女の子にモテたい、遊びたいとそちらに夢中になっていました。高校生時代では学校に内緒でアルバイトして月8万円くらいは稼いでオシャレや女の子と遊びばかりしていました。大学の受験勉強もまったくやらず、高校3年生でもバイトをやり、遊び続けていました。(それでもなんとなく青学くらい受かるだろうという謎の自信があり。。。)大学受験に挑みましたが、そんなに人生は甘くなったです。受験は失敗、それでも東京の大学に受かり、浪人なんかしたくない、東京の大学ならそんなに差はない(この時点でだいぶ愚かですが)と思い、そのまま進学しました。
ちなみにろくでなしブルースという漫画が当時は好きで、その舞台が吉祥寺だったので、そのあたりに住んで通えるエリアにある大学という基準で選ぶという、今思えば無知だったと思う判断でした。

東京に住みたいと思ったきっかけは、小学校6年生の修学旅行に行ったときに衝撃を受けたからです。今でも覚えています。新幹線の窓から見える、大きな建物群。実際に東京に行って、原宿や池袋などにいって、圧倒的な地元との差を感じました。その時に将来は東京の住むと決めました。東京に行くと楽しいだろう。地元では手に入らないものや経験が得られるだろうと思いました。(その通りでした)

大学入学当初はどんな仕事をしたかったと言うと、①公認会計士、②ファッションデザイナー、③経営コンサルタントです。
中学生の時に学校の図書館で職業大辞典みたいな本があり、それを全部みて、このあたりかなと思っていました。
・公認会計士⇒独占業務があり安定、かつ将来的にCFOなどで経営幹部になれる可能性がある
・ファッションデザイナー⇒おしゃれが大好き(今も好きですが)
・経営コンサルタント⇒かっこよさそう、高給
といった理由でした。
ちなみに新卒で経営コンサルファームに入社し、経営コンサルタントになっています。

大学に入学した当初は、遊びたい。だが、公認会計士などの準備もしないと思い、まずは簿記からスタートしました。半年で2級まで取り、本格的に公認会計士の検討をしましたが、どう考えても遊びを我慢して勉強し続けないと学生のうちに資格を取ることは不可能だと理解しました。しかも、難易度が理解でき、努力しても学生のうちに資格を取る自信もなくなっていました。このとき大学1年生の秋です。まだ時間があるからゆっくり考えようと、最低限簿記1級の勉強をしながら、大学生活を謳歌していました。(学費や仕送りは親に出してもらっています。簿記などの習い事は自分で稼いだお金で払っていました)

そして、大学2年生のときにひとつの転機がありました。
次回へ続きます。

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