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今、生きていること

昔の記事が続いていたので、最近のことについても書いてみようと思う。

まず、昨年のことから。
昨年は体調が安定しない年だった。
覚えているだけで4回ほど救急搬送されている。
救急搬送の理由は、解離、ODなどの行動化、低血糖発作など様々で、搬送先も様々だった。


1月〜3月は自宅で一人暮らしをしながら、通所、訪問看護、通院を受けながら過ごした。

3月に通所先が変わった。
必死で慣れることを頑張っていたところに、主治医が変更になった。
私は発達障害の特性で変化に弱い。
若い頃に比べると強くなったが、それでも2つ同時の変化は未だにキャパオーバーしてしまう。
4月〜7月、主治医に慣れる目的と休息のため、いつもの急性期閉鎖病棟に入院した。

退院後も不安定な状態が続いていた。
3ヶ月入院し、たくさん看護師さんに間に入ってもらっても主治医との溝は埋まらず、拒食、過活動にのめり込むようになる。
訪看では夏バテと言われたが、私は体重を減らすことに安心感を抱いていた。

次第に遠方の通院先に通えなくなり、ヘルパーさんが薬を貰いに行ってくれていた。
訪看で勧められて、どうしてもしんどい時は近所の内科に点滴に通っていた。
通所もあまり通えなくなっていた。

9月、自力でまっすぐ歩けなくなっており、点滴に通っていた内科で入院を勧められ、近所の総合病院の内科に数日入院。内科的疾患があるわけではないため数日で退院となり、かかりつけ(通院先)の総合病院の内科に転院。数日内科で絶食、ビーフリード点滴などを受けて精神科の慢性開放病棟に転科。

かかりつけの慢性期病棟は摂食障害の治療には向かなかった。
開放と閉鎖があるのだが、開放では過食嘔吐が自由にできてしまうし、閉鎖は重度の統合失調症の患者さんが多く、療養できる環境ではなかった。
開放から閉鎖に移り、限界を迎えて無理やり退院。
いきなり退院したので訪看が入れず、2日後に大きなフラッシュバックを起こし、解離してOD、救急搬送された。肝臓が壊れてしまいICUに10日、一般病棟に5日ほど入院した。

救急科の主治医と父が精神科への入院を決めてしまい、かかりつけで受け入れ拒否されたため、知らない病院に転院が決まる。
今の通院先と主治医との出会いだった。

また主治医が変わったことで、しんどい面もあったが、違う視点でのアドバイスをもらうことができた。
「複雑性PTSDはこの入院で治すことは難しい、サポートを受けられるグループホームへの退院を勧めます」と言われた。
ここでは4ヶ月入院し、色々なことを乗り越えて今のグループホームに退院した。



今、退院して2ヶ月が経った。

体調は安定してはいない。
不眠と過眠を繰り返し、1週間のうち活動できるのは半分程度で、半分は過眠で眠り続けてしまう。
通所も週に3日行けたらいい方だ。

過食嘔吐もやめられていないし、フラッシュバックや解離も時々起きている。
でも、危ないことはせずにいられているし、今日も生きている。

私は一人暮らしができていると思っていた。
でも、今の主治医に入院中に、できているとは言わないとはっきり言われたことで、今がある。
家事能力があることと、一人暮らしができることはイコールではないらしい。

今は過眠で無気力でも、世話人さんが夜ご飯を作って持って来てくれるので、1日1食は食べられているし、夜には毎日訪問看護があるので、精神的サポートも得られている。


私は、死にたくなることはあっても、本当のところは生きていたい、死にたくないんだと思う。
だから行動化して解離していても、無意識に訪看やかかりつけにSOSを出すのだと思う。

生きていくことは楽では無い。
辛い過去と今はいつだって繋がっている。
だけど、これからも生きていきたい。




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