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私の過去について〜社会復帰編〜

20歳で高校を卒業して、進路が決まっていなかった私は無職になった。
だが、何もやることがないかと言うとそうではなく、高校在学時から取り組んでいたハンドメイドの販売やイベントへの出品をしていた。

普通にアルバイトをすることに比べたら、かなり僅かな額だが、ハンドメイドを続けるのに赤字にならないくらいの収益はあった。
当時、知り合いの知り合いのお店に委託販売として作品を置かせてもらってもいた。


高校を卒業し、進学というプレッシャーからも解放されたこともあり、メンタルはそこそこ安定しており、母との確執はあったので、ほとんどの時間を自室にこもり、製作活動にあてていた。


だが、人生の転機が訪れる。

22歳の時、両親が離婚したのだ。

私が20歳くらいの時から、毎年離婚しそうでギリギリしないという出来事が続いており、離婚は時間の問題だと感じてはいたので驚かなかった。

母は私に依存的になり、四六時中私を離してくれなくなった。愚痴や不安を毎日何時間も聞き、出かけたいと言えば付き合い、このべったり生活は朝から深夜まで連日続いた。

両親の離婚より、情緒不安定な母の相手がとても大変だった。


正確には、父が出ていったのが夏頃で、離婚が成立したのが秋頃だった。
役所や公証役場、年金事務所など、様々なところへ母の付き添いをした。

離婚届は、本籍地の役所で提出し、私も付き添い見届けた。


母は、これまで専業主婦が長かった。
正社員で働いたのも、新卒の1年だけ。
しばらくは私たち子供に対しての生活費が父から振り込まれることになり、母もそのお金で生活をしていたが、母のこの先が心配だった。

私も、実家は近々なくなると聞いていたし、父からの生活費もいつまでも頼れるわけではないので、近所のクリニックにパートで就職した。
バイトもほとんどしたことがなく、長期で働くのは初めてで、とても苦労した。
女性ばかりの小さな職場で、俗に言う御局から暴言暴力のいじめも受けた。
でも、当時は辛くても辞められなかった。

私が頑張ることで、母や弟達が少しでも安心してくれたらという気持ちもあったし、憧れの医療関係の仕事だったから。

母も、パートで就職したが、数日〜長くて1ヶ月で辞めてくるということを繰り返していた。
そして、自信をなくしたのか専業主婦に戻ってしまった。


私は、家にお金を入れたり、貯金もしながらなんとか踏ん張り、転職して正社員になりたい夢も出きて、社会人2年目になるとカフェのバイトと掛け持ちして、資格の学校に通うようになった。

掛け持ちしたのは、クリニックのシフトが固定で働ける時間とお給料が少なかったのと、正社員になるには社会経験が足りなさすぎると感じたからだった。

精神的にはしんどい時もあったけど、家庭の状況がそれどころではなかったし、仕事が張り合いにもなっていて、何とか大きく調子を崩さずに過ごせていた。


だが、クリニックとカフェ、2つの職場で同時に社員の欠員があり、学生でも主婦でもない私にしわ寄せがダブルできて体調を崩し、就活を始める頃にカフェのアルバイトは辞めた。

無事第一志望の医療法人に内定をもらい、資格もオールコンプリートで取ることができて、クリニックを円満退社した。
24歳の春から正社員、一人暮らしも始めることになっていた。

やっと、辛いことばかりだった私の人生も軌道に乗ってきたかと感じていた。

でも、この先が新たな苦しみの始まりだった。



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