かすみ

発達障害(ASD)、複雑性PTSDなどを抱えながら、日々奮闘中です。 苦手なこと、苦し…

かすみ

発達障害(ASD)、複雑性PTSDなどを抱えながら、日々奮闘中です。 苦手なこと、苦しいことは色々ありますが、諦めず乗り越えていきたいです️💪✨ 好きな物は、1人でカフェ巡り、百均巡り 年齢はアラサーで、永年一人暮らしでしたが、グループホーム入居しました𖤣𖠿𖤣

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私の病歴について(2024/05/17更新)

私の病歴について( ˘˘ )𓈒𓏸︎︎︎︎ 色々なところで載せているが、一覧にしてみようと思う。 ※長文、重めな内容のため閲覧注意※ 私は現在、発達障害(自閉スペクトラム症、ASD)と複雑性PTSD、摂食障害をメインで治療している。 初診は小学6年 主に母からの虐待(身体的、精神的)で発症。 初診は小学6年だが、3年〜4年頃から不眠、希死念慮、自称行為があり、心の病気であることは自覚していた。 食事がとれなくなり、眠れなくなり、自宅に入れなくなり、近所の小児科から大学病院に

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    • 精神科閉鎖病棟に30回以上入院して思うこと

      私は、今までに精神科閉鎖病棟に30回以上入院している。 途中で正確な回数は分からなくなったが、20歳の頃、当時の主治医が診断書の記載のため数えた時は24回くらいだったはずなので、単純計算で30回以上、40回未満ということになる。 ちなみに期間は、小6〜現在までの18年間の中でなので、スパンも長い方だと思う。 これを見て、回数や病歴を大変そうだなぁ、と思う人もいれば、早くに精神科に繋がれていいなぁと思う人もいるだろう。 早くに精神科に繋がることは、メリットもあるし、デメリ

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      • 人生で初めてODをした時の話

        前回、薬についての話を書いたので、今回もそれ関連で書いてみたいと思う。 私はOD(オーバードーズ)をこれまで何度もしてきた。 私の場合、市販薬と処方薬を使っていたが、薬物依存はなく、衝動的な希死念慮が来ると勢いで飲んでしまうというパターンだった。 人生で初めてのODは、中学2年の時だった。 前回の記事にも書いたが、当時はかなりたくさんの薬を処方されており、ベゲタミンA、B、ロヒプノールが定期薬にあり、頓服でリスパダール液を飲んでいたので、それらがたくさん手元にあった。

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        • ベゲタミンを飲んでいた頃の話

          私はそこそこの睡眠障害である。 不眠は色々な病気の症状としてあるが、私の場合はうつとPTSDの症状が重なり合っているので、一筋縄ではいかないらしい。 精神科にかかり、今年で19年になる。 今30歳なので、人生の半分以上の付き合いだ。 不眠になったのは小学生4年の頃からで、眠剤は小学6年の頃から飲んでいる。 19年の中で、色々な医師と出会い、色々な薬を試してきたが、これは効く!!自分に合う!!というものに出会ったことはない。 「これよりこれの方がましかな」くらいの差しか感

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        私の病歴について(2024/05/17更新)

          離婚した両親と愛情について

          前回までの過去記事とは少し時間軸がずれるが、私の両親のことについて書ける範囲で書いてみたいと思う。 私の両親は、熟年離婚している。 そして、父は再婚しており、新しい家庭がある。 私が子供の頃…小学校に上がる前くらいまでは、父も家にいる時間があったように思う。 段々と、仕事が忙しい、資格の勉強が忙しい、趣味が忙しいと、家にいる時間がなくなっていき、1週間に1度、家の中ですれ違うくらいになっていった。 両親が離婚したのは、私が成人してからだった。 上の弟は大学生で、下の

          離婚した両親と愛情について

          私の過去について〜ブラック企業から逃げ出すまで〜

          前回の記事の内容と重複するが、ブラック企業から逃げ出すまでのことを書いておきたい。 1度目の休職は新人の頃で、遠方の支店への長期出張で、過酷な職場環境でうつになったことが理由だった。 この時は医師の勧めで休職したが、仕事量をセーブすれば働けるくらいの状態だった。 代わりがいなかったため、あまりまとまって休めずに1ヶ月程で復帰した。 2度目の休職は2年目になってしばらくした頃で、役職がつき、新人の指導係も任されていた。 元々同期よりも抱えている仕事量が多い中での新人指導で、

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          私の過去について〜ブラック企業から逃げ出すまで〜

          私の過去について〜ブラック企業とうつ病の発症〜

          正社員での就職が決まり、一人暮らしも始めて、新しい仕事が始まった。 ある医療法人のオープニングスタッフだった。 仕事で必要になると言われて、運転免許も取った。 新生活のスタートは順調だった。 だが、すぐに職場内で足の引っ張り合いやいじめに近いものが始まる。私は被害者でも加害者でもなかったのだが、とても嫌な気持ちだった。 スタートから1ヶ月ほどで2人辞めた。 私は慣れない仕事を覚えることに専念した。 自炊やお弁当作りも頑張っていた。 新しい仕事にも少し慣れてきた頃、遠方

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          私の過去について〜ブラック企業とうつ病の発症〜

          私の過去について〜社会復帰編〜

          20歳で高校を卒業して、進路が決まっていなかった私は無職になった。 だが、何もやることがないかと言うとそうではなく、高校在学時から取り組んでいたハンドメイドの販売やイベントへの出品をしていた。 普通にアルバイトをすることに比べたら、かなり僅かな額だが、ハンドメイドを続けるのに赤字にならないくらいの収益はあった。 当時、知り合いの知り合いのお店に委託販売として作品を置かせてもらってもいた。 高校を卒業し、進学というプレッシャーからも解放されたこともあり、メンタルはそこそこ安

          私の過去について〜社会復帰編〜

          私の過去について〜高校後半〜20歳〜

          年が明け、転院した。 新しい主治医の先生は穏やかなそうな男性だった。 この時はまだ体調がすごく不安定で、3月頃に転院して初めての入院をした。 気持ちの不安定さと拒食、過呼吸などがあり、入院中は点滴もしていた。 転院先の病院には、主治医初め、初めて私と向き合ってくれる大人がいた。 周りの医療スタッフのお陰で、少しずつ自分の特性と向き合えるようになっていった。主治医は母との間にも入ってくれて、親子関係の修復を頑張ってくれた。

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          私の過去について〜高校後半〜20歳〜

          私の過去について〜中学卒業後から転院まで〜

          2度目の飛び降りから、最低限の体の治療を終えて自宅退院した私だったが、日常生活を介助なしで送れるようになるには何ヶ月もかかった。 前回のnoteにも書いたが、中学を卒業したくらいの時期から、中学レベルの勉強を始めた。 体の状態から、予備校に通ったりすることは難しかったため、フリースクールから心理士さんが訪問に来てもらい、勉強を見てもらっていた時期もあった。 本格的に高校受験を目指そうと思ったのは、可愛がってくれた父方の祖父が末期癌になってお見舞いに行った時に、すっかりやつ

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          私の過去について〜中学卒業後から転院まで〜

          私の過去〜中学生後半〜

          中学2年で飛び降りた後も、元の病院に戻り、変わらない入院生活を送っていた。 中学3年間は、家も病院も安心出来る場所ではなく、入退院を繰り返して行ったり来たりしていたが、退院できても数日、早い時ではその日中に再入院していた。 中学2年の頃、人生初めてのODをした。 当時の処方ベゲタミンA、B、ロヒプノール、頓服のリスパダール液の余っていた分を外出中に一気に飲み、意識を失った。当時はネットが身近な時代ではなく、ベゲタミンが強い薬だと知らなかったのだ。

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          私の過去〜中学生後半〜

          私の過去について〜中学生前半〜

          2回目の精神科入院をしている間に中学生になった。 ちなみに1回目の入院の後は、楽しみにしていた小学校への復帰はあっけなく砕け散った。 3ヶ月近くも入院していたら、友達は多かったはずなのに馴染めなくなってしまった。 友達との時間を取り戻したいのに、休み時間は山のようなプリントを渡されて、それをこなす日々でとても味気なかった。 そして2回目の入院を終えて退院。 この時も3ヶ月くらいの入院だったと思う。 この時、すでに自宅には居場所がなかった。 母と上の弟は、私を空気のように

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          私の過去について〜中学生前半〜

          私の過去について〜初めての精神科入院〜

          小児科で紹介された大学病院の初診日になった。 予診で色々と聞かれた後、主治医の診察になったが、大学病院は待ち時間がかなり長い。 ガリガリに痩せており、眠れない小学生の私にはとても苦痛な時間だった。 家族は入院治療を望んでおり、初診日までに私に勧めていた。入院すれば元気になってまた学校に通えると言われ、私も入院しようと思っていた。 主治医は比較的若い女医だった。 入院はあまり勧めない、するとしたら閉鎖病棟になり、1ヶ月は面会謝絶になると言われた。 病棟の出入口に鍵をかけら

          私の過去について〜初めての精神科入院〜

          今、生きていること

          昔の記事が続いていたので、最近のことについても書いてみようと思う。 まず、昨年のことから。 昨年は体調が安定しない年だった。 覚えているだけで4回ほど救急搬送されている。 救急搬送の理由は、解離、ODなどの行動化、低血糖発作など様々で、搬送先も様々だった。 1月〜3月は自宅で一人暮らしをしながら、通所、訪問看護、通院を受けながら過ごした。 3月に通所先が変わった。 必死で慣れることを頑張っていたところに、主治医が変更になった。 私は発達障害の特性で変化に弱い。 若い頃に

          今、生きていること

          私の過去について〜小学校高学年から発病まで〜

          4年生になった。 相変わらず行き渋りはあったが、家からランドセルごと放り出されたり、怒鳴られたりして不登校にはならずにいた。 4年になるとクラブ活動が始まった。 私は親しい子がいなかったので「何となく」バスケ部に入った。バスケをしたことはなかった。 私は発達障害の特性で、運動が苦手だ。 だが、当時は自分が発達障害だということも、運動が人より出来ないことも分からなかった。 まだこの頃は体育も嫌いじゃなかった。 喘息持ちだったので見学が多かったのもあるが、「人よりできていない

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          私の過去について〜小学校高学年から発病まで〜

          私の過去について〜小学校低学年〜

          小学校低学年のこと 幼稚園に行き渋りをしながらも、無事通い卒園。 私は小学生になれるのを楽しみにしていた。 親の送り迎えじゃなくて、自分で学校に行けるのがかっこよかったし、幼稚園では友達が上手く作れなくて、ママ友の子供同士で遊ぶことが多かったけど、小学生になれば友達もできるんだと思っていた。 でも… 小学校入学あたりから、私の人生はおかしくなり始めた。

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          私の過去について〜小学校低学年〜