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御伽怪談第一集・第五話「耳をすますと」

   一

 不穏な事件の多かった寛政の頃(1790年代)、越ヶ谷宿にあるサムライが住んでいた。実名を公表する訳にはいかない。とりあえず宮園白水みやぞのはくすいとでも呼ぶことにしておこう。白水の竹馬の友に、面高おもだか文五之助がいた。

 ある秋のこと、文五之助は白水の住む越ヶ谷宿の屋敷を訪れ、普請奉行の視察の仕事を兼ねて三泊ほど世話になることとなった。
 白水は元々江戸の生まれである。だが、三男だったこともあり、何年か前、越ヶ谷の武家屋敷に入り婿したのだ。
 越ヶ谷宿は野鳥の多い土地として知られていた。特に公儀のカモのお狩場があって、のんびりとした土地柄であった。秋の収穫の時期をむかえ、近くの田畑では農民たちがせわしなく働き、地元の稲刈り唄が聞こえていた。群れ飛ぶ赤蜻蛉が遠い野山の紅葉とあいまって、美しい宿場町の風景を醸し出していた。

 夕方に屋敷に着いた文五之助は、丁寧に挨拶して奥に通された。主人の白水とは旧知の間柄とは言え久しぶりの再会であった。妻女とは、この日、はじめて会うこととなった。
 白水が妻女を手で呼び寄せた。
「妻のりつにござる」
 律が頭をさげると、文五之助がまじまじと見た。律はお歯黒に眉を剃ってはいたが、まだ年も若く美しかった。律が頭を上げると、文五之助が慌てて頭をさげた。
「は、はじめまして、江戸表の友人代表の……」
 頭を上げると、少し胸を張り、また頭をさげて、
「文五之助にござる。白水がいつもお世話になってござる」
 と申した。ふたたび顔をあげると、笑う律と目があった。顔を赤らめる文五之助は、どうも若い女性が苦手である。
 律は、文五之助の土産を受け取ると、笑いながら退席して行った。
 白水は妻女の背中を目で追いながら、
「お主の妙なところは、相も変わらず……」
 文五之助は頭をかいた。それから白水は、ふと、つぶやいた。
「……懐かしいのぉ」
 文五之助は汗を拭きながらつぶやいた。
「牛は牛連れ馬は馬連れと申して、互いに似た者同士でござる。ところで越ヶ谷の宿は慣れ申したか」
「住んだ当初は、静か過ぎて耳鳴りがしてござったが、住めば都と良く申したものでござる」
 と白水が笑った。
「寂しがりやで、華やかなところばかりを好んだお主も、変われば変わるものだな」
 文五之助が笑った。
「若気のいたり……」
 ふたり、ともに笑った。

 夕食には雉肉が出た。さすがに越ヶ谷宿は野鳥の宝庫である。雉の他にもいくつか野鳥の串焼きなどが善を賑わし、ふたりは遅い時刻まで酒を交わした。
 中でも、やはり鴨肉の、ねぎを挟んだ串焼きは旨かった。脂がのって噛めば噛むほど旨みがジワリと広がった。雲雀ひばりの焼き物も旨かったが、鴨と葱の組み合わせは絶品であった。
 互いにホロ酔い気分がどこまでも続くような気がしていた。やがて遠寺の鐘がゴーンと時を告げると、えんたけなわと言う気分で心残りのままとこについた。静かに虫の声が聞こえていた。満月が近かった。文五之助は少し興奮していたのか、真夜中まで寝つけなかった。


   ニ

 懐かしさや様々な思いが心の中を駆け巡っていた。そんな時のことである。ふと、座敷の方にこもったような音が聞こえた。トントンと足を踏む拍子のような音がした。
 耳をそば立てると、何やら密かに手を打つ音……あたかも踊るような感じがした。とても楽しそうに聞こえていた。しばらく聞いていると、子供の頃の祭りの光景が思い出された。
 赤い提灯ちょうちんや踊る大人たち、早くに亡くなった姉とのことや、笛や太鼓の楽しげな調べが頭の中を駆けめぐった。
——あの頃は楽しかったな。もう帰らぬ日々か。
 普段なら思い出さない、様々な出来事を思い出していた。
 やがて野犬の遠吠えが聞こえた。音はずっと聞こえ、耳の中で繰り返されていた。そう思っていただけかも知れないが、寝られないままに朝をむかえた。
 野鳥の多い田舎だけあって、にわとりが朝を告げる鳴き声は激しかった。
——まるでこれでは他の鳥たちと競っているかのようではないか。
 とも思った。

 朝食をとりながら、文五之助は昨夜のことを白水に尋ねた。
「真夜中に祭りの練習でもあったのであろうか? 笛や踊る音がしてござった」
 白水は、ふと、食事の手を止め、不思議そうに首を傾げた。彼はしばらく考えてから、
「何であろう? そんな音は聞いたこともござらぬ」
 とだけ答え、また首を傾げた。その時、家の者が通ったので、白水が尋ねた。
「誰ぞ、昨夜の祭りの音を知らぬか?」
「祭りは先月終わりましてござりまする」
 白水は律にも尋ねたが、
「さぁ、わらわは存じませぬ」
 と、やはり首を傾げるだけであった。皆、その話を不思議がっていた。

 この日、昼間は仕事の所用があった。普請奉行の仕事は退屈であった。新しい奉行所のための現地調査である。文五之助のみが友人宅に泊まり、あとの者は旅籠はたごに本陣を構えていた。調査は決められた通りの手順で、必要な書類を作り、調査と報告を行うものだった。
 文五之助が夕暮れに白水の屋敷に戻って来ると、外まで旨そうな匂いが漂っていた。鴨料理である。
 繰り返すようだが、越ヶ谷宿と言えば鴨料理が有名である。世の中には俗に〈三鳥ニ魚〉と呼ばれる旨い物がある。三鳥は鶴・雉・雲雀のことでニ魚は鯛と鮟鱇あんこうのことだ。場所によっては雲雀の代わりに鴨が入る。香りの鶴、歯ごたえの雉、あとは味わいのある鳥に代わるのだ。その中にあって鴨の肉にはかなりの弾力があり、噛むと脂の甘味が口の中に広がった。とにかく旨い。
 文五之助が鴨の焼き物を頬張っていると、白水が仕事のことを尋ねた。文五之助はあくびをして、
「仕事は多いが、退屈なだけでござるよ」
「他の者では役立たぬのか?」
「鹿を追う者は山を見ずと申して、なかなか全体を見れる者もござらんのでな……」
 文五之助が笑った。その夜もやはり鴨肉をたらふく食べ、満腹なまま眠りについた。夜中にふと目覚めると、昨夜と同じ音が聞こえた。楽しそうな音が気になって、朝まで寝付けずにいると、遠くで鶏が夜明けを告げ、雀の鳴く音がした。


   三

 朝食の時、文五之助は尋ねた。
「昨夜もあの音がしたが、やはり何かあるのではござらぬか?」
 その言葉に白水は、
「おかしいのぉ、いくら何でも当家の知らされぬことなどない筈でござるが」
 しきりに首を傾げた。

 今日も昼間の所用は相変わらずであった。仕事は退屈である。文五之助は、何度か夜中の音を思い出し、なかなか集中出来なかった。しかし、帰って来る時、お土産にネギを買うことは忘れなかった。
 明日は江戸表に帰る。今夜はいよいよ鴨鍋をご馳走になるのだ。そのため、新鮮なネギを買って来ると約束していたのである。
 鴨鍋には葱があう。熱い葱を噛みしめると、鴨肉の味がじわりと広がり、まさしく鴨葱と叫びたくなるほどの味わいに、食べる者は皆、舌鼓を打った。この三日ほど鴨ばかり食べていたが、旨いものは旨い。
 夕食の際、また仕事の話題となった。
 文五之助は、今の役職に不満があるようで、ため息をついて申した。
「人を使う者は、結局、人に使われるでござる」
 その言葉に白水は感心して、
「相変わらず、よく諺を存じてござるのぉ」
「いやぁ、これだけが取り柄でござる」
 ふたりして笑った。
 話題は白水の武術の腕前のことに流れた。
 文五之助が申した。
「勇猛果敢で知られる御番衆の兄様より、武術の腕は上であろう」
「末っ子では生かす腕も何も……」
 白水は照れくさそうに笑っていた。
 文五之助はこの食事の最中にも、夜中の踊りのことを申していた。
 白水も、
「今夜は拙者も見てござろう」
 と申して、ふたりで確認することとなった。

 夜となって寝間で息を潜めて聞き耳をたてていると、秋の虫の音が心地良かった。
 白水が天井を見ながらつぶやいた。
「ふたりして横になるのは、幼き頃以来でござるな」
「懐かしいのぉ」
「あぁ、あの頃、文五之助の姉様も、まだ、生きておられたな」
 白水は、少し鼻声になっていた。目に涙が溜まっていたのである。
 ふたりがまだ幼かった頃、文五之助の姉が流行り病で亡くなった。白水にとっても本当の姉のように思っていた分、辛い経験であった。そうこうしている内に、遠くで笛のような音が聞こえ出した。
 文五之助は得意げに申した。
「ほら、聞こえるか?」
「あぁ……」
「何でござろう?」
 太鼓の音までもした。それらの楽しげな旋律に混じって、手を叩き踊るような足音が、トン、トンと、ぎこちなく響いた。
 白水が感心してつぶやいた。
「確かに踊ってござるな」
 何やら不審な踊るような音が、次第に近づいて来て、やがて部屋の中に小さな音で聞こえた。
 白水は首を傾げた。
「これではまるで、壁を突き抜けたようではござらぬか?」
 さらに、じっと伺っていると何かの影が窓の格子《こうし》から飛び出したのである。ふたりの気配に驚いたのであろう。暗闇の中を焦って動くものがあった。


  四

 微かな気配は人のものではなかった。
 白水が手探りで武器に出来る物を探すと、ちょうど手近にあったほうきを握りしめ、暗闇の気配に集中した。
 気配は息の中にある。生きとし生けるものは必ず呼吸をし、息の継ぎ目の中に気配が生じるものである。特に肉体が動く時、無意識の中で音が激しさを増す……と言っても僅かな気配に過ぎないが……武術家ならそれで十分であった。
 白水は、自分の気配を絞って暗闇に集中した。すると、何かが突然、飛び出した。反射的に箒を握りしめ、今だ……と影を打ち据えた。
 うまく当たったものか、暗闇の中でドスンと音がした。音はけして大きくなかったが、白水は確かな柔らかい手応えを感じていた。そして、かすかだが断末魔の声が聞こえた。
 気配はもうなかった。だからと申してそのままこちらが動く訳にはゆかない。相手が死んだことを確かめなければならない。さもなくば、途中で息を吹き返し、反撃して来る可能性があった。白水は相手が息を吹き返さないことを確認して、屋敷の者に叫んだ。
「誰かある。刀と灯りを……」
 何人かのドタドタとした足音が響いて、暗闇がほのかに明るくなった。
 渡された提灯ちょうちんを暗闇に向けると、そこには家で飼っていた筈のネコが倒れていた。いつの間にか皮足袋を頭に乗せて、泡を吹いて死んでいたのである。血は見えなかった。だが確実に死んでいた。
 まず、白水が驚いた。
「何と……これは当家が飼う猫」
 死んでいたのは、妻女が若い頃から飼っていた猫であった。
 文五之助も別な意味で驚いた。
「この足袋は、拙者の物」
 窓の外に狐の気配がした。こちらの様子を伺うと、やがて背中が逃げて行った。それはまるで朋友を失った悲しみにあふれるかのように、時々、後ろを振り向いていた。
 文五之助は悔しそうにつぶやいた。
「狐は逃したか?」
 その時、白水が猫を見ると、頭に皮の足袋を乗せていた。
 白水は、悲しげに肩を落とした。
「狐は頭に草鞋わらじを乗せて化けると聞くが、化け猫は足袋を乗せるものか?」
 白水は、長年飼っていた猫を死なせてしまったことを、よほど悔やんでいたのであろう。肩を落としたまま、しばらく佇んでいた。
 文五之助は白水を慰めて、
「かかれば、狐などの踊り騒ぐと言うことは、猫なども交わって、このように踊るものか? しかたないことだのぉ」
 やがて、遅れて妻女の律が現れると、
「旦那様、この猫は……」
 その先は涙で聞こえなかった。『譚海たんかい』より。

 昔から、九月のひつじの夜は魔物たちが騒ぐと言われていた。百鬼夜行とはいつでもありそうな物事だが、実はこの日の出来事をさす。化け狐や猫たちは、九月の未の日が満月ならば、余計に元気で踊り出す。それは満月や未の夜を祝ってのことである。化け物はいつでも出たり、悪さをする訳ではない。時期や場所が決まっているのだ。そして、化け猫が、化け物となるためには訓練も必要とされる。特に猫の化け物は、苦労して修行することが必要になってくる。
 さて、今回の猫は修行中に命を落としたものと考えられる。これまで猫がした訓練も、かなり大変なことだ思うが、死んでも仕方ないことか?〈了〉

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