いつだって楽しく過ごしたい
YUKIさんの「JOY」という曲を今日久しぶりに聴いた。
音楽も絵も文章も、芸術というものは錆びずにいつまでもそこに居てくれるから、安心することがある。この曲が発売されたのが2005年らしいが、その頃この曲を聴いていた記憶は無く、私は毎日保育園でゴロゴロしていた。
どこで何年前にこの曲と出会ったのか全く覚えていないが、さっきふと頭にこの曲の「いつか動かなくなる時まで遊んでね」という部分が浮かんだ。すぐにApple musicで曲名を検索にかけて久しぶりに聴いている。便利な時代に生まれた。
この曲を聴いていると切なくて楽しくなる。そういう曲ってたくさんあるのだ。生きていくうち、好きな歌がたくさん、これからも増えていくんだろう。それが嬉しくてしょうがない。
この曲をリピートしながら、だんだん明るくなる空を白いカーテン越しに見てる。
人生、頑張ろう!という気持ちには相変わらずならない。だけどそれが正解かもしれないと、なんだかそんな気持ちになってきた。
息抜きする、という言葉が無くなればいい。ずっと息抜いて生きていたいから。
「無理をするな」と最近色んな人から言われるので、無理をしない方法を探したりしていた。だけど答えは見つからなかった。生きることを選んだのなら、無理しないなんてそもそも選択肢にない。それが答えだと思った。
無理をしなきゃ生きていけない。それがデフォルト。それだけ人生は難易度が高い。
だったら楽しく暮らしたい。できるだけ頑張らずに。そうつまり、楽したい。無理だと誰かが言っても、そんなものは無視して世界の隅で1人、しゃくしゃく余裕で暮らしたい。
死ぬその瞬間が穏やかであればなんだっていいかもしれない。いつも通りの小鳥たちの声の中、明るい太陽の光の中で、静かに呼吸が止まればいい。
穏やかな死。それだけが欲しい。それさえ手に入るなら年金も要らない。子孫も要らない。
無理をしたって、波瀾万丈だって、つまんなくたって、どんな人生だって、生と死だけはこの世界では平等だと、これから自分を励ますときはそう考えることにしよう。
だったら誰に嫌われていても、誰に泣かされても、みんな同じ土俵に居るんだなと思える。きっと穏やかで、いられる。
いつだって世界はわたしを楽しくさせて
いつか動かなくなる時まで遊んでね
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