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葬儀で喪主・落ち込む暇なし

母が亡くなったあとの後日談です☆

病院で母が亡くなったあとは落ち込む暇がありませんでした。

病院では霊安室に母を保管してくれますが、それがいつまでも置いておいていいわけではなく日数が限られてました。
なので早めに自宅か葬儀屋さんに移動させなくてはいけませんでした。

我が家の場合は葬儀屋さんに来てもらって母の移動をお願いしました。

実はですね、私が入っていた生命保険屋さんからアドバイスをもらっていました。

「いざ、亡くなってからバタバタと葬儀のことを決めるとなると焦ってしまい大変ですよ。酷な事ですが、命の期限が決まっているのでしたら先に葬儀屋を決めておいて相談しておいた方が後々良いですよ」と

なので、母が入院してる間にこの生保さんに葬儀屋さんを紹介してもらっていて母が亡くなった時の打ち合わせをしてありました。

家族が亡くなる前にそんなことをするなんて!と思いますよね。
私も抵抗がありました。

でも現実的な話、自分はいざその時がきたらパニックになりオタオタしそうで不安でした。

結果的に、予め葬儀屋さんを決めておいて本当に良かったです。

・早めに母を移動させなくてはいけなかったこと

・母を保管する棺も場所もなかったこと

葬儀屋さんにお願いしてなければ対処できませんでした。

そういった流れもあり、母の移動は速やかにスムーズに行われました。

なので私の経験上ですが…

万が一、医師に完全な余命宣告をうけていたら念のためどこの葬儀屋さんに依頼するかだけでも決めておく事をオススメします。

焦って合わない葬儀社を選んでしまわない様にする為。

これ、本当に現実的な問題です。

大切な人の命の事で、こんなこと嫌だと思われると思います!

でも時は待ってはくれず、病院も事務的作業はあります。

無情に感じてしまいますが、現実は手厳しいです。

そして、葬儀屋さんでの葬儀内容の打ち合わせと見積が待ってます。

当時の我が家の場合

  • 献花の数

  • 通夜で出す精進料理のランクと数

  • 参列者の人数(招待者の洗い出し)

  • 引き出物の内容

  • 喪服は持参かレンタルか

  • 喪主はだれか

  • 喪主の挨拶の練習

  • 火葬場へ同行する人数(親族をどこまで?)

  • 葬儀の規模

(この時の費用は99万円位。
当時の相場では安い方だそうです
因みに病院代はオヤジ、葬儀代は私が支払いました)

これらを、母を移動させた後にオヤジ同席の元、葬儀担当者と話し合い決めました。

本来なら形式的に父親のオヤジが喪主で色々取り決めをするものですが、オヤジと母は籍を入れていなかったので娘の私が喪主を務めました。

母が亡くなってオヤジはすっかり肩を落として抜け殻みたいになってしまいました。
なので、私がしっかりせざる得なくなり気を張らせたまま通夜葬儀を取り仕切りました。(葬儀屋さん親切で都度親切に教えていただきました。頼る人がいないから有難かった)

葬儀の参列者がオヤジの仕事関係の上役が来てくださっていました。身内だけでない参列者に凄く緊張しました。

私はオヤジの仕事関係者に初めて会いましたが、母は生前に交流があったらしく「お母様には大変良くして頂きました。とても気さくで良い方で・・・この度は誠に残念です・・」
と挨拶され、母がそんなことをしていたと亡くなってから知りました。

(生前、母がオヤジの出張によく同行していたんです。そのせいで小学生の私はいつも1週間くらい1人でお留守番しててこのまま母は帰ってこないかもと不安になってました苦笑)


最後に喪主からの挨拶の言葉を言うのですけど、むちゃくちゃ緊張して暗記した言葉が真っ白になりそうになりました笑(普段、言い慣れてない言語を使うの大変ですよね汗)


そうそう、母が亡くなったことを実感する瞬間がふたつありました。

葬儀で「最期のお別れです」と棺の中にお花とか故人の好きなものをいれてあげるんですけど、その時母の顔を触ったらとても冷たくて。
その時に初めて泣いて号泣しました。

もうひとつは火葬場で焼き場の扉が閉まるときです。
これでもう本当にいなくなるんだ・・・焼かれるんだ・・と思ったら立ちくらみがしてしゃがんだまま泣きました。


葬儀が終わっても、参列者への香典返しを手配したりとやることはありました。

そういった作業等も終了してからが本当の悲しむ時間がやってきました。
夢のようだった出来事なのに位牌や遺骨がある。
じわじわと空虚感と悲しみと空っぽになった自分と。

兄弟もなく、オヤジとは血の繋がりもないし親戚も他人のようなもので孤独感がどっと押し寄せました。

目に見える景色に色が無くなりました。

自死ももちろん試みたし、仕事もやめてたから毎日魂の抜けた状態でしばらく過ごしました。(仕事があった方が良かったです汗・母の死に向き合いすぎました)

当時、わたしは25歳。

随分、昔の出来事になりました笑
今だからこうして冷静に書くことができます。



いろいろな悲しみや辛さを薄く出来るのは、時間薬しかありません。

もしも今辛く悲しい思いをしてる人がいましたら、どうにかこうにかと今を紛らわせてください。どうにか紛らわせてください(耐えるとかでなく)

人間にはとても優秀な機能「忘れる」がついています!
人は忘却の生き物です。

脳に記憶されても、引き出しに閉まわれて眠ります。
いつまでもその記憶が前面にあると精神が耐えられないと判断されるらしいです。

何かのキッカケがないとその引き出しは簡単には開きません。


人間は必ずいつか終わりがきます。悔いのない様日々を過ごしたいですね✨


ここまで読んで頂き誠にありがとうございます!




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