その家、<国定邸>の洋風客室は高級ホテルのような一室だった。マホガニーの机には毎日違う花が活けられている。今日は国定の誰かが気を使ったのか、<勝利>や<愛国心>を表すナスタチウムがメンバーの数だけ飾られている。壁に取り付けられた巨大なテレビでは、ニュース番組が流れていて、昨日実行された隣国のミサイル実験が非難されていた。
「作戦に影響はありません」
 氷川はスマホで参加したミーティングでそう伝えた。去年からの分析の通り、隣国は日増しに周辺国への侵攻準備を進めている。実験の弾道ミサイルはまた日本の排他的経済水域に着水したが、これは侵攻前の陽動とも言える動きであり、ミサイル実験後に各国政府が油断する、例えば三週間後などに最も軍事行動が取られる可能性が高い。
「当主は了承したか?」高見さんが聞いた。
「はい。数分前に了承済みです」
「今日これからヒーローになるやつに、質問しすぎるのはよくないな」高見さんが笑った。まだこの人の考えは読めないな。
「失礼します。テレビ局の方が来られました」
「ありがとうございます。配信の部屋にお通しして」配信スタッフの黒川が立ち上がって、配信部屋に向かった。
「そういえば、省職員の竜間さんは?」
「国定さんが説得をして、やっとわかってもらえました」氷川は配信部屋を見た。昨日深夜、脱柵に気づいた一部の防衛省職員が国定邸での動きを察知して、邸宅に押しかける事件があった。竜間さんという省職員の女性はこれは紛れもないクーデターであり、国益を失墜するものだと叫び続けた。その叫びに、現役の国定一族半分が説得に当たって、なんとか配信を妨害しないことで合意できた。それが朝五時のことだった。
 疲労困憊とも言える表情で、カメラを眺める竜間さんは、防衛省のPCを出して書類を作成していた。
「あなたの顔を忘れませんよ」竜間さんが言って、またPCで何かを打ち始めた。
「そうだ。もう配信が始まればそれどころではないと思うので、一つだけ聞かせてください。なんでバレたんですか?」
「集団退職がですか?」
「そうです」
 竜間さんはまだ若く、入省三年目だという。いつもは市ヶ谷で勤務されているそうだが、市ヶ谷の隊員は欺瞞工作のために駐屯地に出勤しているため、市ヶ谷では作戦が露呈することはなかったはずだった。
「スーパーのカレールーの値段が上がらなかった」
「上がらなかった?」
「日本のスーパーの食料品値付けAIが、駐屯地献立のある日だけカレールーをわずかに値上げしているの。それが上がらなかったから、ネットにそれを不審視する投稿がされた」
「本当に?市ヶ谷の隊員の動向ではなく?」
「あなた達の名誉のために言えば、市ヶ谷は四月一日から全く変わらなかった」
 氷川は笑って、配信準備をするために機材のチェックを始めた。どれだけ気をつけても、秘密の作戦というのはどこかで痕跡を残す。次になにかするときには、小売業者にも声をかけないといけないな。
 テレビ局はリポーターも派遣していた。あまり氷川は気乗りしなかったが、リポーターたちと事前に打ち合わせすることにした。氷川自身はどんな質問をされても、丁寧に万全の答えを返すことができる自信があったが、配信事故の予防策として、国定一族でメディア事業を営む国定恵梨香が助言したのだった。
 氷川は配られた資料を読み、実際に配信の本旨を読み上げた。
 私達は全員が退職して、市ヶ谷幕府を開府した。数年前から察知している隣国の周辺国侵攻を阻止するため、実際に侵攻があった場合には、市ヶ谷幕府は防御的に、あらゆる安全保障を確保する手立てを取る。
 資料には二次元バーコードも印字されていて、そこには事前想定質問集の他に、<コールセンター>チームに対して実際に質問もすることができた。
 四月五日の〇八〇〇時、クーデター予告というか、脅迫まで後一時間を切った。美男美女のリポーターたちが慌ててバーコードを読み取る中、彼らより一層は美しい国定恵梨香社長がウキウキしながらナスタチウムの花を持ってきた。少し萎んだ花びらを一枚、恵梨香社長が丁寧に摘んで、自分のスーツの胸ポケットに挟んだ。

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