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「謝罪」からひろがる世界を探検する――『謝罪論』刊行記念・古田徹也さん選書リスト公開!

 2023年9月に発売となった古田徹也さんの『謝罪論』刊行を記念し、9月28日から11月30日までの期間、代官山 蔦屋書店で選書フェアをご展開いただきました。

 しかしフェア期間中、さまざまな事情から、足を運べなかった方も少なからずいたのではないでしょうか。また、選書フェアにあたってつくられた32冊のタイトルと選書コメントが掲載された小冊子は、「謝罪」という行為を考える上で最良のガイドになっているとも思われます。このまま眠らせておくには惜しい……。

 というわけで本稿では、代官山 蔦屋書店のご担当者様のご厚意で、店舗限定で配布された小冊子の内容をまるごと公開させていただきます! 『謝罪論』をより深く読み解くためのガイドとしてももちろん、年末年始の読書の参考にもなれば幸いです。

担当編集より


著者からのメッセージ

「謝罪」からひろがる世界を探検する
 謝罪というのは、私たちの社会や生活の隅々にまで深く根を張っている実践ですが、それだけに、その全貌を見渡すことは容易ではありません。
 謝罪それ自体について、あるいは、この実践と密接に結びつく「責任」や「償い」、「約束」、「赦し」、「後悔」、「誠意」といった諸概念をめぐって、拙著『謝罪論』のなかでも取り上げた文献を中心に選書し、内容的に拙著のどの章にかかわるかという観点から整理して並べました。「謝罪」からひろがる広大な知的世界を探検するガイドとなれば幸いです。

古田徹也


選書リスト

【プロローグ】

◆古田徹也『いつもの言葉を哲学する』、朝日新書、2021年
今回の『謝罪論』のベースとなったエッセイ「「すみません」ではすまない」を収録。この小論では、本心の不確かさをはじめとするいくつかの論点を挙げたうえで、「すみません」ではすまない場合の謝罪を、特に〈認識の表明〉と〈約束〉から成るものとして特徴づけている。


【第1章】

◆J・L・オースティン『言語と行為――いかにして言葉でものごとを行うか』、飯野勝己[訳]、講談社学術文庫、2019年
行為遂行的(パフォーマティブ)なものとしての発話の側面を鮮やかに照らし出す、現代の言語哲学の記念碑的著作。今回の『謝罪論』ではオースティンの議論を批判的に検討しているが、『言語と行為』が数々の洞察にあふれた名著であることは疑いない。

◆アヴナー・バズ『言葉が呼び求められるとき――日常言語哲学の復権』、飯野勝己[訳]、勁草書房、2022年
20世紀前半、オースティンやウィトゲンシュタインは、言葉の日常的な使われ方に着目する「日常言語哲学」の潮流を創始した。本書の著者アヴナー・バズは、このアプローチを軽視する哲学界の現状を鋭く批判し、日常言語哲学の重要性を説得的に示している。

◆熊野純彦『和辻哲郎――文人哲学者の軌跡』、岩波新書、2009年
和辻哲郎の主著『倫理学』は、間違いなく、現代に至る日本哲学を代表する著作のひとつだが、残念ながら入手するのは難しい(2007年に刊行された岩波文庫版も、いまは「品切れ」状態が続いている)。代わりに、和辻の思考に触れることのできる最良の入り口と言えるのが本書である。

◆池田喬『ハイデガー 『存在と時間』を解き明かす』、NHKブックス、2021年
現代哲学の古典中の古典である『存在と時間』の勘所を明快に描き出す優れた解説書だが、道徳性をめぐるハイデガーの思考を辿るなかで、和辻哲郎の謝罪論についても、「負債(借り)」という観点に着目した興味深い議論を展開している。

◆ベンジャミン・ホー『信頼の経済学――人類の繁栄を支えるメカニズム』、庭田よう子[訳]、慶應義塾大学出版会、2023年
行動経済学の観点から信頼、謝罪、平等といったものを主題化している研究者の著作。人間がいかにして互いに信頼するようになったかという人類史を紐解いた上で、和辻哲郎と同様に、信頼の回復という観点から謝罪を特徴づける議論を展開している。

◆ルース・ベネディクト『菊と刀』、角田安正[訳]、光文社古典新訳文庫、2008年
アメリカの文化人類学者ベネディクトによる著名な日本文化論。その第5章において彼女は日本語の「すみません」を分析しており、和辻哲郎と同じく、負債を返し切ることができないという負い目や負担の感覚がこの言葉に表れていると論じている。

◆土居健郎『「甘え」の構造(増補普及版)』、弘文堂、2007年
精神分析学者の土居健郎は本書のなかで、ベネディクトの謝罪論を批判的に継承しつつ、「甘え」という観点から、なぜ日本人が「すみません」という言葉を頻発するのかを解釈している。日本語の「すみません」が何を含意するかをめぐる古典的な議論のひとつ。


【第2章】

◆門脇俊介・野矢茂樹[編・監修]『自由と行為の哲学』、春秋社、2010年
現代の英米哲学の重要論文を揃えた良質なアンソロジーだが、特に、このなかに収録されているP・F・ストローソンの「自由と怒り」は、人間が人間に対して向ける特有の態度を「反応的態度」という名の下に浮き彫りにした著名な論文であり、謝罪というテーマとも深く関連している。

◆村山綾『「心のクセ」に気づくには――社会心理学から考える』、ちくまプリマー新書、2023年
何か重大な出来事が起こったとき、人は、それがたまたま理不尽に生じたという風には吞み込みがたい。代わりに、それが生じた原因を特定の人物やその行動に求めて、その人物の責任を問いがちである。本書は、人間のそうした心的傾向性の内実を分かりやすく解説している。

◆ハンナ・アレント『人間の条件』、牧野雅彦[訳]、講談社学術文庫、2023年
現代を代表する政治哲学者アレントは、その主著のひとつである本書のなかで、「赦し」とは何かをめぐる名高い議論を展開している。赦しはいかにして実現するのか、赦しと復讐や罰はいかに関係するのか。彼女の洞察は「謝罪」をめぐる問題圏にも及んでいる。

◆ハンナ・アレント『責任と判断』、中山元[訳]、ちくま学芸文庫、2016年
アレントの後期の講演や論文を集成したアンソロジー。彼女が『人間の条件』において展開した「赦し」や「罰」などをめぐる論点がさらに掘り下げられているほか、戦後責任などの問題に直結する、いわゆる「集合的責任(集団責任)」という極めて重要概念が提示されている。

◆瀧川裕英『責任の意味と制度――負担から応答へ』、勁草書房、2003年
責任とは何か。責任とは負担――引き受けられ、負われるような実体――なのか、それとも、間責とそれに対する応答という関係なのか。責任という概念自体をめぐって精緻な整理がなされるともに、決定論や修復的司法など、驚くほど広範な論点が扱われている。

◆ハワード・ゼア『修復的司法とは何か――応報から関係修復へ』、西村春夫・細井洋子・高橋則夫[監訳]、新泉社、2003年
「修復的司法」は、刑罰を科すことを刑事司法の主軸に置く従来のあり方に異議を唱える考え方であり、そこでは、謝罪が本質的に重要な役割を担うことになる。本書は修復的司法のパイオニアとして知られる犯罪学者ゼアの主著であり、彼の理論のエッセンスが示されている。


【第3章】

◆古田徹也『はじめてのウィトゲンシュタイン』、NHKブックス、2020年
今回の『謝罪論』では、謝罪とは何かを定義するよりも、謝罪の重要な要素をひとつひとつ辿って見渡すことの重要性を説いている。この考え方の背景にある「家族的類似性」をはじめとして、ウィトゲンシュタインの重要なアイディアを包括的に解説しているのが本書である。

◆古田徹也『このゲームにはゴールがない――ひとの心の哲学』、筑摩書房、2022年
謝罪ではしばしば「誠意」というものが焦点となる。だからこそ、謝罪する側の本心はどうなのか、心からすまないと思っているのか、等々、他者の心についての懐疑がつきまとうことになる。本書では、この種の懐疑論の正体を探りつつ、ひとの心というものを捉え直す新しい視座を提示している。

◆三木那由他『言葉の展望台』、講談社、2022年
言葉とコミュニケーションの関係をめぐる優れたエッセイ集。そのなかの「謝罪の懐疑論」と題された節では、約束という観点の下に謝罪を捉える立場から、誠実な謝罪と不誠実な謝罪の違いが、漫画『僕のヒーローアカデミア』の登場人物「かっちゃん」による謝罪を題材に紐解かれている。

◆大坪庸介『仲直りの理――進化心理学から見た機能とメカニズム』ちとせプレス、2021年
仲直りとは、価値ある対人関係を失わないようにメンテナンスをすることだ、という視座の下、動物行動学と心理学の手法に基づいて、仲直り(和解)のメカニズムを探究している。コストのかかる謝罪が誠意を伝えることを実験によって明らかにするなど、謝罪をめぐる興味深い知見も充実している。

◆宮沢賢治[作]・茂田井武[画]『セロひきのゴーシュ』福音館書店、1966年
社会学者のアーヴィング・ゴフマンは、〈謝罪とは、過去の自分を現在の自分から切り離す行為である〉と考えた。童話『セロひきのゴーシュ』の主人公は最後、彼方のかっこうを想い、「すまなかったなあ」と言う。それは主人公の成長と変化を表すものだ。しかし、それだけではない。彼の謝罪にはどこか謎も残る。そしてそれが、この作品の余韻をつくりだしている。


【第4章】

◆バーナード・ウィリアムズ『道徳的な運――哲学論集一九七三~一九八〇』、伊勢田哲治[監訳]、勁草書房、2019年
現代の倫理学界に甚大な影響を与え続けている論文集。なかでも「道徳的な運」は、道徳というものをめぐるありふれた見方を強く揺さぶる議論が詰まっている。今回の『謝罪論』でも、この論文に出てくるトラック運転手の事例を大きく取り上げている。

◆古田徹也『それは私がしたことなのか――行為の哲学入門』、新曜社、2013年
上述のトラック運転手の事例をはじめとして、今回の『謝罪論』第4章の土台をとなっているのが、「行為」という概念をめぐって探究している本書(特に第3章)の議論である。さらに、過失とそうでないものの区別などについては、本書の方がより突っ込んだ議論を展開している。

◆高山真『エゴイスト』、小学館文庫、2022年
この小説において「ごめんなさい」という言葉は、物語の全体にかかわる象徴的な役割を背負っており、実に多様な場面に登場する。そこでは、「ごめんなさい」をはじめとする謝罪の言葉の機微も、奥行も、問題も、すべてが見事なほど露わになっていると言えるだろう。

◆デイヴィッド・ミラー『国際正義とは何か――グローバル化とネーションとしての責任』、富沢克・伊藤恭彦・長谷川一年・施光恒・竹島博之[訳]、風行社、2011年
国家の責任をはじめとする事柄が幅広く論じられている本書だが、特に第6章「責任を引き継ぐこと」では、歴史的補償の問題が扱われるなかで、誰かの代理ないし代表として謝罪することや、国家の代表者による謝罪の可能性、およびその意義などについて、独自の分析が加えられている。

◆安彦一恵・魚住洋一・中岡成文[編]『戦争責任と「われわれ」――「「歴史主体」論争」をめぐって』、ナカニシヤ出版、1999年
加藤典洋の『敗戦後論』と、それに対する高橋哲哉の批判に端を発する、いわゆる「歴史主体」論争は、戦前・戦中世代の戦争責任を戦後世代は(いかにして)引き継ぎうるのか、特に、謝罪する理由は(どこに)あるのか、という問題に直結している。本書は、この問題に接近する多角的な道筋を示してくれる。

◆I・M・ヤング『正義への責任』、岡野八代・池田直子[訳]、岩波現代文庫、2022年
社会において構造的な不正義がどのように生まれ、維持されるのか、また、その不正義はいかにして是正されうるかについて、非常に啓発的な議論が展開されているが、そこには、先行世代の行為について後続世代が責任を負うことをめぐる重要な考察も含まれている。

◆古田徹也『言葉の魂の哲学』、講談社選書メチエ、2018年
言葉を多面的・立体的に理解するということの内実と重要性を探究する一書。今回の『謝罪論』、特にその第4章第3節において、「すみません」および「I’m sorry」という言葉の多面性ないし曖昧性をめぐって実践している分析は、本書の議論の応用編とも言えるものだ。


【エピローグ】

◆川合伸幸『科学の知恵 怒りを鎮める うまく謝る』講談社現代新書、2017年
心理学などの実証的研究を踏まえて、相手の怒りを鎮めたり赦しを得たりするために適切な謝罪とはどのようなものかが精緻に分析されている。また同時に、実際の謝罪には私たちが想定しているほどの効果はない、とも指摘されており、謝罪への幻想に警鐘を鳴らす議論が展開されているのも本書の特徴だ。

◆草下シンヤ『怒られの作法――日本一トラブルに巻き込まれる編集者の人間関係術』筑摩書房、2023年
「裏社会」に関する著書を長年送り出してきた編集者としての実体験に基いて、「『怒られ』が発生している状況」を回避するのではなく、その状況をどう活かすべきかが、地に足の着いたかたちで説かれている一書。怒りの原因に目を向ける意識の重要性や、相手に謝る前の姿勢の重要性など、啓発的な指摘が数多い。

◆小手川正二郎『現実を解きほぐすための哲学』、トランスビュー、2020年
性差や人種など、多様な要素が複雑に絡まり合う現実の問題の難しさから目を背けずに、その難しさに粘り強く向き合うこと。それはしんどいが、問題の解決に向かうための本当の道でもある。本書は、その道筋を著者が実際に辿ってみせる、誠実かつ実践的な一書である。

◆向田邦子『父の詫び状(新装版)』、文春文庫、2005年
謝罪の中身や方法はマニュアルで尽くせるようなものではない。状況や関係性などに応じて、それこそ無数にありうるだろう。「此の度は格別の御働き」という一文に朱筆で傍線を引いたものが詫び状になることすらあるのだ。現代でも指折りの日本語の使い手による、機微と余韻にあふれるエッセイ集。

◆プラトン『ソクラテスの弁明』、納富信留[訳]、光文社古典新訳文庫、2012年
謝罪しておけば誠意が示される、とはかぎらない。むしろ、自分の信念に基づいて自分の行為を正当化する弁明を毅然と行う方が、誠実さや真摯さが体現されるということもありうる。本書における決して謝らないソクラテスの姿は、その最も古典的な事例のひとつだと言える。

(以上)


選者:古田 徹也 (ふるた・てつや)
1979年、熊本県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科准教授。東京大学文学部卒業、同大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。新潟大学教育学部准教授、専修大学文学部准教授を経て、現職。専攻は、哲学・倫理学。『言葉の魂の哲学』で第41回サントリー学芸賞受賞。その他の著書に、『それは私がしたことなのか』(新曜社)、『ウィトゲンシュタイン 論理哲学論考』(角川選書)、『不道徳的倫理学講義』(ちくま新書)、『はじめてのウィトゲンシュタイン』(NHKブックス)、『いつもの言葉を哲学する』(朝日新書)、『このゲームにはゴールがない』(筑摩書房)など。訳書に、ウィトゲンシュタイン『ラスト・ライティングス』(講談社)など。

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