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私の過去について〜初めての精神科入院〜

小児科で紹介された大学病院の初診日になった。

予診で色々と聞かれた後、主治医の診察になったが、大学病院は待ち時間がかなり長い。
ガリガリに痩せており、眠れない小学生の私にはとても苦痛な時間だった。

家族は入院治療を望んでおり、初診日までに私に勧めていた。入院すれば元気になってまた学校に通えると言われ、私も入院しようと思っていた。

主治医は比較的若い女医だった。
入院はあまり勧めない、するとしたら閉鎖病棟になり、1ヶ月は面会謝絶になると言われた。
病棟の出入口に鍵をかけられるのは怖かったので少し躊躇したが、精神状態も身体状態も限界だったので入院することを選んだ。

入院までの期間、母とずっと一緒に過ごした。
自宅に入れなかったので祖父母宅の和室を借りて過ごしていた。
この時自宅に入れなかったのは、当時は説明出来なかったけど、自宅にいると母から虐待を受けていた時のことがフラッシュバックして怖かったからだった。
母はこの時だけは優しくて、毎日ドライブがてらコンビニに連れて行ってくれて、食べられそうなものを買ってくれた。初めて抱きしめてくれて、私の話を聞いてくれて愛されてると感じた。
だが、母に愛されるためには食べてはいけないんだと思ってしまった…

そして、大学病院の閉鎖病棟に入院した。
大学病院だからなのか、主治医は3人ついた。
面会謝絶で家族に会えなくても、不思議と寂しい感情はなく、洗濯物を交換に来てくれていた母から手紙が入っていたり、クラスの子達からの手紙が入っていて嬉しかった。
部屋は6人部屋で、自殺防止のため仕切りのカーテンはなく、窓には鉄格子があった。
当時は栄養剤の種類も今より少なくて、エンシュアリキッドが処方された。
薬は最初だったので今もよく覚えていて、レキソタン、デプロメール、サイレースだった。

年上の患者さんと仲良くなり、折り紙や勉強などをしてわりと楽しく過ごしていたが、時々火がついたように壁に頭を打ち付けて血を流したり、窓と鉄格子の間に足をかけて保護室に入れられたりした。

この入院で、よくなるはずだった。
でも、結果的に状況は悪化した。
担当看護師に母から受けていた虐待のことを少し話したら、母に直接注意されてしまい、優しくなっていた母の態度が一変した。
約束の1ヶ月が経ち、面会出来るようになっても気まずい時間が続き、外泊、退院となっても自宅に私の居場所はなかった。
母がまた優しくしてくれるのではないかと思い、拒食を続けたが、もうほとんど相手にされなかった。

病院に戻りたい。すぐにそう思うようになった。

この入院中に心理検査(発達含む)を受けていたが、当時はまだ発達障害があまり知られておらず、見逃され、診断名は「適応障害」だった。


自宅には入れるようになっていたものの、居場所がなく、母の態度も辛くて退院して3ヶ月も経たずに再入院した。メインの主治医が偉い先生になり、元々の主治医はサブになった。

小学校の卒業式、中学校の入学式には出られなかったが、閉鎖病棟の患者さんはほとんどの人が可愛がってくれたし、看護師さんも優しかった。


2回目の入院でも、前回と同じように、時々自傷行為や希死念慮はあったが、わりと穏やかに過ごしていた。

2回目の入院から退院してからが、本当の苦しい時期の始まりだった。


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