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【小説】あるバスでの出来事

 小雨の降るなか傘もささずに高校を飛び出し、校門前のバス停で駅方面のバスに飛び乗ったわたしの心もようは、その日のお天気と同じく、くもりときどき雨のありさまなのでした。食品スーパーのバイトは午後七時からなのですが、所属する女子バドミントン部が遅くなったせいで、どうやらギリギリセーフになりそうです。

 なんとか間に合いそうなのは良かったのだけれど、バス内では子供たちがうるさくさわいでいます。後ろの方に座っている、黒いランドセルを背負った兄弟らしき男の子たちです。そしてとなりにはお父さんらしき人がじっとうつむいて座っていました。

 注意しないんだな、とわたしは思ったのですが、でもまあそれは他人の家のしつけの話です。まわりの乗客を見渡すとみんな迷惑しているような感じでしたが、だとしてももちろん注意する人なんていないわけで、わたしは「ふうっ」と息を吐くありさまなのです。

 今の時代はよその家の子供に注意できる大人がいなくなった、と昨日見たテレビのコメンテーターが言っていました。昔はカミナリおじさんなんて呼ばれる人がいて、しょっちゅう近所の子供たちのことをしかっていたようです。でもたぶん今それをやったら問題になるのでしょう。学校の先生が生徒をしかるのにも気をつかう時代です。モンスターペアレンツとかあるし。

 その兄弟は、お兄ちゃんが小学三年生くらい、弟が一年生くらいでしょうか。二人は窓の外を指さして、目に入る景色ひとつひとつをお父さんに報告していました。「はしご車だ!」とか、「こんなところにもTSUTAYAがある!」とか。他愛もないことなんですけど、それが異常に大きな声で、異様に明るい調子なんです。何がそんなに楽しいのだろうか? なんて思うのですが、でもまあそれは子供の感覚です。わたしだって学校帰りに友だちとマックに寄るときは、大声でさわいでしまうこともありますし。

 でもその子たちのお父さんはどういうわけか、何を言われてもずっと黙ったままなんです。ぼんやりとうつむき加減で、どことなく目の焦点が合っていません。服装は半そでのワイシャツに黒いズボンという格好です。かばんは持っていません。三十代半ばくらいだと思います。なんだか真剣なおももちで、自分一人の世界に閉じこもっているようです。平日の、こんな時間に。

 わたしは「ふうっ」と息を吐き、窓の外に目を向けました。人にはそれぞれ事情があります。あまり考えないようにしましょう。それにジロジロ見ていたら、わたしが何か言われてしまう可能性もありますし。

 
 空もようは引き続きビミョウなもようでした。道ゆく人は、傘を差してる人と差してない人が半々です。全体的にはどんよりした空なんですが、遠くの雲間からは陽の光がわずかに差しています。とっても綺麗です。こういう光をなんて言うんだっけかな。あ、思い出した。エンジェルラダー、天使のはしご!

 そんな天からの光を見つめているとき、急にバス内に奇声が響きました。今度は先ほどの子供たちとは反対側に座っている男性です。おそらく知的障がい者の方でしょう。たぶん十代後半だと思います。座席から立ち上がり、何やらわけのわからないことを叫んでいます。

 となりにはお母さんと思われる女性も座っていました。とても小がらな、トイレ掃除のおばさんみたいな雰囲気の方で、なんだか疲れたような目つきをしています。おばさんは男の子をまるきり注意しないわけではないのですが、それでも半ばあきらめ気味にたしなめるくらいでした。そしてそんな光景を見た先ほどの兄弟たちは、なぜかさらに大きな声でさわぎ始める始末なのでした。

 わたしはまたしても「ふうっ」と息を吐きました。

 急にクラスの男子のことが思い浮かんできました。いっつもサルみたいにうるさくさわいで、女子にちょっかいを出してくるのです。やめてって言っても全然言うことを聞いてくれない。わたしは本当にうんざりしていて、男子たちのことを考えるだけで、これから先この世界でどうやって生きていけばいいのだろうかと悩んでしまうのです。大げさだと思われるかもしれませんが、それはわたしにとって大問題なのです。はっきり言って同じ人間とは思えないのです。そんなひとたちとこれから先、何十年も同じ世界で生きていかなければならない。それを考えただけで……

 昨日見たクイズ番組で言っていました。「生命」は最初すべて女だったそうです。でも途中で生物的な多様性がほしくなり、オスを「つくり出した」のだと。オスをつくるには、おなかの中の赤ちゃんにテストステロンと呼ばれるホルモンを大量に浴びせるそうです。すると右脳と左脳をつないでいる脳梁という部分が比較的小さくなり、男性へと転化するのだそうです。ちなみに脳梁とは左右の脳を連絡する経路で、ここに異常があると、知能の発育が不十分だったり、けいれん発作を起こしたりするようです。

 そのことを知ったとき、わたしはようやく長年の疑問が解けた気がしました。だから世界はこんなありさまなのか、と。

 わたしは大きく「ふうっ」と息を吐き、窓の外に目をやりました。

 外では道路工事をしていました。ヘルメットをかぶった土木作業員の方たちが働いています。もり上がった筋肉、焼けた黒い肌、うす汚れた作業着。すさまじい音を立てて、ドリル的なマシンでコンクリート的なものをくだいています。ホコリがそこら中に舞っています。そんな光景を見ていると、「でも、こんな仕事は女にはできないよね」とも思ってしまうわたしなのでした。
 

 相変わらずバス内はうるさいままです。サル山のサルの方がマシなんじゃないかと思うくらいの騒々しさです。小学生の兄弟が大きな声でさわいで、飛んだり跳ねたり。そして父親は黙ったまま。梅雨のムシムシした車内はフラストレーションで満ちていて、まるで火薬を載せた貨物車です。いつ爆発してもおかしくないような。

 そのときです。急にわたしの前の席に座っていたおじいさんが立ち上がり、走行中の車内をフラフラたどりながら小学生の兄弟のところに向かったのです。そして、「静かになさい」と注意をしたのです。

 バス内はしん、としてしまいました。子供たちはさわぐのをやめました。いきなり冷たい水をパッシャっとかけられたかのような顔をしています。目はうるんでいました。わたしは内心「やった」と思いましたが、もちろん表情には出しません。ほかのひとたちも誰も何も言わず、ただ視線だけを送って見守っていました。

 すると、子供たちのとなりでぼーっとしていたお父さんが顔を上げました。たったいま目が覚めたみたいな感じで。
 
 おじいさんはじろりと厳しい視線を送ります。

「お子さんの元気がいいのは結構ですが、もう少しまわりのことも考えて頂けるとありがたいものです」

「申し訳ありません。ちょっと考え事をしていて」とお父さんは言いました。

「実は、さっき妻が死んだんです。ええ、この子たちの母親です。交通事故にあったらしく、即死状態だって会社に連絡があったんです。これから子供たちと一緒に遺体がある病院に向かうところなんです。ついさっきの話なんですよ。それで私はもうどうしたらいいかわからなくて……」

 そこまでお父さんがしゃべったとき、急にお兄ちゃんの方が「わー」と声を上げて泣きはじめました。それにつられるように弟の方も「わー」と泣きはじめました。それは、はちきれんばかりの泣き声で、さっきまでよりもさらに大きな音がバス内に響き渡りました。

 なんということでしょうか。兄弟たちはそんな状況にありながら、涙を見せずと気丈に振る舞っていたのです。茫然自失のお父さんを気づかうかのように。

 バス内の空気は一変してしまいました。今はもう誰もイライラしていませんでした。わたしの中の暗い気持ちも力を失ってしまいました。

 わたしはなんだかバスから下りて、どこかへ駆け出したい気分になっていました。涙を流したい気持ちだったのです。心の中では泣いていたと思います。

 何に対して泣いていたのでしょうか?

 子供たちの不安や健気さはもちろん胸にしみます。でもそれ以上の何かに心は動かされていました。世界の残酷さ? 人間の不完全さ? わたしのみにくさ? 上手く言葉にできそうもありません。そういうよく分からないゴチャゴチャしたものが全部いっしょくたになって、わたしはもう息をするのも苦しいくらいのありさまなのでした。

 そのときでした。先ほどの障がい者の方が急に歌い始めたのです。綺麗に甲高い声で、けれども聞き苦しいわけでもなく、ふわりとソフトな、今までに聞いたことのないメロディーでした。

 彼は窓の外を見て歌っていました。そこには雨上がりの虹があらわれていました。

 子供たちは泣き止み、窓の外を見ています。ほかの乗客たちもみんな虹を見ています。それは不思議なひとときでした。車内にはさっきまでの他人行儀な空気がなくなり、どことなく親密な連帯感のようなものが生まれていたのです。

 わたしは「ふうっ」と息を吐きました。そして再び外に目をやりました。

 あわい陽の光が雲間から降り注いでいます。そしてくっきりとした半円の虹が、わたしたちの街を包み込むかのように輝いているのでした。

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