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夭折の画家、ウィリアム・キーツの話──No.04

ウェールズのバンゴールという町で一生を終えた夭折の画家、ウィリアム・キーツには一度だけ作風をがらりと変えた時期がある。あけすけにジャクソン・ポロック風の絵を一カ月ほど描き続けた。

愛する妹ルーシーの死、出来立てのチェコスロヴァキアという国からやってきた友人──カレル・ヤンクロフスキはキーツの最期を看取るまでの親友になった──と、いくつかの芸術的な刺激にキーツはたきつけられた。

カレルが話す異国の話は新鮮だった。「映画」という新たな表現方法にも感化され、東洋の芸術にも触発された。

映画ではハンス・リヒターの『リズム21』とヴァキング・エッゲリングの『対角線交響曲』に大きく引きつけられたようだ。また、ヤンクロフスキは日記に「ウィリアムはウェールズ大学バンゴール校の図書館で知ったイトウジャクチュウの絵にいたくショックを受けていた」と記している。

挑戦的な姿勢は感じられる。だが、新しい風を自分も吹き込まなければ、という気負いがあったのかもしれない。“artery, vein, our time”(動脈、静脈、我らが時代)と名づけられた作品が示すような抽象的な画風が、長く続くことはなかった。その筆使いはどこかぎこちなく、どことなく息苦しさを感じさせる。

ちなみに「あけすけにジャクソン・ポロック風の絵」という表現は誤りだ。キーツはジャクソン・ポロックより約十年先に生まれている。一方で、ポロックがキーツの影響を受けた証拠はどこにもない。

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