見出し画像

過ぎてみれば、認知特性の影響を受けていたと思うこと(パートナー、小説、etc.)

私に見える世界と、他の方に見える世界は異なる可能性があることを、書きます。

私は、結果的にパートナー選びは内面を重視し、視覚的な魅力よりも、対話の深さや速さ・対話を共有出来るかを優先しました。倫理的な観点や義務感からの選択ではなく、価値観や信念の他に、認知特性が影響していると思われます。

(私の認知特性は、視覚よりも聴覚や言語、抽象思考が強いです)

例えば、記憶の仕方。皆さんどうされていますか? 私は静止画や動画で記憶するのではなく、物語やエピソードの形で記憶しています。これも、認知特性に合わせた結果でしょう。 

③-1

高校時代のアイドルは、タレントやモデルではなく、犬養道子作品でした。急いで大人になる必要があったからか、精神年齢が高く、向田邦子のエッセイを「可愛い」と感じる17歳でした。遠東航空103便墜落事故(1981年)で、向田邦子は51歳の生涯を閉じています。彼女の作品は40代前後にに執筆されているでしょう。エッセイに書いてあることではなく、執筆者の視点を「可愛い」と感じたのだから、変わった少年です。

犬養道子や向田邦子の強い影響下にあるといっても、例えば90年代後半だと、井川遥やZARDの坂井泉が好きなので、同時代の芸能人も視野に入っています。現代ならアマプラのTHE MASKED SINGERで知った水原希子や、TWICEは9人全員好きですが、SANAは分かりやすいし、LE SSERAFIMならIZ*ONEの頃との見せ方の違いもありKim Chae Wonが好きです。オードリーヘップバーンも好き。エマ・ワトソンの言動も注目しています。彼女が発言するなら、とりあえず手を止めて聴くスタンス。

ですから、容姿が整っていることや若さに価値を置かないわけでは無いのです。言い換えると、視覚的な情報も価値をそれなりに理解しています。でも、芸能人の好きなタイプと、自分が交際する方は、かなり違いがありました。理想と現実という意味ではなく、優先順位が変わるのでしょう。

③-2

自分がパートナーを選ぶ時は、話し方(口調・言葉選び・声のトーン)を意識しました。僕らは内面を見ることは出来ないけど、話す内容と話し方には、内面が反映されるので。話して楽しいことは、私にとってとても大切。
なぜかと言うと、相手が価値観をはっきり持っていないと、私に影響されて、私の意見の再生成をする方もいるから。それは、対等ではないし、対話も成立しないので。

対話の深さも速度も、どちらも楽しめること。言い換えると、先方に精神的・知的な膂力があること。仮に口論になったときに、こちらをノックアウト出来るだけの精神性や蓄積があること。これは、私がマゾヒストなのではなく、遠慮や手加減せずに口論出来るか否かを重視します。もちろん、怒鳴るとか人格攻撃と異なります。ディベートに近い、口論。物理的な暴力は暮らしから遠ざけるようにしているから、精神的に殴り返せるか否かは、とても大切。対等であることを保つためにも。

それは、必ずしも言語化が得意な必要は無くて、非言語で伝えるのが得意なら、それもいいと思います。例えば、「私は歌った方が早い)と、カラオケ連れて行かれたこともあります。「歌うから聴け」というのも、なかなか気合入ってますね。

こんなことを優先しており、煎じ詰めると「この人の脳はなんてエレガントなのだろう」と、好きになる傾向がありました。

③-3

  1. 外見ではなく、内面を重視すること

  2. 意思疎通することを大切にすること

  3. 文化とホルモンと体の構造は異なるけど、同じ人間であること

そうした信念からの行動だと思っていました。
でも、全てが理性で制御されているわけではないぞと、自覚するようになりました。

私の認知特性だと、映像は弱いです。自分の家族や友達や共に暮らした猫や犬を脳裏に浮かべるのも、困難です。本人に会うか写真を見れば、分かります。映像イメージのみであり、雰囲気や気配は思い出せます。

知人に「動画で記憶をアーカイブしている」方がいますが、私は物語などエピソード化して記憶するようです。これ抽象化してますよね。

抽象概念の場合、「自由」と言われれば、「うん、話を進めて、どういう自由?」となります。でも、具体化した方が分かりやすい方のために、「制服を着ることで制限される自由」の話をする必要があることも理解します。
また、視覚イメージを通さずに、抽象概念を扱えるから「フレームで切れる」といった問題が起きません。

③-4

「好み」を言語化するのは難しいです。例えば、歌手や声優に惹かれることを、価値観の近い方と共有出来るかもしれないけど、何がどうセクシーで声質のどこに魅了されたか、言語化しにくいですよね。

私の場合だと、Sheryl Crowの『Where Has All Love Gone』が「最も綺麗な歌声」に感じられます。もともとハスキーな声質の方ですが、この曲の歌い方からは、神聖さ(厳かさ? 祈り?)と、成熟した女性ヴォーカルだけど、ハスキーな声質でソフトに歌うから、少年のようでもあり、発音の仕方が少し舌足らずにも聴こえるので、世代と性別を越えたように感じるのでしょう。ここも、おそらく価値観だけでなく、私の認知特性に刺さったのだと思います。

私のこのような認知特性は、私が好む作家や作品に対する理解に影響を与えています。

まずは、眠ってみる「夢」を例に挙げます。違いを共有しやすいと思うから。夢を見る時に、カラーの夢は覚えている限り一度だけ。白黒の夢も、頻度は少ないです。状況理解と気配で進行する夢だから、他の方からすると抽象的に見えるかもしれません。

小説を読む際も同じ。頭の中のスクリーンに映像がフルカラーで浮かぶことは無くて、気配と状況理解で進んでいきます。映像が伴わないというとラジオドラマが共通しますが、効果音・BGM・台詞・ナレーションの役割分担を考えると、もっと曖昧です。頭の中で「音」を使わないですし。

村上春樹は大丈夫で、三島由紀夫は日本語は美しいけど中身はついていけず、大江健三郎はあの読む人が読書スピードを落とさざるを得ないようなねばっこい文体が合わなくて挫折しています。
ドストエフスキーは大丈夫で、とくに『悪霊』が好きです。思想小説の最高峰と言われる作品ですから、私の認知特性には向いていたのでしょう。逆にガブリエル・ガルシア=マルケスの『百年の孤独』は、読みましたしマコンドを舞台に展開した著者の狙いも理解したつもりですが、マジック・リアリズムを味わうには視覚的イメージで受け止めないと味わえない部分があると思うので、私には合わないです。言い換えると、読解力では何とかならない部分。こう考えると、大江健三郎作品も、視覚イメージに強い方の方が、もしかしたら向いているのかもしれません。

認知特性は認知バイアスと異なり、生得的なものが多く、変えるのも難しいですよね。対して認知バイアスは、変えたければ、認知行動療法で変えていくことは出来ます。どちらも、物事を「ありのままに見る」際に気をつける必要がある事柄です。認知バイアスが「自覚しにくい色眼鏡」なら、認知特性は「無意識に行なっている物事を理解する仕組み」かと思います。

自分の偏りや信念や価値観とは別に、何かを意識して理解するプロセス自体が、各自で異なる可能性があること。ここを理解することが、私達が、価値観の異なる他者と、お互いに尊重して関わる際に大切な気がするのです。

資料

PDFなのでURL形式でリンクします
https://www.edu-c.pref.miyagi.jp/midori/tokushi/tomomanabi/tokuseirikai/ninchi.pdf


日本ブログ村に参加しています。応援お願いします。



この記事が参加している募集

スキしてみて

Thank you for reading. 最後まで読んで下さり感謝します。コメント、シェア、サポートも励みになっています。深謝。