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暖簾分けの踊り団体の整理

沖縄ほにや

リーダーは、ほにやのよさこい踊りが素晴らしいと自慢ばかりだった。女たちは踊りに自己陶酔する。それがきれると騒ぎ出す、ヒステリックになる。女たちは、ヒステリックになって、不安になると、下に見てたリーダーに頼りだす。

彼女たちは踊りを力の基にしていた。それで踊りのズレのある人間にダメ出しをしてた。その他に男性のメンバーに文句言っていた。ヒステリックな情動で言っていたのかもしれない。私がだらしないのもあった。

この団体で幸せと思った事はほとんどない。
煮え湯で、マウントとられて、舐められることばかり。
女たちに下にみられてた。

マウントとられるのは、リーダーがよさこい踊りやのれん元の団体を賛美し、自慢していて、どこか謙虚そうに見えて、傲慢だった。その為か女性たちも、よさこい踊りの価値に陶酔していて、楽しんでいた。

しかし、彼女たちの楽しむ姿は私には伝わらなかった。伝わらないのでヒステリックさも感じた。共感してくれないと思われてたからだ。

他に抽象的なことを話したがる癖が私にはあり、和気あいあいとした中で言おうとしたら、副リーダーに抑えつけられて封殺されたりもした。
それを何回か食らい、ストレスがたまり、おかしくなりかけた。
連中にはその立場は、わからないだろうと思う。

生意気にみられてて、封殺するのがこの団体のメンバーには心地良かったおかもしれない。フォローしてもらう事はなかった。

その一方で、彼ら彼女らは、踊りを披露して共感されることを理想にしてた。私には関心がなかった。抑えつけられたこともあり。

当時の女性のメンバーには優等生体質とやんちゃな挑発タイプがいた。沖縄全般にもいる。優等生タイプは共感的で上から目線だった。やんちゃなタイプは挑発的なこと言ってくるのがいた。どちらも踊りに陶酔していた。

彼女たちは「みんなで」と何かすることを言っていた。その意味で共感的体質だった。自分一人でできる事には懐疑的な所があり、自分で何かしたことを言うと、どこか否定的に見えた。できる人には冷たい所があるが、踊りに関してはできることを主張してて、どこか矛盾してた。

踊りの価値観に共感し、楽しむことを多々求められていた。
どう楽しむかは各々の自由と言っていた。私は笑顔をすることが苦手だったので、かなり言われてた。踊り以外にざっくばらんな話が飛び交う事はなかった。踊りを笑顔で楽しんで行うか、リーダーの辛気臭い義務や価値の話ばかりだった。

挑発

ある女子一人に、なぜか挑発的にマウントとられることもあった。
自分がメールとかで何か考えを書いて送ったことに対しての挑発だったと思う。無意識に委縮させられたと思う。

自分が当時に、ノートに悩みを書いて分析することをしてたし、閃いたことも書いていた。最初は踊り団体のみんなからすごいように見られてたが、やがて権威が失墜したようで、狂った人に見られた。

そのくせ、悩みごとの相談していいと、踊り団体に入った時に言ってくれたが、それは形骸化してた。悩み事書いていくなら、話すこともいらんだろうと。それが優等生は女子が相手でも冷ややかだったと思う。無関心だったから。あの団体にはズレた努力は価値ないらしい。

書く意味

これらの事を書く意味は自分の為。当時の振り返りと整理のために。
踊り団体のいた人にとっては都合が悪い。自分たちの正しさ、神聖さを批判的に言われると感情的になるし、場合によっては無関心な態度を取って、無言になっておわり。

この踊り団体にいて、いい思い出の人々と、私のような悪い経験した人間との記憶の落差があまりにも大きい。

書く根本な理由は、昔、リーダーの人間は「この踊り団体は沖縄の文化」として残ると言った。私は今、それを思い出し、この言葉を元に沖縄の記憶として刻んでいると思う。書く内容は、あくまで私から見た記憶に基づいてになる。


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