黒川三尉は累計四回目のイベント準備を終えた。本日の参加者は二名。医学博士と経営学博士だという。印刷された資料を再度確認する。
 初回のイベントは、運営に不慣れなこともあり対応に苦心した。まず憲法学者から「そのような作戦は違憲ではないか」という指摘が入り、そもそものイベントの目的から逸脱してしまった。憲法学者の話ももっともだ。一体誰が、このような前代未聞の作戦を発案したのだろう…。
 二回目以降からは、事前に当任務の正当性も含めた情報を伝えている。博士は揃って会議室に現れた。親密な印象を受けたので聞くと、旧友同士であるという。
 黒川はまず自己紹介のあと、イベントの目的を再度発表した。これはあらゆる可能性を探るセッションであり、どうすれば日本の安全保障を完遂できるか、遂行できるかというものです…。カンスイと聞いて二人が怪訝な表情を浮かべたので、スイコウと言い直した。
 医学博士は女性だったが、長く真っ直ぐな髪を手で漉きながら黙考した。経営学博士の男性は鞄から私物のパソコンを持ち出して、そっと画面を眺めた。黒川が口を開くのと同時に、医学博士が質問をした。
「軍隊は増殖を続ける癌細胞に似ている。究極の安全保障とは、世界の主要国への癌治療となることが予想されるが、そこまでを視野に入れているのか?」黒川は面食らった。俺たちは癌か?
「つまり?癌治療というと」経営学博士が言った。黒川に助け舟を出したようだ。
「軍隊は国の生産活動に直接寄与しない。良き国家というのは、軍隊を持たずして安全保障が守られている、完遂されている国家であると思う」
「生物学的にはそうかもしれないね」
「表現が悪くて申し訳ないが、軍隊という癌細胞を、世界各国が保有している状態と想定すると、解決方法があるかもしれない。この<国家癌>は相手の国家に対して脅威となる性質を持っていて、それぞれの国家は癌を進んで保持して、さらに癌領域を拡大させている」
「他にいいイメージはないのかな」
「軍隊はクーデターを起こすこともあるから、これがいいと思ったが…」
「主要国への癌治療というと、主要国も巻き込んだ、例えば米軍解体も視野に入っているかということでしょうか?」黒川が逆質問した。
「概ねその理解で」
「実現性が低くても、現段階はなんでも仰っていただいて構いません。視野に入っています…」とはいえ、米軍を解体する?これは実現可能性は本当にないだろう。
 仁科士長が訓練通りに、ホワイトボードに会話のキーワードを書き始めた。黒川は自分たちを癌と表現され不快だったが、医学博士の言うことも一理あると思った。自衛隊黎明期の折、当時の首相は、君達が日陰者である時のほうが、国民や日本は幸せなのだと発言した。災害派遣や救難活動をする癌細胞…。いや、今回は安全保障領域に限った話だ。自衛隊をなにか別のものにイメージするという話は今までのイベントで出てこなかった。もしかしたら、画期的な解決策がこの先生たちから出てくるかもしれない。医学と経営学。
 今は十一月の五日。なんとか来年四月一日の作戦開始日までに、安全保障を完遂する作戦を立案しなければならない。黒川は今、日々任務に臨む隊員を思い浮かべた。自衛隊がなくなることが、安全保障を完遂することになるのか?それは疑問だが、例えば周辺諸国の陸海空軍が解体された場合、自衛隊も縮小されることがあるかもしれない。自衛隊のない世界とはどんな世界だろうか。その答えは、とてつもなく厳しい訓練を幹部候補生学校で受けた黒川には思いつけない。

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