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平安時代の信仰について分かりやすく

平安時代の人々の宗教的習慣というと、「病気は物の怪のせい」「方違えで仕事を休む」「老後は出家」「豊穣を神に祈る」という慣習的なものから、「最澄が天台宗、空海が真言宗を開いた」「伊勢神宮に斎宮を奉仕させた」という歴史的なことまで色々と思い浮かびます。

しかしこれらは、単一の信仰から来るものではありません。
物の怪の調伏や方違えは陰陽道、出家するのは仏教新嘗祭にいなめさいや斎宮制度は神祇信仰(神道)の影響ですから、色んなものがごっちゃになっています。

今回はその中でも「仏教」について見ていきます。
日本人は古来より仏教徒だ、とは言いますが、平安貴族たちは具体的に何を信仰していたのでしょうか?



仏教が日本にやって来た

まず、仏教がインドで成立してから日本にやって来るまでを、ざっくりと説明します。

仏教の開祖であるガウタマ・シッダールタ(別名:釈迦)は、悟りを開くことに成功して「仏陀」と呼ばれるようになり、この教えを広めました。

三大宗教のひとつに数えられる仏教ですが、キリスト教のような一神教と違って、仏教に神様はいません。神の守護を求めるのではなく、自ら悟りを開いて成仏するのが目標でした。

仏陀の死後も、弟子たちによって教えは広がり、発展し、分派も発生します。その内のひとつが、日本に伝わってくる「大乗仏教」です。

大乗仏教の特徴は、開祖である仏陀以外にも、悟りを開いたとされる如来にょらいを信仰すること。

例えば阿弥陀如来(阿弥陀仏)は、西方にある極楽浄土という仏国土にいて、あらゆる生き物を救済するとされる仏。
この極楽浄土に往生し、成仏することを説くのが浄土信仰(浄土教)です。
※鎌倉時代に法然が開く「浄土教」とは違います!

大乗仏教によって仏の教えが増えたことで、経典もたくさん作られました。
中国では、鳩摩羅くまらじゅうや、玄奘げんじょう三蔵さんぞうといった仏典の翻訳家が、これらをサンスクリット語から漢訳しています。

朝鮮・百済を経由して、日本に仏教(大乗仏教)がやってきたのは、538年とも552年とも言われますが、6世紀後半には貴族を中心に広まっていたとされています。

国家鎮護の奈良仏教

奈良時代の仏教思想は、一言で言うと、家と国のためのものでした。

僧侶たちは、族の繁栄を願うため、鎮護国家のために、祈願を行いました。
※鎮護国家とは、仏教には国家を守護・安定させる力があるという考え。

またこの頃の浄土教は、「ご先祖様の霊が無事浄土に行けますように」と祖霊を追善するのがメインで、「自分が死んだら極楽浄土に行けますように」という個人の祈願はありませんでした。

これが平安時代になると、家や国ではなく、「個人」に目を向け始めます。
自分のために祈り、功徳を積むようになったのです。

天台宗と真言宗(密教)

平安時代は、桓武天皇による平安京遷都から始まりますね。では、そもそも桓武天皇が奈良から京都に都を移したのはなぜか?

それは、奈良で大きな力を持つ寺院勢力から離れようとしたためでした。

そこで奈良仏教に代わって受容された新しい宗派が、最澄による「天台宗」と、空海による「真言宗(密教)」です。

2人は遣唐使としてそれぞれの教学を中国で詳しく学び、日本に持ち帰って本格的に活動を開始しました。

天台宗は、中国・隋(581~618)に智顗ちぎが大成したもので、天台教学を説きます。『法華経』が中心です。
智顗の三大法華書物(弟子がノートを取ったもの)のうち、『摩訶止まかしかん』は、法華の教えを実践する方法を説いた指南書で、日本文学に影響も与えています。

真言宗は、インドから直接唐に伝わった密教が基本です。代表経典は『大日経』『金剛頂経』。
ここで大事なのが、密教の儀式である、密教修法しゅほうです。
加持祈祷が中心で、"今困っていること"にフォーカスした、現世利益のための実践でした。

密教化する天台宗

天台宗の基本経典である『法華経』には、「誰もが仏になれる」ということは書いてあっても、その具体的な方法は教えてくれませんでした。

そんな「どんなことをすればいいのか?」に、密教修法の具体的な実践はカチッとハマりました。

天台宗は密教との統合を目指し、最澄の弟子である円仁・円珍の時には「台密」と呼ばれるようになります。

儀式の折の仏教音楽である声明しょうみょう、朝題目に夕念仏(朝は法華経を読み、夜は阿弥陀経を読む)の勤行の形式、修行としての写経も、円仁が定めたものです。

平安貴族と『法華経』

天台宗の代表経典である『法華経』は、男女関係なく、誰もが悟りを開いて仏になれると書かれており、聖徳太子の時代から尊崇されてきました。

経文きょうもんを写して奉納する「納経」の流行を見ると、天台宗よりも、経典そのものが信仰されていた節があります。

特に五巻の提婆達多だいばだったほんの竜女の話は、女性でも成仏できることを示したので、女性貴族に信仰されました。

浄土に往生するため、平安貴族たちは、法華八講などの法会や写経を積極的に行って、功徳を重ねました。

浄土教の発達

平安後期(11世紀〜)になると、密教の他にも、浄土教が広がりました。

仏様のいるという浄土の存在自体は飛鳥時代から信じられていましたが、厭離穢土・欣求浄土をハッキリ示す浄土教は、この時代からです。

宿世すくせ(前世からの因縁により運命が決まっているという観念)を信じる平安貴族には、「この世の運命は個人の力ではどうしようも出来ない」という無常観が備わっていました。

そんな平安貴族たちに、「無常なこの世をいとい、極楽浄土に往生を目指そう」という浄土教の教えは、グッとささったのです。

空也と源信

浄土教の流布に貢献したのが、空也源信です。

空也は「南無阿弥陀仏」と念仏を唱える称名しょうみょう念仏を実践しながら市中を回り、貴族だけでなく、庶民にも信仰を広めました。

源信は天台宗の僧。寛和かんな元年(985)の『往生要集』は、地獄・極楽の様子、極楽往生するには観想念仏が一番だと説いて、ベストセラーとなりました。
『源氏物語』手習の巻に出てくる「横川よかわのなにがし僧都」のモデルだと言われています。

まとめ

平安時代の仏教の特徴は、国家的に信仰された奈良仏教から、個人の私的満足のための信仰になったということ。

平安貴族たちは、日頃から、浄土教の念仏と、台密の加持祈祷(安産の祈祷、病魔の調伏)の両方を行っていたわけですが、来世についての浄土教に、現世についての密教儀礼は、どちらも個人に基づいていますね。


以上、平安時代の仏教の様相をざっくりまとめました。参考になりましたら幸いです。

参考文献
■ 立川武蔵『日本仏教の思想  受容と変容の千五百年史』講談社現代新書,  1995.
■ 速水侑平安仏教と末法思想』吉川弘文館, 2006.(初出1978)
■ 島田裕巳『教養として学んでおきたい仏教』マイナビ出版, 2019.
→歴史というより、そもそも仏教とは何なのかが学べる本です。

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