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私服の軍人

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※本書は特定の政治信条に沿ったものではありません。
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「…サン、ニ、イチ。状況開始。起きろ」
 ”決行”は二三〇〇、消灯ラッパが鳴ってから行われた。
 中心街から少し離れた、その陸上自衛隊の駐屯地に限らず、すべての自衛隊基地ではラッパ音楽による時刻の通知がなされる。それは教会の鐘のような役割をする。起床、課業開始、課業終わり、そして消灯。消灯ラッパは和やかな音律で、繰り返された習慣の一日の終わりを告げる。
 だがその日、消灯ラッパが鳴り終わって

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 斎島三曹はその封筒をじっと見つめていた。平凡な事務封筒だが、中には梱包材となにかの機材が入っていて、〇八三〇時を過ぎないと確認ができなかった。封筒の裏面には斎島透、四月一日〇八三〇時まで開封を禁ずる、と印字されている。
 時刻は〇八二九、今、〇八三〇となった。
 念入りに自身のスマホで時刻の確認を行った後、斎島は封筒を破いた。窓の向こうから出勤ラッシュの人だかりが見える。どうせ田舎の実家には帰れ

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 河田陸士長は<警告一〇六四号>を確認した。駐屯地を警衛中の無音飛行ドローンが発見したもので、生体反応が連続して撮影された警告だった。河田は動画ファイルを確認して、脅威なしと判定した。動画に写っているのはリスであり、駐屯地正門に植えられた桜の花びらを嗅ぎ回っていた。
 リスのような小動物が判定されることを自動で除外することはできなかった。ドローンで駐屯地を警備していることは諸外国も当然把握している

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 黒川三尉は累計四回目のイベント準備を終えた。本日の参加者は二名。医学博士と経営学博士だという。印刷された資料を再度確認する。
 初回のイベントは、運営に不慣れなこともあり対応に苦心した。まず憲法学者から「そのような作戦は違憲ではないか」という指摘が入り、そもそものイベントの目的から逸脱してしまった。憲法学者の話ももっともだ。一体誰が、このような前代未聞の作戦を発案したのだろう…。
 二回目以降か

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 <議論任務>とは俗称だが、斎島三曹は的確な表現だと考えている。スマホを与えられてから四日が経つが、一四万人の陸上自衛官のほとんどが議論任務に参加しているので、少しでも目を話すとすぐに議論が深化して問題が解決してしまう。斎島の基本的なプロフィールはすでに誰かに登録されていて、そこには隊歴も記載されていた。議論任務で投稿したものはその隊歴を確認できる。自衛隊の職務は平準化が進んでいるので、共通の前提

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 西川士長は四月一日の深夜、ようやく車両誘導の任務から解放された。今やこの倉庫には幾多の兵器が運び込まれた。配備計画などを見る限り、関東に四箇所ほどこういった施設が構築されたらしい。
 倉庫から鉄道を使い、東京にやってきた。東京の摩天楼は幼少期に見たきりで、それ以降は北群馬の片田舎に取り残されていた。これからは、こういう世界が待っているのだろうか。誰が考えたにせよ、これまでの自衛隊生活で最高にクー

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 その家、<国定邸>の洋風客室は高級ホテルのような一室だった。マホガニーの机には毎日違う花が活けられている。今日は国定の誰かが気を使ったのか、<勝利>や<愛国心>を表すナスタチウムがメンバーの数だけ飾られている。壁に取り付けられた巨大なテレビでは、ニュース番組が流れていて、昨日実行された隣国のミサイル実験が非難されていた。
「作戦に影響はありません」
 氷川はスマホで参加したミーティングでそう伝え

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宣言後 一

 自衛官の子は自衛官になると言われるが、斎島家の場合は父親が航空自衛隊で、息子は陸上自衛隊に就職した。斎島花は合コンの自己紹介でパイロットであることを告げられて、子供っぽい一面を好きになり、結婚して、育てた子どもが陸上自衛隊に就職して、自衛隊に複雑な想いを抱いていた。
 息子の透は父親と同じようにパイロットを志したのだが、視力が不適格とみなされてパイロットに慣れなかった。花はてっきりサラリーマンに

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