「…サン、ニ、イチ。状況開始。起きろ」
 ”決行”は二三〇〇、消灯ラッパが鳴ってから行われた。
 中心街から少し離れた、その陸上自衛隊の駐屯地に限らず、すべての自衛隊基地ではラッパ音楽による時刻の通知がなされる。それは教会の鐘のような役割をする。起床、課業開始、課業終わり、そして消灯。消灯ラッパは和やかな音律で、繰り返された習慣の一日の終わりを告げる。
 だがその日、消灯ラッパが鳴り終わってから、暗闇のなか隊員たちがベッドから降りて私服に着替え始めた。それぞれの私服はきちんと用意され、丁寧に枕横のベッドロッカーに用意されていた。着替え終えたものはベッドのシーツを剥がしはじめた。毛布、シーツ、布団を丁寧に折りたたみ、順番どおりに重ねていった。上げ床といわれる状態だった。熟練者は二分でやってのけて、その後新米をからかいながら指導してやった。その小声以外は無声だった。無論多少の音はあるにしても、無音といっていい静けさだった。
 全員が目的と動作を理解していた。
 ロッカーを開けて、日中の間に準備されていた鞄を引っ張り出した。それぞれが私物を一切詰めた膨らんだものだった。もはやロッカーの中には官品、つまり 国家から支給されたものしか入っていなかった。全員が鞄を持ち外へ出た後、その部屋は当直によって施錠された。当直というのは自衛隊の交代業務の一部だ。
 それは洗練された動作だった。全ての部屋で、全ての部隊で同じことが行われた。当直室も同様に、全ての施錠を終えた当直は、その任を解任された。当直室の鍵は駐屯地司令に提出された。全員が動作を理解しているので、それは流麗な演舞のように見えた。一つの棟、一つの棟と無人になっていった。鞄を持った、私 服の兵士たちがそれぞれの定位置に整列した。それはいつもながらにびしっと決まったものだった。
 私語はなし。そのときの彼らばかりは誰もが誠実であり、自衛官の模範であった。やがてそれぞれの部隊長が前に立ち、訓話をした後、二三三〇、
「別れ」
 という命令が下った。彼らはきっかりと同じ動作で敬礼をした。
「別れます」
 兵士たちはそのまま鞄を持ち、ポロシャツやジーンズのポケットに身分証を入れ、未だ野戦服を着る隊員たちの、警衛所を通り過ぎていった。
 二三五五。ごく一部の管理要員を残して全員が駐屯地から外に出たあと、特にそう命令されたわけでもなかったが、未だ中にいるだろうものたちに対し、兵士たちは敬礼を行い、そしてきびきびと歩き始めた。二四〇〇、四月一日の始まりだった。目的地はばらばらで、駅前のコンビニは一〇〇名を越える客に困惑し、居 酒屋は、そここそまるで駐屯地のようになった。
 それはこの駐屯地に限った話ではなかった。決行は全ての駐屯地で行われ、全ての兵器は永い眠りについた。戦車、地対艦ミサイル、装甲車、迫撃 砲、小銃。それら全ての兵器は完璧に手入れされた状態で閉ざされた。日本国、特に陸上の防衛は今や無力だった。陸上自衛官一四万人は一斉に依願退職を希望し、受理された。
 日本晴れの朝だった。出勤ラッシュをむかえても、誰も駐屯地が無人になったことなど思いもよらなかった。自衛隊に理解を示す老人が駐屯地周囲の道路を丁寧に清掃した。いつものように〇六〇〇に起床ラッパが鳴ったことに彼は一日の始まりを聴いた。それは後に、大脱柵といわれる事件の始まりだった。
(脱柵とは自衛隊用語で脱走を意味する)

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