とても理不尽で困難だけど: 楽しく暮らせる
単なる当事者である私が、統合失調症ではないけれども、 幻覚や幻聴がないというだけで、精神保健福祉手帳のある双極性障害を生きているから、私の希死念慮との共存の仕方を言葉にしてみます。
自分の背後にあるというか、自分の根底にあるイメージとしては、受けてはいけないダメージを受けてしまったときに、 「そのダメージから庇ってくれた自分の根底」が源のように感じます。
心の中の子どもと例えることがありますが、まだ言葉を獲得したかった頃の私が、傷ついて「変わった」とみなすと、私にはしっくりきます。エビデンスはない、個人的な表現です。医学的というよりは、自分の内面を観察し続けた結果です。
私は希死念慮を5パターンに分類しています。
閉鎖病棟に入らないとまずい。他人に、医師や看護師に安全を確保してもらわないとまずいという状態には幸いになったことがないです。 その手前で止まっています。
この段階は、先ほどのイメージの「心の中の子ども」が全力で何かを訴えており、例えば不条理や悲しみや痛みなど、パワーで太刀打ちできないと、私には思えます。
「寝た子を起こさない」ことは、メンタルでも大事。
さて、手前って何だというと、4パターンあります。
気分、わけもなく秋になってセンチメンタルな気分になるような、わけもなく死にたい気持ちというのが出てくることがあります。 慣れるまでびっくりしました。自分は望んでいるんだろうかと。
2つ目、考え。 いやもう、どう考えても私はいない方がいいでしょうというふうに、自分を突き詰めて追い詰めたこともあります。 けど、どんなに完璧に見える、どう考えてもそうだということも、違う視点で見ることは可能だから、気分にしろ考えにしろ、今の私は対処はできています。
3つ目 これは私の感覚では結構やばいやつ。
どういうことかというと引っ張られるんです。誰もいないとても綺麗なリゾートのビーチみたいなところを想像して欲しいんですけれども、ひんやりした砂浜にいて足首あたりまで波がヒタヒタと濡らしているわけです。
すごく綺麗で自然の美しさに感動していたりすると思うんですけど、その足を濡らしている水が引っ張る力が急に強まる感じ。
あるいは電車に乗れなくなる。どういうことかというと、乗り方がわかんないんじゃなくてホーム行くのが怖くなるのです。電車をホームで待っているだけなのに、ホームに入ってくる電車に対してめちゃめちゃ引っ張られる感じがするわけです。どうするか。感覚が遠くであるだけなら、ホームの白線から数歩下がって待っているだけで済みます。けど体調悪くて、すごく強く引っ張られるという感じがするとき、私は改札あたりで体調悪いやって気がつくので、タクシーに切り替えて移動しました。
ポイントは「怖さ」が無くなる点が、怖いのです。
じゃあ5つの内、4つ目はと言うと、なんて言うんだろう、虫の知らせとか、勘が鋭いとか あるいは、直感的にこうかなみたいなことってありますよね。直感。直感で選んで、時間が経ってから、なるほどそういうことで、自分は そう考えて選んだのかと納得することもあると思うんです。
直感が何でもかんでも正しいと言いたいんじゃなくて、直感と我々の言葉とか理性っていうものの関係性の話です。体感では直感の方がものすごく早くて、言葉とか理性が追いついて いくというイメージそういう関係性。
この直感が 暴走する感じというのが人生に1回ありました。夜中にね、絶対に死ぬべきだっていう強い確信がまるで、何かのお告げみたいに降ってくる。それしか考えられなくなる。
私の場合は、自分の安全の確保はするタイプなので、家から出て行ったりはしないんだけども それしか考えられなくて、他のこと考えられなくなるわけです。論理的思考能力よりも早くて強いものが暴走するわけだから、お手上げなわけです。本当に他人に迷惑かけるような出方じゃなくて良かったって思うんですけども、じゃあどうしたか?
暴走しようと、私は私なので性格一緒なわけです。真面目なわけです。だから、「なるほどじゃあ、絶対に他人に迷惑かけない方法ってある? 朝起きて子どもが目にしたりとかして、他人を傷つけることもあるでしょう」と考えたら、暴走している私がそこに集中しました。
それが絶対に迷惑かけない方法を探さなきゃと、真面目だから考え抜くのです。あらゆるパターンを。
残念ながら、絶対に迷惑かけない方法なんて この世には存在しないはずなんです。
迷惑かけないってことはできない。我々は死んだら、どんな死に方であれ埋葬してもらう必要がある。
それに絶対ってことはこの世にないので、答えのない問いを探させました。
数時間考えるわけです。人間の脳も臓器なので 、考え続ければ疲れるんです。疲れたところで論理的思考能力で調整して、そのまま寝ないで病院に朝一番で自分の主治医に会いに行きました。
予約外だけどどうしました? という問診票に経緯を簡潔に書いたら、他の方を飛ばしてすぐに診察して貰えました。
医師は私が理性を保てていることと、安静と安全を確保出来る点を評価してくれて、入院にならず帰宅出来ました。
個人的には、限界超えて疲れると出るし、ストレスかけると出るので、熱が出る前に喉が痛くなることのように、センサーが人より多いと思って、要点おさえて気にせず生きています。
希死念慮を管理するためにだけ生きてるわけではなく、猫可愛いとか、空が胸に染みるとか、友達のジョークに笑うとか、楽しいことをしたり、学ぶことに時間を使いたいから。
たぶん私は家系の問題もあるのですが、自分の家族や親戚の痛みや悲しみを理解したり支援する上で、選べるならしたくなかった経験は武器になりました。
私には、こう見えています。
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